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失われた場所

――選挙戦が始まって最初の土曜日。

 

 まほらは父の指示の下、東京30区から出馬した安眞木満の応援に来た。応援と言っても、まほらは未成年である為その活動は著しく制限され、いわゆる『選挙活動』は認められず、原則として単純労務での協力となる。それがどのくらいの意味のある行為なのか、まほらはよくわかっている。結局のところ、父への忠誠を示す為の踏み絵なのだろう。


「それじゃあまほらさんはその美貌と美声を活かしてウグイス嬢を――」

「それは未成年者の選挙活動にあたるので、お受けできません」

 まほらに媚びた笑顔を浮かべて提案した安眞木の言葉はピシャリと遮られるが、懲りずに次の提案を行う。

「で、では、街頭でワタシの側に立ち皆と握手を――」

「それも未成年者の選挙活動にあたります」

「そ、それなら何ならできるので?」


 安眞木の言葉を聞いて、まほらは手を頭にやり大きくため息をつく。

 (選挙に出るのにそんな事も調べていないの!?……本当に、使えないブタね)


「スタッフへのお茶出し、ポスター貼り、宛名書き、事務所の清掃。その他選挙と関連のない単純な労務ですね」


「難しいもんですなぁ」


 安眞木は眉を寄せてそうつぶやくが、すぐに笑顔になり自前の扇子でパタパタと自身を仰ぐ。

「だがまぁ、まほらさんはドンと大船に乗ったつもりで構えていてくださいや。この『剛腕』安眞木が!現職のもやし小僧やロートル爺の後塵を拝す訳がないですわ!がはは」

「剛腕……」

 と呟いて内心クスリとする。自分で異名を名乗るのもおかしいが、凪原が好きそうな単語だなぁと思ってつい仮面の奥でほほ笑んでしまう。そして、チラリと掲示板に張られたポスターに目をやる。立候補者は4名。定数は1。野党の現職、安眞木、典善、他1名。


「少し外の空気を吸ってきますね」


 そう言ってまほらは安眞木の選挙事務所を抜け出す。父の命令でもなければ、同じ空間にいる事すら耐えられない俗物。彼は何の為に政治家を志すのだろうか?聞いてみればわかることなのかも知れないが、聞きたくもない二律背反。


 安眞木がつい先日まで宮司を務めた大社のお膝元である事から、党内では安眞木有利に票が進むのでは?との見込みがあったが、典善が出てくれば話は別だ。安眞木有利の理由は全て典善有利の理由に当てはまる。そこに秋水が応援に入り、どれだけ巻き返せるかが争点だろう。


 考え事をしながら歩いていると、無意識に見覚えのある場所だと気が付く。何度も母と車で来た場所。車窓越しにではあるが、記憶力には絶対の自信を持つまほら。見間違えるはずなどない。

 少し足早に、白い息を弾ませて、まほらは道を進む。もうそこには凪原も典善も住んでいない。けれど、一目だけでもあの原風景に触れる事が出来たなら――。


 そして、まほらもそこに広がる黒いアスファルトの平原を見る。

 呼吸が止まり、世界が止まった様な気がした。理解できずに口元に手をやるが、呼吸の仕方を忘れたのか、上手く息をするのに数度掛かった。


 そして、比喩でなく、まほらはその場に膝をつく。黒いタイツはアスファルトに擦れて破れ、白い肌には赤く血が滲む。12月の冷たい風が、アスファルトを撫で、傷口を舐める。


 あの日一緒に餌をあげた鯉の池ももう無い。一緒にお祭りに行ったあの大社ももう他の人のものだ。そして、凪原も――、もう私のそばにはいない。

 

「どっ……どうして?」

 人目もはばからずにまほらは声を上げる。

「どうして私は……っ、何一つ上手くいかないの!?」

 

 今まで何度も挫けかけて、その都度折れずに立ち直ってきた彼女が、初めて漏らした本気の弱音。

 眉目秀麗、才色兼備、良家の令嬢。人が聞けば『何を贅沢な』と呆れるだろう。

 そのどれもは彼女の求めるものでは無かった。親に褒められたかった。認められたかった。みんなを幸せにしたかった。好きな人と一緒になりたかった。

 数年ぶりに手のひらに触れたアスファルトは、否応なくあの日の記憶を思い起こす。

 

