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黄泉辻渚②

 凪原司は元々あまり社交的ではない。話しかけられれば返しはするが、誰と話すでもなく休み時間は手枕で机に伏している事がほとんどだ。ましてや有力者子女が多く通う名門鴻鵠館への高等部からの外部入学。初等部からの繰り上がり組が多数を占める中、家柄も能力も秀でていない彼が溶け込むのはなかなかに至難の業である。


「黄泉辻の家はやっぱりお金持ちな感じ?あ、これ他意はなくて単純な興味ね。苗字もかっけぇし、名門感半端ないもんな」

「また苗字の事言ってる」

 クスリを笑いつつ、嫌みにならないように言葉を選ぶ。

「不動産関係?詳しくは知らないけど、最近渋谷にできたあのビルとか、あのビルとかパパの仕事みたい」

「よくわからんけど、何かすごそうなのはわかった」

「あたしの事ばっかりじゃなくて凪くんの事も教えてよ。おうちは何やってるの?」

「……その流れで言うのも気が引けるけど、ちっちゃい神社を細々と営んでおりますよ」

「神社!カッコいいじゃん!すごい!巫女さんとかいる!?」

「いたらいいなぁ、とは思うんすよ。巫女服っていいよなぁ。でも現実は世知辛いよな、しなびたおじいさんしかいないんだよ。神も仏もない」

「あはは、もー。神様とおじいさんに悪いよ」


 二人は同じクラスで、席は二列ほど離れた場所。席を動かない凪原の席に黄泉辻が来て会話をする。


「よっみつっじさ~ん」

 楽しく会話をしていると、後ろから女子の声が黄泉辻を呼んだ。馬鹿にしたような、悪意を孕んだ声だ。黄泉辻の笑顔が少しこわばるのを凪原も感じる。

「は、灰島さん。なに?」

「ん~?また男に色目使ってるんだ~、って思って。君、外部生でしょ?知らないだろうから教えてあげるけど、この子前からずっとこんな感じで男とっかえひっかえやってるから。超~尻軽な男好きちゃんだから」

「そんな事してないってば!……なんでそんな事ばっかり言うの」

 黄泉辻は今にも泣きそうな顔で声を震わせる。

「でた、ぶりっ子。うざっ」

 灰島と取り巻きの女子数名の意地の悪い笑い声が響く。彼女は大手自動車メーカーの創業者家系だ。会社の時価総額としても黄泉辻の家より上だ。名門私立高校鴻鵠館に未だ残る悪しき風習。

 

「なに原くんだっけ?とにかく、あんまりこの子に近づかないほうがいいよ?もしかしてお父さんの仕事とかによくないことが起っちゃうかも~、な~んて。あはははっ」

 

 灰島は意地の悪そうな笑い声を上げ、取り巻きもそれに同調する。黄泉辻は恐る恐る凪原を見る。あぁ、これで終わりだ。楽しかった時間もまた終わるのか、とあきらめに似た感情が胸をよぎる。

「あ、あー……、なるほど。そういう事っすね。……了解。よーくわかったっす。確かに黄泉辻が悪いな、それ」


 凪原はちらりと黄泉辻を見てから灰島に媚びるように軽薄な笑みを見せる。いつも通りの完全勝利。誰も自分に逆らうはずがない。灰島はにっと口角を上げて勝利を確信する。

 

 だが、次に凪原から出てきた言葉にクラスが凍り付いた。

「嫉妬していやがらせされちゃうくらいかわいい黄泉辻が悪いよな、うん」

「はぁ?」

 一瞬何を言われたのかよくわからずキョトンとするが、次の瞬間眉を寄せて不快そうに短く声を出し凪原を威圧する。凪原は席を立ち、灰島の前に立つとあきれ顔で大きくため息をつく。

「違うの?まぁ、百歩譲ってあんたが単純に善意で俺に忠告してくれたって線もあるかもしれないけどさ、そんな善人は親がどうこう脅しをかけてはこないんだよなぁ」


 初等部の頃からクラスの中心。親も力があり且つモンスターペアレンツ気質の彼女に言い返す人間など存在しなかった。

「あんた……、誰に言ってるのかわかってんの?私の親は――」

「お前の親の話なんか聞いてねーんすよ。自慢話は周りのお友達にでもするこった。わかったらあっち行ってくれる?俺黄泉辻と話してたんだから」

 「この野郎……!」


 休み時間はすでに終わっており、やり取りの途中で教師が入室してくる。

「授業始めるぞ、席につけー」


 灰島は睨み殺さんばかりの視線を凪原に送り、これ見よがしにしたうちをしながら席に戻る。

「覚えてろよ、てめぇ」

 それを聞いた凪原は馬鹿にしたようにぷっと笑う。

「うわ、本当にそれ言うやついるんだ」

 

