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君に届け

 ――時刻は、午後3時39分。

 俺はマイクを持ち、お立ち台の上に立つ。恥ずかしながら足はガクガクと震えが止まらず、手もブルブルと震え、心臓はバクバクと弾けそうな程強く打つ。

 爺ちゃんも、爺ちゃんの話を聞いていた人達も俺を見上げる。俺は18歳、成人だ。だから、選挙活動もできるし、応援演説もできる。


 だけど、台の上の立つ俺はその人達の方を向いていない。ごめんなさい、今から俺が始めるのは選挙の応援演説じゃありません。ただの、ルール違反すれすれの身勝手な我儘だ。爺ちゃん、ありがとう。


 台の下には黄泉辻がいる。それだけで、どうにかなりそうに思えてしまう。だから、俺は振り向かない。


 この計画を考えた時から、何を話すべきかずっと考えていた。視線の遥か先では、まほらの父・秋水さんが滔々と流れるような演説を行っている。安眞木を褒めて、彼なら出来ると太鼓判を押している。


 俺はまほらや、玖珂や、久留里とは違う。瞬時に考えた事を大勢の前で話せる様な頭の回転も胆力もない小心者だ。だから、俺は俺に出来る事をする。俺に出来る事――。


 ――それは、まほら一人にのみ声を届ける事だ。


 俺は大きく、息を吸い込んで、強くマイクを握る。俺は、まだまほらに伝えた事はない。


「俺は!凪原司!……私立鴻鵠館高等部3年D組っ、18歳っ!」


 今日だけは、他人の迷惑など考えずに、できる限りの声を絞り出す。久留里と鶴子ちゃんがセッティングしてくれたスピーカーはまほらのいる方向へ音を飛ばす。


 音割れ寸前の大音声での名乗りに、安眞木側の聴衆がチラリとこちらを見る。


 まほらもきっと俺を見ている。過信でも慢心でもない。なんて事のないただの確信だ。


「まほら!」


 声を上げながら、色んな事が頭を駆け巡る。出会った鯉の池の揺れる水面も、あの夜の夏祭りの匂いも、事故の日の空気も、合格発表の日の再会も。まるで走馬灯の様に、一瞬で全てが思い返される。久しぶりに見た黄泉辻とのメッセージのやり取りだけで心が躍ってしまう、俺の初恋の人。願わくば、これが最後の恋になりますように、と願いを込めて俺は声を上げる。


「俺はお前が好きだ!多分、初めて池の前で会ってからずっと!事故の後も、高校に入ってからも、今も、これからもずっと!お前が好きだ!」


 言い終えて一呼吸息を吸い込むと、週末の駅前広場は一瞬の静寂が包んだ。あまりの大声で耳がバカになったのかと思ったが、それは気のせいではなく安眞木側の聴衆も、テレビクルーも、みな一様に俺に視線を向けていた。それは奇異か、好奇か。

 

 俺は再び、マイクを握りしめる。気が付けば、震えはもう止まっていた――。


 何も持たない高校生のガキ一人が、政治家相手にどう戦うか。俺なりに出した答えがこの蛮行。政治家の天敵、それはやっぱり――世論でしかない。


 一瞬の静寂のあと、どよめきに似た歓声があたりを包む。スマホが俺に向き、シャッター音や動画を回す音が聞こえる。祭りが始まる予感が広場に広がっていく。


◇◇◇

 

――広場の反対側は静寂と困惑に包まれる。

『俺はお前が好きだ』、と広場の反対側から、祖父の選挙の応援演説に立った凪原司が大声で告げた。


「え……?」

 それを聞いたまほらは真っ赤な顔できょとんとするが、テーブルの向かいに座る玖珂はあきれ顔で笑う。

「この発想はちょっと僕らからは出てこないかなぁ」

 幼い頃から親の選挙を見続けてきた彼らにとって、選挙とは、人生を掛けたある種神聖な戦いの場。

「みっ、三月!?どどどどうするの!?司くん、どうなっちゃうの!?」

 もう仮面を被る事も忘れ、赤い顔で口元を隠し、狼狽した様子で玖珂に意見を乞う。その間も凪原の演説は続く。いや、演説などではない。ただ、心のままに、思い出を語り、まほらの魅力を大声で語る。

