12月12日、声は届くだろうか
――時刻は15時少し過ぎ。
大社へと続く並木通りを白塗りの車が走る。年末も近づく土曜日なので、道は混んでいる。
「あ、父さん?どうかした?」
高級車の後部座席に座る玖珂三月は着信に気が付いてスマホを取る。通話の主は父・俊一郎。改造内閣で法務大臣の任を外れ、党三役である政調会長をに肩書が変わっている。俊一郎は電話の向こう側で眉を寄せ、心配そうに玖珂に問いかける。
「あぁ、そう心配する事じゃないと思うんだが……」
そう言いながら、声だけで既に心配している様子が伝わってきて、玖珂はケラケラと笑う。
「今日の演説?大丈夫、公職選挙法は熟知してるから」
「いやいや、今更お前の心配なんてしていない」
投げやりではなく、信頼の証。子供の頃ならいざ知らず、今になればそれはよくわかる。彼の人生を変えたとも言える『お前は三男だろ?』発言だって、裏を返せば『だから家に縛られず自由にやれ』と言葉が続いた筈なのだ。そこで玖珂が『でもやりたい』と言う事が出来たなら――。時が戻らない以上仮定は意味を持たない。
話は戻り、俊一郎。俊一郎は心配そうに言葉を続ける。
「お前、遥次郎どこに行ったか知らないか?」
その問いに玖珂も怪訝に眉を寄せる。
「兄さん?」
玖珂家次男・遥次郎。まほらの元・婚約者であり、未成年のタレント数名と飲酒・淫行をスクープされ、それに加えて秘書を務めた俊一郎の政治団体から不正に資金を還流していた疑惑が報じられた。それが和泉秋水の不興を買い、婚約は破談となり、俊一郎の秘書も解任となった。選挙期間中は余計な動きをしないように、父から謹慎を言い渡されていた。その遥次郎が自宅マンションにいないらしい。
「……この期に及んで馬鹿な真似はしないと思うが」
「どうだろうねぇ。まぁ、見かけたら連絡するよ。それじゃ、もう着くから切るよ。父さんも頑張って」
「あぁ、ありがとう」
電話を切ると、玖珂は小さく溜息をつく。
(……やれやれ、どうしようもない人だなぁ)
利に敏く長いものに巻かれる。前時代的な男尊女卑の権威主義者。だからこそ、傀儡にできると秋水が選んだだろう事は玖珂にも容易に想像が付く。玖珂は鏡を見て身だしなみをチェックすると、まほらに『もう着くよ』とメッセージを送る。
「行ってくるね。送迎ありがと」
「ご武運を、三月様」
運転手は敬礼を以って主を見送る。
そして、重厚なドアが低音を伴い閉じる音と共に、玖珂三月も戦場へと降り立った。
駅の南口広場。視界の左右で演説が行われている。多くの聴衆に囲まれる安眞木と、人通りもまばらな典善の演説。
典善の方は地元の昔馴染みと思しき年配の人らと、対照的に選挙権を持たない若者が典善と街の昔話に興じている。
「そうなんじゃよ。電車昔は路面を走っててのう、高いビルなんて何にもなかった。あ、でも欅は昔からあったなぁ」
年寄りは懐かしく聞き、若者は興味深げに耳を傾ける。
声を張らず、世間話の延長の様な。票に繋がらない様なやり取り。
「次の50年はどうなるか。まぁ、きっと儂らはそれを見届けられんが、それを作るのは君らじゃからな。あの世で教えてくれると嬉しいわい」
典善はそう言って笑う。
広場の反対側では、訓練された揃った拍手や手拍子が時折聞こえ、『やる気!元気!安眞木!』のキャッチフレーズが、典善の声をかき消す様に響いた。 安眞木の方はまるでコンサート会場の様に多くの人に囲まれている。だが、その多くは動員されたサクラと玖珂待ちのファンだ。安眞木の話を聞きに来た人間がどれだけいるのだろうか。
キャップとサングラスで言い訳程度に変装をした玖珂は、典善側に凪原を見つけると、ニコリと微笑み手を振る。それを見た凪原は苦虫を嚙み潰した様な顔でそれに応える。
安眞木の用意された演説は終え、キャッチフレーズの連呼が辺りを包む。気をよくした安眞木は選挙カーの上で両手を挙げて聴衆に応える。
――瞬間、曇天の空を切り裂く様な嬌声が、薄っぺらなキャッチフレーズをも引き裂き広場に轟いた。
