ドラマ
鴻鵠館高等部2年A組。窓際の三番目に黄泉辻渚が座り、その隣は凪原司だ。和泉まほらは廊下側の一番後ろの席で頬杖をついて本をめくる。原則として、凪原とまほらは自分の席からほとんど動かない。
凪原は命令を受けた時以外はまほら席への行きはしないし、まほらが凪原の席まで行くことはありえない。ご主人様が下僕の住処を訪れる事などあるはずがないのだから。
「ねぇねぇ、まほらさん~。昨日のドラマ見た?」
対して黄泉辻渚はまほらの席によく顔をだす。と、言うよりも、神出鬼没。クラス全体と仲のいい彼女は休み時間の度に色々なところに出没する。だが、彼女を探すのは簡単だ。人の集まる輪を見れば、大体その中心に彼女はいる。
友人である黄泉辻の問いかけにまほらは申し訳なさそうに眉を寄せる。
「ごめんなさい。私創作の類は嗜まないので」
まほらの言葉がいまいち理解できず、黄泉辻は首を傾げる。
「んんん?ソーサク?多分、違う。それじゃないやつ」
「あら、そう?ドラマって創作劇の事でしょう?」
まほらも首を傾げる。凪原は遠く自席にて机に手枕で眠っている。友人のいない彼は黄泉辻と話している時以外はスマホを触っているか寝ているかだ。
対するまほらも友人は黄泉辻しかいない為、彼女が席に来るとき以外は本を読んで過ごしている。まほらが言うように創作物を読むことのない彼女が読むのは、知識や学術書の類、およびノンフィクションの記録のみである。
「黄泉ちゃん、わたしそれ見たよ~。昨日よかったよね~」
黄泉辻の会話を聞いた別のクラスメイトが興奮した様子で彼女に声をかける。黄泉辻は小さくまほらに合図をしてから、跳ねるように声の主の元へ向かう。
「だよねだよね!神回だったよね!?」
たちまち黄泉辻の周りは会話で囲まれる。
まほらは頬杖を突きながらその光景を眺めて満足気にほほ笑む。視界の隅では凪原が手枕で眠っている。
人が好きで、人の笑顔が好きな、黄泉辻渚は友達が多い。彼女の様に強く優しく明るい人間なら、それは当たり前のことだと思う。だが、かつて理不尽に潰されかけたその当たり前が取り戻された事は純粋に素晴らしい事だとまほらは感じる。
放課後、帰宅部の部室。
「凪原くん。ドラマってご存じ?」
「知らねぇやついんの?」
椅子に座り足を組み、腕を組みながらも真面目な顔でまほらが問い、凪原もまじめな顔で即答する。
「へぇ、随分と大きく出たじゃない」
「これでも控えめに言った方なんだけどなぁ」
ああ言えばこう言う。まほらはしびれを切らせて机をダンと叩き声をあげる。
「つべこべうるさい。知ってるならもったいぶってないで素直に教えてくれればいいじゃないの!」
割と切実なまほらの悩み。内容はいまいち把握しきれていないが、凪原は首をかしげながらも備え付けのホワイトボードへと歩み寄る。
「えーっと、っすね。じゃあ今日の帰宅部会合の議題は、『ドラマ』と言う事でよろしいっすかね、議長」
気を取り直したまほらはホワイトボードに正対して座りなおすと、足を組み手で凪原に続きを促す。
「いいわ、続けて」
凪原はスマホとマーカーを手に持ち、調べながら内容をボードに記していく。
「えーっと、ドラマの語源は、ギリシャの――」
「もともとギリシャ語のドーラーンに由来して?芝居や劇といった意味を持ち、舞台で俳優が観客の前で演じる伝統的な演劇だけでなく、テレビやラジオを通じて音や映像で表現される作品の事でしょ!?さらに言えば、脚本や戯曲そのものを指すこともあり、物語の中で特に緊迫した場面や大きな展開があるときにも「ドラマ」と呼ばれることがあるのよね!?そんな通り一辺倒なことが聞きたいんじゃないのよ、私は!」
