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ご主人様と下僕


――凪原司は、和泉まほらの下僕である。


これは、鴻鵠館高等部に通う生徒には周知の事実だ。

 


「凪原くん、お茶」


 休み時間、椅子に座り足を組んだまま、まほらは無表情かつ高圧的に凪原司に言い放つ。2年A組、いつも通りの光景。


「お茶がどうかされたんですかね、和泉さん」

 

 とぼけた様子で首を傾げる凪原を見てまほらは少し苛立った様に眉を寄せる。眉を寄せようがまほらが美少女であることには微塵も疑いはない。柔らかそうで艶のある漆黒の長髪を後ろで結わえ、切れ長の目にあの頃と同じ薄茶色の瞳。すらりとした長身、組んだ長い脚には黒いタイツを履いている。そして、冷たい視線を凪原に向けて口を開く。


「一から十まで伝えなければわからないの?」

「えぇ、察しが悪くてすいませんね」

「お茶を頂戴、と言ったの。全く、下僕失格よ?そんなのじゃ」

 まほらの口からおよそ現代社会には似つかわしく無い単語が生まれる。

「ちょっ……、あんまり人前でその単語使うなよ」


 慌てて言葉を遮ろうとすると、まほらは頬杖を突いたまま大きくため息をつく。足を組み、頬杖を突き、ため息をついて凪原を睥睨するその姿は民に圧政を強いる悪しき女王のそれだ。

「ならつべこべ言わなければいいじゃない。いいから、早くお茶。すぐ」

「へいへい、わかりましたよ女王様」

 溜息ついでにカバンを漁り、自分用に買っておいたペットボトルを取り出し、女王陛下への献上物とする。

「玄米茶でございます。お口に合えばよろしいのですが」

「ありがと」

 まほらはクスリと笑い、ペットボトルを受け取る。そして、キャップを開けて口にする。


 いつも通りの二人のやり取りを見てクラスメイトの女子がひそひそ話をする。

「和泉さん、また凪原くんいびってる。下僕って本気なの?」

「そうみたい。あの人の家代々政治家の家系でしょ?凪原は外部生だし、まぁしょうがないんじゃん?」

「ひっど」


 クラスメイトの言葉通り、国内有力者の子女が数多く通っているここ鴻鵠館学園は初等部から大学まで存在しており、ほとんどの生徒は初等部からの繰り上がりである。それゆえ高校からの一般入学者を『外部生』と区別する風潮があった。


 「ご馳走様。おいしかったわ。下げて」

 二口ほど飲み、キャップを閉めると凪原へとボトルを差し戻す。

「別に返さなくていいよ。あげたもんだから」

「あら?聞こえなかった?下げて、って言ったんだけど。残りはあなたが飲んだらいいでしょ」


 指先でペットボトルをついと動かして、まほらは挑発的な笑みを見せる。


「まぁ?持続可能な社会とか?SDGsが声高に叫ばれるこの昨今において?たかがお茶一本と言えども粗末にするのはいかがなものかと思いますものね」


 自分の飲み残しなのを棚に上げて、女王様はさらに言葉を続ける。


「元々あなたの買ったものですし?どうぞ遠慮なくお飲みになったら――」

 

「お、いいの?さんきゅー。買いに行くのめんどかったし、今月金なくてさ。地味に助かるわ」

 そう言って軽く笑いながら何事もなかったかのようにペットボトルに口をつける。


「ちょっとぉ!?」

「……なんすか、急にでかい声出さんで下さいよ」

 急に頓狂な奇声を上げたまほらに苦言を呈する。


「そんな事どうだっていいでしょ!?なんで何食わぬ顔で飲んでるの!?」

「何でって、ご主人が飲んでいいって言ったんだろ?飲み足りないなら返すよ、ほれ」


「あなたが飲んだお茶なんて飲める訳ないでしょお!」

 ダン、と机を叩きながらまほらは勢いよく立ち上がる。

「地味に傷つくな、それ」

「あっ!?ご、ごめんなさい!そういう意味じゃなくて……」


 ごにょごにょと口ごもりながらまほらは言葉を続ける。

「だって、それじゃ……間接キスになっちゃうじゃない」

「あー」

 凪原はそう答えると首をかしげて何かを考える。そして、ピンと思い至ると納得した様子で何度か頷く。

「だから何か甘い味したのか」

 正解。まほらが今日つけているリップはほんのりココナッツの香り。


「照れる素振りすらない!もーぉいいです!このお茶は回収します!異物混入の恐れがありますからね!しかるべき機関で調査しますからね!もうっ!」


 プンプンと赤い顔でまほらはお茶を取り上げ、野良犬を払うようにシッシッと手を払う。

「行ってよし!」

「……なんなんだよ、もう」


 お茶を回収されておめおめと自分の席に戻り、財布を開いて小銭の残量を確認。


「もしかしてお金無い?飲みきれなかったからあげよっか?」

 凪原の隣の席の女子がパック入り乳酸飲料をヒラヒラと見せる。金髪碧眼のクォーター。人懐こい柔らかな笑顔が印象的な少女だ。ストローの刺さった500ミリリットルのパック飲料。