 考えてみて、凪原の顔に傷が付かなくてよかったと改めて思うと同時に、もしそうだったら責任取って一生側にいられたのかなぁと考える。

 そのどれもが現実逃避の意味のない仮定だ。


 立ち上がり、スマホを取り出す。そして、電話を掛けると、7コール目で相手は電話を取る。

「三月?タイツが破れたわ。買ってきて」

 電話の主は玖珂三月。

「え?知ってると思うけど、僕今山口なんだよね」

 背後からは選挙演説の喧騒が聞こえてくる。彼も未成年であるので、応援などは出来ないが、その場にいるだけで強力な集票力を発揮する。

「あら、そう。じゃあいいわ」

 わざと素っ気なくまほらは答える。

「すぐ行く。待ってて」

 返事も待たずに通話は切れ、まほらは壁に寄りかかりため息をつく。すぐ行くと言っても、山口県から東京都下のこの場所までどんなに早く見積もっても5時間は掛かる。

 

 玖珂は本当に来るだろう。父の選挙の付き添いで山口に行くと言っていたのは知っている。それなのにわざと無理なお願いをした。我ながら、何と面倒臭い女なんだろう、とまほらは自嘲気味に笑う。


 まほらは破れたタイツもそのままで、壁に寄りかかり、ポケットに手を入れたまま駐車場を眺める。時折冷たい風が吹き、感傷や思い出を吹き飛ばすかの様にアスファルトを掃く。

 目を閉じれば、今でもそこに池があり、鯉が泳いでいるような気がする。鯉に混じって何匹かの金魚も尾を揺らし泳いでいた。このまま目を開かずに待っていれば、あの日の凪原が鯉の餌を持ってきてくれるかもしれない。もちろん、そんなはずが無い事はわかっている。


 惜しみながらまほらは目を開く。目の前に広がるのは黒いアスファルトの駐車場。広いその敷地の割に台数はあまり停まっていない。

 選挙事務所に戻る気分でもない。まほらはそのままただ駐車場を眺めていた。


 位置情報を玖珂に送り、スマホをしまう。5時間でも、6時間でも、思い出を噛み締めていればすぐに過ぎる。元よりこれからずっと、そうやって過ごしていくつもりだった。10年も、20年も。


 ――そして、2時間を少し過ぎた頃。


 見覚えのある白塗りの高級車が駐車場に入ってくる。そう何台もある車ではない。ドアが開くと、中からはスーツ姿の玖珂が現れる。

「お待たせ、タイツ買ってきたけどこれでいいのかな?……って、足怪我してるじゃん!ちょっと待って、消毒液買ってくるから」

「三月、いいから。……今更私がこんな傷痛がると思う?」

「……そう言う問題じゃないだろ。ちょっと買ってきてくれる?消毒と、絆創膏」

 玖珂は運転手に指示を出し、車はそのまま薬局へと向かう。


「随分早かったわね」

 想定時間の半分以下。普通に考えてあり得ない速度だ。感心したようにまほらが呟くと、玖珂は少年の様に得意げに笑う。

「でしょ?岩国の飛行場にジェット持ってる人がいたからさ。ちょっとお願いして調布飛行場まで飛んでもらった。あはは、ここなら羽田からより近いからちょうどよかったよ」

 事もなげに玖珂は笑うが、あの短時間で完璧に最適解と言える行動を選択し、実行できる人脈と行動力にはまほらも素直に感心する他ない。


 まほらはクスリと笑って時計を見る。

「2時間切れていれば恋に落ちたかもね」

「言ってよ、先に!?」

「でも、ありがとう。ちょっと落ち込んでたから、来てくれて嬉しいわ」

「礼を言われるまでもないね」

 玖珂は涼しげに笑う。


 二人はそのまましばらく、駐車場を眺めて世間話をした。

 ――このまま好きになれたらいいのに。


 まほらは少し寂しそうに微笑み、心の中でそう呟いた。

 


 

 

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