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嘘でもいいから

 ――放課後、帰宅部の部室。


 暗幕の下りた薄暗い部室の100インチスクリーンには、和泉まほらと玖珂三月の演じる『ロミオとジュリエット』が流れている。プロジェクターの光だけが部室を照らす中、凪原司と黄泉辻渚の耳には、もうその声は入らなかった。


 まほらに想いを伝え、彼女を縛る鎖を断ち切るために、凪原は黄泉辻に助けを願い、そして黄泉辻は一つだけ条件を出すといった。


 画面の二人は、手を触れる事も抱擁をする事もなく、家柄を嘆き、愛の言葉を交わしている。


 黄泉辻は、胸に手を当て、一度大きく息を吸い込んで、吐く。胸に当てた手からは、割れんばかりに激しい鼓動が伝わる。それを抑えようと思ったが、もう伝わってもいいやとも思い、彼女は凪原を見る。


 ――黄泉辻渚は、二年前からずっと、凪原司に恋をしていた。


 まっすぐな瞳で、黄泉辻は凪原の瞳を見つめて、言葉を放つ。



「じゃあ、……あたしと、結婚してくれる?」

「……え?」

 まるで想像の外からの言葉に、凪原は短く声を上げることしかできず、プロジェクターの仄かな光が二人を照らした。


 そして、凪原の言葉を待たず、黄泉辻は困り笑いで言葉を紡ぐ。


「もちろん今すぐじゃなくていいの。……高校生の恋愛なんて、一生続くわけないんだから。だから、まほらさんの次でも、その次でも、その次でも、……その次でも。おばあちゃんになってからだっていいから――」


 黄泉辻は立ち上がると、ゆっくりと窓に向かう。そして、暗幕の上から窓に触れる。それは、彼女にとって勇気を生み出す為のルーティーン。


「そう言ってくれたら、なんだって協力するし、お金だっていくらでも出すから。だから、嘘でもいいから、ただ一言、……いつか、あたしと結婚するって言ってくれませんか?」

 

 涙が溢れないように、黄泉辻は必死に、眉を寄せながらも澄まし顔で愛の言葉を放つ。


 期限は無い。リスクはない。ただの口約束。どう考えても、『わかった』と頷くのが最善手だ。それでも、黄泉辻は凪原の答えが分かっている。2年間、ずっと傍にいて、ずっと見てきたから。――わかった、と頷かない彼がその言葉でどれだけ困るかも黄泉辻にはわかっていた。

 だから、答えは無くとも、黄泉辻はその困り顔だけでもう最高に嬉しい。凪原はそこまで真剣に、真摯に、本気で自分の事を考えてくれたのだから。


 神様、一生のお願いです。10秒間だけでいいから、あたしに笑顔をください――。


 黄泉辻は仮面を被る。そして、にっこりと満面の、悪戯そうな笑顔で言葉を続ける。


「どう?あたしも役者さんなれそう?」


 最初から決めていた。凪原の言葉を待たずに、全部無かった事にする事を。どっちを選ばせても凪原を困らせるのだから、最初から選ばせるつもりなんてなかった。そして、そんな黄泉辻の意図は、凪原にも当然伝わっている。

「……大根役者、ならなれるんじゃねぇ?」

「あっ、ひどいっ!」


 いつも通りの軽口の応酬をして、二人はいつも通り笑う。そして、黄泉辻はカラカラと乾いた音とともに窓を開ける。十一月の終わり、冷たい風が室内に流れ込み、二人の頬の熱を冷ます。

「あたしが凪くんの頼みを断る訳ないじゃん。なんだって協力するよ、だって凪くんは――」


 黄泉辻はニッコリと満面の笑顔でピースサインを作る。

「いいやつだからね。だから、困ってたら助けるのは当たり前でしょ?」


 笑顔でそう言い切って、黄泉辻は思い出す。

 ――二年前、凪原は黄泉辻を庇った結果、クラス中からのいじめに巻き込まれた。


 お礼を告げた後で、なぜ助けてくれたのか?と聞いた時に、凪原は言った。『黄泉辻がいいやつだから、かな?だから困ってたら助けるのは当たり前だろ』、と。その言葉で彼女は恋に落ちた。だから、決めていた。いつか、凪原から助けを求められる事があったなら、絶対に私もそう返そう、と。恋愛も、愛情も、尊敬も。全部ひっくるめて、それが彼女が返せる人間としての最大限の敬意だ。


 凪原はそっぽを向いて、目元を隠す。先に涙が決壊したのは意外にも凪原だった。

「……あっそ」


 黄泉辻はその横顔を見つめて微笑む。きちんと泣かずに伝えられた。点数をつけるなら文句なく百点満点だ。あとは、二人でまほらを取り戻すだけだ。


「俺とまほらがこの学校に入って一番ラッキーだったのはさ……」

 そっぽを向いたままの凪原が、ズッと鼻を鳴らしてから口を開く。

「間違いなく、お前と出会えた事だよな」


 その言葉で、黄泉辻の『一生のお願い』が解けてしまう。

「そっ……そんなの――」

 碧い瞳からポロポロと大粒の涙を流し、ごまかすようにその目元を拭いながら、黄泉辻はその言葉に答える。

「こっちの台詞だよぉ……。あたしこそ、二人に会えてよかったぁ」

 そう言って、黄泉辻は子供の様に声を上げて泣いた。


◇◇◇


「ティッシュ要る?」

「いる」

 黄泉辻に箱ティッシュを渡すと、黄泉辻はこくりと頷いてから目を擦る。


 それから、俺は黄泉辻に俺とまほらの話をした。本来は俺一人でする話じゃ無い事は百も承知。それでも、本当は絶対に友達のそばにいたいはずなのに、勝手に人に気を使って勝手に離れるやつに気は使ってやらない。文句があるなら、全部終わったら好きなだけ言ってくれ。


 なんでも協力すると言ってくれる黄泉辻に変な隠し事はしたくないし、戦略的にも情報と前提条件の共有は大事だろう。


 話を聞いている途中で、また黄泉辻の目から涙が溢れる。


 そんなに大した話をしているつもりはないし、真実を語っているだなんて大それたものでもない。ただ、俺が自分の目で見て感じただけの、俺とまほらの傷と鎖の物語。


 

「……そんなに前から好きだったんだ」

 タオルで口元を隠しながら、それでも伝わるほどに嬉しそうに黄泉辻が呟いた。

「いや、一言もそんな事言ってないだろ」

「あはは、照れちゃって~」


 クスクスと笑いながら俺の肩をパシパシと叩く黄泉辻。

「照れるっていうかさ、……まだ誰にも話したことないんだよ。だから、ごめんな黄泉辻」


 俺はプロジェクターに映るまほらを見る。

「それを最初に伝えるのはあいつにしたいんだ」


 それは言葉にしていないだけで、明確な愛の告白。だけど、黄泉辻にだけはもうそんな事は気にしない。気にしたくない。


 黄泉辻はなぜか誇らしそうにコクリと頷いてから、画面のまほらを見る。場面はもうクライマックス。ロミオは死に、絶望したジュリエットも後を追う。

 

「凪くん、あたしね。正直言ってロミジュリってあんまり好きじゃないんだ。……だって二人とも死んじゃってかわいそうじゃん」

 そう言うと黄泉辻は俺を見てにっと笑う。

「あたしはハッピーエンドが好き。見せてくれる?」

「おう、……任せとけ」


 窓から入り込む冷たい風が、黒いカーテンを揺らし、室内に光が差し込む。そして、どちらからともなく右手をあげると、そのまま二つの手のひらはパチンと大きな音を立てる。



 

 


 

 


 

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