 それから標的は凪原に変わった。親の力を恐れて直接的な手出しをしなかった黄泉辻とは違い、凪原の家はなんて事のない一般家庭の外部入学。何らしがらみはない。


 最初は私物がなくなり、机が外に出されていたり、まるで高校生とは思えない陰湿な嫌がらせの数々。そして、それは取り巻きの男子を使った実力行使にも発展する。


――ある日の放課後。

「あら。どうしたの?その顔。いつもよりずいぶん男前じゃない」

 最終下校時刻を過ぎた後、和泉まほらは凪原の顔のあざを見てそう言った。表面上平静を装ってはいるが、内心心配で気が気ではない。そもそも、彼が無理をして鴻鵠館に入ったのはまほらの要望なのだから。

「ん、階段から落ちただけ。気にしないでいいよ」


 どう考えてもそんな傷ではない。殴られた痕だ。それでも、凪原が言いたくないのであれば、まほらはそれを尊重する。

「ふーん、そ。別に全然気になんかならないけど」


 翌日も、その翌日も、そのまた翌日も。

「よ、おはよ」

 凪原は構わず黄泉辻に挨拶をする。

「お、おはよう」

 標的は凪原になり、黄泉辻はちょっかいを出されなくなった。それが黄泉辻の胸を締め付ける。


「ねぇ、渚さぁ」

 ある日、クラスの中心、灰島が黄泉辻に囁く。

「あのバカシカトしてよ」

 それは悪魔の囁きか。そうすれば、もうちょっかいは出さないと灰島は言う。

「ま、バカな外部生と違って賢い渚はわかってるよね」

 ――無視をしないとどうなるか、を。

 教室に忘れ物を取りに来ていた凪原は、二人のやり取りが聞こえ、扉の前で立ち止まる。扉を開けるべきか、少し考えたが結局扉は開けずに踵を返す。まぁ、仰る通り。無視する方が楽だぞ、と内心エールを送る。


 帰り道。雨は降っていないにもかかわらず、凪原の靴は水に濡れ、歩くたびにがっぽがっぽとリズミカルな音を立てる。

「あら、行水には少し早いんじゃない?」

「だな。俺もそう思う」

 まほらに心配をかけまいと凪原は明るく笑う。だがまほらにもおおよその見当はついている。

「誰?」

 さっきまでの軽口とは打って変わって氷の様に冷たい声で凪原に問う。周囲の空気もズシリと重くなる。

「違う違う。俺は何もやられてないって。……友達が困ってるから助けたいだけ」

「ふーん。男の友情、って訳ね。まぁぜーんぜん興味なんてないけど」

 興味のないふりをして余裕を見せてくすくすと笑うまほら。

「いや、女だよ」


 呆れ顔で凪原が放った一言で、余裕の仮面はすぐにポロポロと剥がれ落ちる。

「女の子ぉ!?そんなの聞いてないんですけどぉ!?手ぇ早すぎない!?ねぇ!」

 肩をゆすられ耳の近くで大声を出され、凪原は迷惑そうに眉を寄せる。

「そんなのじゃねーから。でも超いいやつなんだ。天使みたいに。だからちょっとは力になってやりたいなと思ってさ」

「……ふーん、天使ね。じゃあ参考までに聞くけど私は?」

「暴君でしょ?」

「だーまーれ」

「ほらね」


 そんな状況でもいつも通りの凪原に、まほらは安心しつつも内心心配もしている。

「暇つぶしに私もC組に遊びに行ってみようかしら」

 凪原は露骨にいやそうに眉を寄せる。

「いや、来るなよ。まぁ、大丈夫だって。考えもあるから」

 意志の宿る凪原の瞳を横目で見ながらまほらは嬉しくなりつい口元が緩む。

「そう」


 

 翌日。いつもの昇降路、下駄箱ロッカー前。綺麗なロッカーが並ぶ中、凪原のロッカーは歪に歪んでいる。

「おはよー」

 教室に入り凪原はいつも通り黄泉辻に挨拶をする。気のせいか、いつもより教室の視線を感じる。


 黄泉辻の口は開きかけ、声を発するかに見えた。――バカな外部生と違って賢い渚はわかってるよね。灰島の言葉が頭を過る。挨拶をしたら、嫌がらせが続くだろう。毎日少しずつ、自らの尊厳が削り取られるような感覚。もうそんなのは嫌だ。

 開いた口は次の瞬間ぐっと閉じる。それを見て遠くで灰島がほくそ笑む。


 だが、黄泉辻のそれは決意の表れだった。

「凪くん、おはよう!」

 黄泉辻は一度ぎゅっと口を結んだあとで、いつも通りの笑顔で凪原に挨拶を返す。それを聞いた凪原はかすかに口が緩んでしまう。

「賢くねぇなぁ」

 

 元々人当たりのいい黄泉辻は、他のクラスにだって本来友達はいる。休み時間の度に他のクラスに行く事だって出来た。でもそれはしなかった。それをしたら凪原が一人になってしまうから。

 無視なんかしない。自分がやられて嫌なことは人にはしない。挨拶はちゃんとする。食べ物は残さない。黄泉辻が祖母や両親から教わった当たり前のことだ。


 だから、黄泉辻渚は絶対に人を無視なんかしない。

 

 

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