駄々っ子のようにバンバンと机をたたきながらまほらは長文で蘊蓄を披露しながら駄々をこねる。ここが人目のない帰宅部の部室だからか、いつもより年相応な雰囲気だ。
「私はただ――」
まほらは口元を隠して俯く。
「……黄泉辻さんが楽しそうに見ている物が知りたいだけなのに」
まったく予想をしていなかった動機。凪原はつい嬉しくなってにやけ顔になってしまう。
「じゃあ最初からそう言えよなぁ」
「……何笑ってるのよ」
「ん?嬉しいから笑ってんだよ」
凪原は答えながらスマホを操作する。本人に聞けば早いのだろうが、今日黄泉辻は茶道部の活動中だ。
「いつの?」
「昨日、って言ってたわ」
「昨日、ね。了解。他にわかる情報は?」
一言でドラマと言っても地上波、ネットを含めて無数にある。その中から情報を絞り込んで、黄泉辻の話していたドラマを絞り込んでいく。
まほらは少し首を捻り黄泉辻がクラスメイトと話していた会話を思い起こす。単純記憶力にすぐれるまほらは集中すれば会話の内容を克明に検索が可能である。
――「だよねだよね!神回だったよね!?」と黄泉辻は嬉しそうに飛び跳ねていた。
「ある!あります!……神が出てくる話よ!」
ビシッと指を立てて得意げに微笑むまほら。もはや勝利宣言に近い勝鬨の声だ。
「……神、ねぇ」
検索すると、一応引っかからない事は無い。マイナーなネット配信ドラマで、宗教をテーマにした重苦しい歴史ドラマ。
「あるにはあるけど、こんなの黄泉辻見るかぁ?」
自力で真実にたどり着いた高揚感。まほらは凪原の差し出したスマホ画面を見て記憶する。彼女にはメモなど必要はない。
「見てるの!あなたがどう思おうとそれが真実よ。一人で勝手に黄泉辻さんを理解している気になっていればいいわ!私は……その先にいくから!」
「ひでぇ言われようだな」
――翌日。
「黄泉辻さん。昨日たまたまあなたの言っていたドラマ?見ましたよ。本当、偶然だったんですけどね、たまたま。で、たまたま?時間もあったので?全部見てみたんですけど、中々面白いものですね。ドラマって」
露骨に偶然を装ったまほらからの歩み寄り。黄泉辻はつい嬉しくなり両手を小さく上下に動かす。
「本当!?特に最新話がよかったよね!?本当切なくて泣いちゃいそうになるんだけど、止められないんだよね」
まほらは完全に同意といった様子で、何度も頷き同意を示す。
「えぇ、本当に。信念に生きる人間の葛藤がうまく描かれていますよね。特に火あぶりのシーンなんて」
「ひあぶり?」
ここで黄泉辻が先に疑問を感じる。
「あのさ、まほらさん。……もしかして、それ違くない?火あぶりとか、出てこないし」
まほらはきょとんとした顔で首を傾げる。
「そう?でも、神って」
まほらに恥をかかせないように、と黄泉辻は周囲をうかがってからまほらにスマホを見せる。黄泉辻が今一押しのドラマは幼馴染たちのすれ違う恋愛を描いた青春ドラマだ。まほらが見たのは、神と宗教と学問をテーマにした恋愛要素ゼロの画面も雰囲気も暗く重苦しいドラマ。要するに、まったくの別物だ。
「でも、見ようとしてくれて嬉しいな」
黄泉辻はニッコリと笑うが、勘違いの恥ずかしさに固まるまほらには届かない。そして、同時に凪原のスマホが揺れる。
『騙したのね』
怒り顔のダイオウグソクムシのスタンプがそれに添えられる。
だが、手枕で眠る凪原にはその言葉は届かない。
放課後、凪原はその弁明を求められる事になるが、それは別の話――。