黄泉辻渚④
『1年C組、凪原司。右は当校の風紀を著しく乱した事により停学3週間及び自宅謹慎。加えて自宅学習と反省文の提出を科す。又、復学後は定期的に校内清掃を行うこと。そして、破損した机・椅子の費用の弁済を行うこと』
これが凪原に課された罰則だ。指導室の聞き取りでは、机と椅子を投げられた黄泉辻がひたすらに凪原をかばい続け、凪原は延々と嘘か本当かわからない動機を語り続けた。凪原は、黄泉辻がいじめられていたとは言わなかった。だから黄泉辻も言いたくはなかった。
結局、クラス全体の聞き取りによって、中等部3年の頃から灰島が主導して黄泉辻をいじめていたと多数の証言が取れたことにより、凪原への処分は比較的軽く済むことになった。
灰島を含む加担した生徒たちの処分は反省文の提出程度に留まる。それは、子女及び自らの経歴に傷をつけたくない彼らの親の働きかけによるものなのだろう。
「へぇ、処分軽くない?」
学級委員の集まりのあと、和泉まほらと壁越しに話をしているのは長身に銀の長髪と言う極めて目立つ見た目の男子。和泉家に並ぶ国を代表する政治家家系『玖珂家』の三男、玖珂三月。時に盟友であり、時にライバルである両家の子にして同じ歳の二人は幼少時から面識がある。
「学校側の処分としてはそんなところでしょうね。そもそも被害者が被害を訴えていないのだから」
「あの子あの自動車メーカーの子だろ?国内2位の。そりゃさすがに学校も文句は言いづらいよねぇ」
壁に寄りかかり腕を組み、何度か頷いて一人納得。
「そうね。『学校は』ね」
まほらは冷たく笑う。
「あはは、悪い顔してるなぁ」
「あら?あなたに言われたくはないけど」
そう言って二人は笑いあう。
地獄は、思いのほか日常の近くにある。
鴻鵠館から徒歩40分ほどの場所。市街地から少し離れた場所にある古びた神社、『凪野神社』。制服姿の黄泉辻渚は普段より多い手荷物を持ち、鳥居を見上げる。
「ここが凪くんのおうちかぁ」
教師に志願して彼の停学中のプリント類や課題を届けに来たのだ。それに加えてもう一つ目的があるのだが、それはまだ彼女の心の内。
かつて、凪原の祖父凪原典善は全国の神社を統括する『神祇本庁』にて最高職である『統理』を務めていた。2年前まではこの地域で最古の格式高い神社の宮司を務め、鯉が沢山泳ぐ日本家屋に孫と暮らしていた。2年前のある日、とある事情にて全てを放棄し、遠い縁があり、管理者もいなかったここ凪野神社を治める事となった。境内の敷地内に古い家屋があり、今はそこで孫と二人で暮らしている。この神社には小さな池があり、鯉はいないが大きめの金魚が一匹だけ泳いでいる。
急な石段の上にあることもあり、ほとんど訪れる人はいない。
黄泉辻は物珍しそうに周囲を見渡し、少し悩んで賽銭箱に500円を入れてお参りをする。それから家屋に進んで、玄関の前に立つと、何度か深呼吸をして、意を決してインターフォンを押す。家屋の古び方に比べると、それは比較的新しく見える。だが、カメラはついていない。
ピーンポーン、と間延びした音に続いて声が聞こえてきた。
「はい、どちら様でしょう」
「あっ、あたし!学校で凪く……凪原くんのクラスメイトの黄泉辻渚と申します!プリントをお持ちしました!」
カメラはついていないが、黄泉辻はインターフォンに向かって律儀にペコリペコリと何度か頭を下げる。
「おぉ、司の。ちょっと待っておくれ。おーい、司!」
初めて感じる凪原の生活感に黄泉辻は思わずクスリと笑う。
少しして、階段を下りるような音がして、ガチャリと玄関の鍵が開き、引き戸が開いて凪原が顔を出す。
「お、おう。黄泉辻。遠いところはるばるどうもな」
いささかバツの悪そうな表情の凪原は、ハーフパンツにTシャツの自宅スタイル。それを見て黄泉辻の目が輝く。
「私服だ」
「家だからな」
「これ、先生から渡されたプリントね」