 

「公職選挙法的には平気だろ。それ以上に大変なのは、ネットだよね。あはは、かわいそうに。もう彼SNSのおもちゃ確定だ。一生横恋慕の笑いものだよ」

 バン、とまほらは両手でテーブルを叩き、玖珂を睨む。

「どうすればいいの?」


 まほらが問う間に、聴衆は凪原の公開告白をSNSで晒上げる。机に置かれた玖珂のスマホ画面のタイムラインが流れ続ける。『選挙で告白来た』『凪原司18歳!』『炎上狙いの配信者じゃない?』『草』『300万払って遊ぶなよ……』


 玖珂は涼しい顔でスタッフからくすねたマイクをまほらに差し出す。

「それは君が一番分かってるだろ?」


 まほらは玖珂を試すように、確かめるようにじっとその瞳を見つめる。

「あなたはそれでいいの?」

 その言葉を受けて、玖珂はクスリと笑う。答えは一つ。初めから決まっている。

「もちろん。それで君が幸せになるなら。……愛してるよ、まほ」

 演劇のセリフのような、歯の浮くようなセリフ。きっと、それは惜別の言葉。まほらは嬉しそうに笑いその言葉を受け止める。

「ありがと。行ってくる」

「頑張って」


 バトンを受け取るように、まほらは玖珂からマイクを受け取る。選挙カーの上の父に視線を向けて反応を窺ってしまうが、右手で右頬を強く叩く。そして、マイクを両手で持ち、大きく大きく息を吸い込む。視界の端では玖珂が両手で耳を塞いで待機するのが見えた。


 そして、まほらは大きく声を放つ。恐らく彼女の人生で一番大きな声を、マイクに乗せて、君に届けと言葉を放つ。


「わっ……」


 上ずった声をマイクが増幅する。それでも構わずまほらは言葉を続ける。


「私も好きぃ!私もっ……、司くんが!大好き!」


 それを聞いて車上の秋水は驚き目を見開く。

「まほら!?お前何を言っている!?」

「ごめんなさい、お父様!けれど、好きなんです!婚約者が出来る前からずっと!離れさせられてもずっと!私はずっと、司くんが好きなんです!」


 マイクは絶叫に似たまほらの告白を南口広場に増幅し、聴衆にもざわめきが広がる。

『勝手に婚約者ってひどくない?』『離れさせられるって?』『え、じゃあ三月とは?』『無理やり年上の婚約者って無理過ぎ』『昭和かよ』


「……馬鹿な、選挙が台無しになるぞ。おい、何をしている!早くマイクを切れ!まほらを止めろ!」

 檀上から秋水が支持を出し、ワンテンポ遅れて支援者や側近が動き出す。


 まほらは凪原の方に向かおうとするが、群衆に囲まれて前に進めない。


「道を開けて!」


 ボイストレーニングも行っている玖珂が、自前のよく通る声で叫ぶと、少し時間を置いてまほらの前はさぁっと道が開く。

 まほらはクスリと笑い、そのまま振り返らずに左手を挙げて玖珂に応え、そのまま走り出す。


 息を切らせて、汗をかく事も厭わず、まっすぐに凪原の元を目指す。


 気が付けば、曇天の分厚い空からはポツリ、ポツリと雨が降り始める。


 テーブルで、まほらの向かう先を見つめる玖珂は視界の先に見つけた何かに、怪訝に眉を寄せると席を立つ。群衆より頭一つは大きいそれは黒いコートに身を包み人々を押しのけるように進み、玖珂は足早に彼を追う。


 SNSでは、タイムラインが豪雨のように流れる。凪原の公開告白、玖珂と結ばれるはずのまほらの告白。両者を縛り、離れさせようとした秋水の策謀。世間は、世論は、広場の聴衆は、その行方を固唾を飲んで見守った。


『現代のロミジュリじゃん』


 そのワードは、すぐにトレンドを席巻する事になった。


 雨は微かに降り始めるが、広場の熱はまだ覚める気配はなかった。

 






 

 

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