「マジ?助かるわ。さんきゅー黄泉辻」

 黄泉辻と呼ばれた少女から気安い雰囲気で飲み物を受け取る。

「全部あげるよ。飲み終わったら捨ててくれたりすると助かっちゃうなぁ」

「へいへい。毎度どーも」


 (ののの飲んだぁ!?しかもストローで!?)

 その光景を横目で見つつ、まほらは叫びだしそうな衝動を抑えて無表情を決め込む。


(ペットボトルの接触面積はせいぜい25パーセント程度だというのに、ストロー!?ストローですって!?ストローの接触面積は100パーセントよ!?つまり、口をつけた箇所と100パーセント口を付けることになるわ!そんなのもう……、間接キスじゃなくて直接キスじゃない!口腔接触よ!)


 無表情を決め込みながらも視線はじっと睨むように凪原に向かっている。


 その様子を伺いながらまほらに飲み物を献上しようとクラス男子が近づいてくる。

「あ、あの。和泉さん。よかったら――」

「結構よ。お構いなく」

 視線もやらず、食い気味ににべもなく断る。女王は民から施しを受けない。


◇◇◇

 2年前、病院の病室。

 ベッドから身体を起こす和泉まほら。顔の右半分と右腕は痛々しく包帯で覆われている。

「……年頃の娘の顔に傷を付けて。この責任、どう取るつもりだ!?」

 まほらの周りには両親および親族が険しい顔で凪原と祖父を睨む。凪原自身も顔に擦り傷を負い、左足にはギブスをつけている。祖父は、床に正座して頭を下げる。

「責任、取る。……取ります。できることならなんだってします!」

 親代わりの祖父の頭を下げる姿に胸が破れそうになりながら、凪原は言葉を絞り出す。当時中学三年。言葉にしたものの、彼にどんな責任が取れるというのだろう。そして当然それはまほらの父も同じ感想を持つ。

 秋水は凪原を冷たく見下ろす。

「何もしなくていい。君たちは、もう二度と娘の人生には関わらせないからな」


「お父様」


 地獄のような空気の中、まほらは表情を変えずに父の言葉を遮る。


「それでは私の気が済みません。こんな……、こんな顔にされた恨み。近づくなで済ませられる訳がないでしょう」

「……どういうことだ?」


「折角責任を取って何でもすると言っているのです。いいですか?それならあなたは――」

 包帯で塞がっていない左目でまっすぐに凪原の目を見る。今にも涙があふれそうなその目を見てぐっと口に力を入れる。無表情を貫き、言葉を繋ぐ。


「あなたは私の下僕よ」

 

 誰も想定していなかった単語に病室内を数秒間沈黙が覆い、その間二人はじっと互いの目を見つめ合っていた。

 

「わかった。それでいい」


 凪原がそう答えて頷くと、まほらの父は娘の裁定がお気に召したのか、勝鬨の声を上げるように上機嫌に笑った。


 ――それが、今から2年前の話。


「あら、今帰り?」


 放課後、下駄箱付近で凪原と遭遇。

「えぇ。美化委員なもんで。準備室の掃除とか当番制なんだよ。面倒くさいよなぁ」

「あら、そう。ご苦労様。偶々帰りが一緒になったのも何かの縁ですし?最近世の中も物騒な事件事故が多いから、送らせてあげてもいいわよ」

 まほらは生徒会の副会長であり、他の委員会の活動は必要以上に把握している。その為、今日凪原が理科準備室の掃除当番であることなど百も承知。


「へいへい。お供しますよ、女王陛下」

「光栄?」

「はいはい、光栄光栄」

「光栄は一回よ」

「そっち?」


 軽口を言い合いながら下駄箱を後にする。校門への途中に生徒用の駐輪場。部活もほかの委員会もまだやっている為、何台も自転車が止まっている。


「自転車」

 まほらは通り過ぎざまに呟く。

「ん?」

「……まだ乗れないの?」

 無表情を装うまほらの表情をチラリと見て、凪原は軽くヘラヘラと笑う。

「乗れないっすねぇ。まぁ別に困ってないし」

「そう」


 ――この時の俺は、まだ知らない。


 まほらにはもう婚約者がいて、来年の誕生日に結婚すると言う事を。



 6年前から始まって、2年前に少しいびつに変わった俺たちの関係は、抗えるだろうか?政治と権力の渦巻く政略結婚に。

 


 



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