「さんきゅー」
照れ隠しに頭を触りながらプリントの入った袋を受け取る。用件終了。二人は玄関先で少しの間無言になる。凪原としても富豪の娘である黄泉辻にこんなぼろやに『上がってく?』とも言いづらいし、折角来てくれたのに『おう、じゃあな』と追い返すのも申し訳ない。対する黄泉辻としても自分から『上がっていい?』とはなかなかに言い出しづらい。
黄泉辻は『誘ってくれないかなぁ』と淡い期待をしながらニコニコと玄関先に立つ。
すると、折よくひょっこりと凪原の祖父典善が顔をのぞかせる。
「お前何ぼさっとしとんじゃ。上がってもらえ。……うおっ、えらい可愛らしいお嬢さんじゃの。遠いところありがとうね」
「いえいえ、全然です!……それじゃ、ちょっとだけ。おじゃましまーす」
「黄泉辻の家と比べたらウサギ小屋だろうけどね」
居間に移ると、祖父はお茶を淹れに台所へと向かう。居間には凪原と黄泉辻の二人きり。
「……ごめんね。あたしのせいで停学になっちゃって」
凪原は怪訝に眉を寄せて不満を表す。
「別に黄泉辻のせいじゃないだろ。そもそも悪いのはあのバカだ」
あのバカとは言わずともがな灰島の事。
「んっと、あのさ。そういえば、まだお礼言ってなかったよね。ありがとう」
「へいへい、どういたしまして」
「……凪くんは、なんであたしを助けてくれたの?」
出会って間もないのに、自分も被害を受けて停学になってまで助けてくれた。聞いてから脳裏にクラスメイトの男子の姿がよぎる。好意を持っていたから優しくしてくれた彼は、告白を断った途端彼女の敵となった。
「はぁ?そんなの決まってんだろ」
「あ……、ちょっと待って。やっぱり――」
自分で聞いておいて、怖くて答えが聞きたくなくなる。ありえないことかもしれないけど、『好きだから』と言われたら?もしかしたら、断ったら彼も――。と考えて、断る?と自答する。ありえないことかもしれないけど、もし、万が一『好きだから』と言われたらと考えたら、不思議と心臓が早く脈を打った。
「黄泉辻がいいやつだから、かな?だから困ってたら助けるのは当たり前だろ」
黄泉辻は泣きそうになるのをぐっとこらえる。あごのあたりに力が入ってしまい、それを見た凪原はぷっと笑う。
「なんだよその顔」
「えっ!?あっ……あはは!何でもない!何でもないから」
笑いながら、黄泉辻の目からはポロポロと涙が溢れた。涙は拭っても拭っても止まることは無く、黄泉辻は笑いながら泣いて、目を拭った。
そう言えば、あの時『かわいい』と言ってくれたのは、本心なのか冗談なのか。と今更言葉を反芻してみる。
凪原は黄泉辻が持参したプリント以外の荷物を思い出す。
「そういや、その荷物は?」
黄泉辻も言われて思い出す。
「あっ、そうだった!あのね、お礼。お礼持ってきたの。準備があるから借りられるお部屋あるかな?」
「準備?……まぁ、隣のでも洗面所でもどこでもいいけど」
クエスチョンマークを浮かべながら指で促す。ケーキや何かかな?と想像はしてみる。
何分かして、ちょうど祖父がお茶とお茶請けを用意してくれた頃、隣の部屋から黄泉辻の声がする。
「凪くん、お待たせ!行くよ。せーのっ」
勢いよく出てきた黄泉辻に凪原は目を見張る。黄泉辻は巫女服を身にまとい、袖をつまんで両手を広げて元気に笑う。
「じゃんっ。巫女さんでーす。好きって言ってたから買ってみたんだけど、どうかなぁ?お礼に……」
要するにコスプレである。しかも本物の神社の孫相手に。冷静になるとだんだん恥ずかしくなってきて、広げた手はだんだんしょんぼりとしてきて、満面の笑みは申し訳なさそうな照れ笑いに変わる。
「……なると、いいんだけど」
「……え、最高すぎん?」
「……おぉ天使じゃ。ばあさんや、いよいよワシにもお迎えが来なすったようだ。今行くよ」
「うあっ!?おじいさん!死んじゃダメ!宗教違うから!」
「そういう問題か?」