ある程度人混みを進んだ玖珂が、キャップを外してその長身から銀色の髪をなびかせたのだ。それは、ファンの女の子たちにとっては、明けの明星よりも輝いて見えた事だろう。時給を貰って義務感で連呼するコールが、本気の嬌声に敵う訳が無い。『三月!』『三月!』と、ファンはうちわを掲げてコールをする。玖珂はまるでサッカーのドリブルでもするかのように、足早にスルスルと人混みをかき分けていく。ハイタッチを求めるファンにはハイタッチをして、時折手を振ったりと器用に人込みをすり抜けて選挙カーの傍らに設けられた待機所を目指す。
そして、程なくして玖珂はまほらがいる支援者のテントに辿り着く。
「やぁ、お待たせ」
にっこりと冬のひだまりのような柔らかな笑顔を浮かべると、まほらは対照的に冬の隙間風の様に冷たいまなざしを向ける。
「別に待ってもないけど」
話題の二人の邂逅。玖珂ガチ恋勢からの悲鳴と、二人のカップリングを望む歓声が入り交じり、南口広場は異様な興奮に包まれる。
もはや、この広場の誰一人として選挙カーの上に立つ安眞木が主役とは思ってはいない。
秋水は玖珂を見てあきれ笑いを浮かべる。
「話には聞いていたが、すごい人気だね」
「邪魔しちゃってたらごめんなさい」
そう言いながら玖珂は悪戯そうに笑い、秋水はふっと自信ありげに口元を上げる。
「問題ない。来てくれて嬉しいよ」
秋水は梯子を上り選挙カーの屋根へと向かう。
「みんな、静かにね~」
聞こえさせる気があるのかわからない声で玖珂がファンに向かい声を掛けると、テントの中のテーブルにまほらを促す。
「さて、僕らはお茶でも飲んで世間話でもしてようか」
ニコニコと笑顔の玖珂と対照的にまほらは不安げな表情で父のほうを見る。――正確には視線ははるかその先。凪原陣営。そして、それは玖珂も理解している。
「楽しみだね」
まるで何かの余興を待つかのように玖珂が呟くと、まほらはジト目を送り抗議を表す。
「そうね」
和泉秋水が選挙カーの上に立ち、安眞木と並ぶ。サクラ達が拍手で彼を迎えるが、玖珂ファンの声援にかき消される。
秋水は安眞木が持つマイクをチラリとみると、自身のマイクの電源を入れて視線もやらずに近づける。すると、不快な高音――ハウリング音が広場に響き渡り、顔をゆがませた聴衆は一瞬沈黙に包まれる。
そして、秋水は口を開く。
「今日は、私の娘の友人である玖珂三月君が顔を出してくれたみたいなのですが、彼は未成年ですし、選挙とは一切関係のない私的な行動なので一応誤解のないようにお願いしますね」
安眞木と違い、ゆったりと落ち着いた、大物然とした口調で秋水は演説を始める。
――少し離れた凪原陣営にも、それは伝わる。
少し広がった世間話の輪に囲まれた典善は視線の先から聞こえてくる秋水の声に気づくと、傍らに立つ凪原を見る。
「司、始まったぞ」
それを聞いて、凪原の表情に緊張が走り、苦笑いでコクリと頷く。その腕には街頭演説用の腕章が巻かれている。
「センパイ、準備オッケーっす」
久留里と鶴子が折り畳み式のお立ち台を広げて声を上げる。
凪原は、マイクを手にお立ち台に足を掛ける。簡易的な物なので、選挙カー程の高さはない。視界の先には秋水の演説に集まる無数の人、人、人。生徒総会の人数なんて比ではない。そして、テレビカメラのクルーらしき人々も見える。覚悟は決めたはずだった。でも、足が震えてしまうのは自然な事だろう。
「凪くん」
黄泉辻は、喧騒の中でもよく通るまっすぐな声で凪原を呼んだ。後ろでなく、その隣で。
そして、手のひらを向けると自信と確信に満ちた瞳で凪原を見て、微笑む。
「頑張れ」
凪原は力を込めてその手のひらをパチンと打つ。
「頑張る」
そして、凪原はお立ち台に上る。目の前には千を超える相手方の聴衆。全国へとむけられたテレビカメラ。
曇天の空は、今にも泣きそうにも見える。
凪原は大きく一度息を吸い、視線の先にいるだろうまほらを見る。
そして、口を開く。声は、言葉は届くだろうか――?




