祭りの後、最後の戦い。
――中間テストが終わり、10月も下旬に近づく。
テレビのニュースでは、玖珂遥次郎のスキャンダルはすっかりと影を潜め、年内にも行われるだろう衆議院解散総選挙の話題が連日メディアを賑わし始める。玖珂の父である俊一郎氏と、まほらの父である秋水さんもテレビで見ない日はないくらいだ。俊一郎氏に至っては、総理や官房長官よりもメディアの露出は多い。これも玖珂の狙った効果なのかもしれない。
さて、混迷極まる国政はさておいて、中間考査を終えた俺たちに控える次なるイベントは鴻鵠祭だ。
当たり前の話なんだけど、今年は帰宅部では何も行わない。久留里には申し訳ないけれど、まほらがいない帰宅部で俺たちが何かをやる訳にはいかないから。だが、当然のように久留里部長は笑ってそれを了承してくれた。本当に器の計り知れないやつだ。
うちのクラス……D組の文化祭実行委員は当然『祭りの申し子』であり、自称『なかよし教・教祖』である渡瀬まつりさん。今年の出し物は、『ガリバー喫茶』。巨人の家を思わせる巨大な家具の一部が組まれた教室で、小人のようにひっそりと食事をするというコンセプトカフェだ。
そして、クラスのコンセプトは『高校最後の鴻鵠祭、勝ち負けよりも楽しくやろう』。
当たり前かもしれないけど、去年と違い俺も黄泉辻もクラスの模擬店に全面的に協力をした。楽しくないかといえばそんな事はなく、黄泉辻や、板垣、そしてまつりさんのおかげで俺はクラスで特に浮く事も無く、高校生活最後の文化祭を終えた。正直に言えば、去年の熱量が懐かしい。俺と、まほらと、黄泉辻の三人で作り上げた、二度とこの世に現れる事のない凪ノ泉神社。
多分、黄泉辻も同じ気持ちで、俺たちは後夜祭にも出ずに帰宅部の部室で、遠くに聞こえる喧騒を聞いた。
満足度ナンバーワンを決める『朱雀賞』、そしてすべての出し物・模擬店の頂点を決める『鳳凰賞』。今年はその両方を3年C組、――つまり、まほらと玖珂のクラスが受賞する事になった。出し物は、演劇『ロミオとジュリエット』。ベタに思えるだろうか?本来なら3時間近くに及ぶ長丁場の舞台を、玖珂、まほら、百舌鳥の三人で徹底的に脚本を練り直して1時間45分に収め、金と手間を惜しまず、圧倒的な統率力で妥協なきセットと小道具を作り上げる。
キャストはもちろんロミオが玖珂でジュリエットがまほら。そして乳母が百舌鳥。公演回数は一日一回、合計で二回のみ。
もうわかるだろう。どれだけのものが出来上がったのか。
舞台の上、久し振りに見たまほらの姿はスポットライトに照らされて、何よりも美しく見えた。明るい舞台と、暗い客席。それでも、きっとまほらは観客席の中から俺を見つけられるだろう。うぬぼれでなく、そう思う。だけど、当たり前なんだけど、俺とまほらの視線は一度も合うことは無かった。
『おぉ、ロミオ、ロミオ。貴方はどうしてロミオなの……』
使い古されすぎたその一文だけで、まほらの言葉は観客の琴線を強く震わせる。そして、最後のシーン。仮死状態となったまほらを見る玖珂の絶望。その両目を伝う涙。慟哭。そして、毒を飲む。おそらく、会場の誰一人として、これを芝居として見ていた人はいなかったのではないか?と思う程だった。涙や、すすり泣く声を必死に抑える声が会場を静かに広がり、最後目覚めたまほらは玖珂の短剣を使いその命を終える。
バッドエンド。幕が下りるとカーテンコールも何も無い。物語はそこで終わり。照明も暗いままで、演目の終わりが告げられる事もなく、出口の扉が開いた事で観客が現実へと引き戻される。
できることなら、心臓を直接掻き毟りたくなるような衝動に襲われる。なんと言えばいいのだろう?この舞台を観た人はどう思うだろう?互いにすれ違って命を落とした二人。きっと、多くの人たちは、だからこそ、二人の幸せを願うのではないだろうか?玖珂とまほらの幸せを。初恋の二人が、両家の政略結婚で歪められ、兄と婚約させられたまほら。どうか、二人が結ばれますように、と。
当たり前のようにSNSではとてつもない盛り上がりを見せている。
玖珂遥次郎とまほらの婚約は解消された。だけど、代わりに席に座ったのはより強大な相手だった。わかりきっていたことなんだけど、俺でさえ舞台を見ていて二人はお似合いだと思ってしまった。
だから、逆に腹が決まった。
十一月。夏前から不安定だった政情。ついに内閣は衆議院解散を選択し、12月1日公示・12月13日投票・開票となる衆議院選挙の幕開けが宣言される。
――そのニュースを見て、俺の中でピースがカチリと嵌った様な気がした。
凡人の俺だからか、自分で想像してぶるりと身震いしてしまう。実現可能だろうか?頭は無意識に可能性の積み木を積み重ねる。一人、去年の鴻鵠祭の時のような高揚感が胸に甦る。
ベッドで一人考えていると、時間が溶けて消えていて、気が付けば時刻は零時を回っていた。
階段を下りると、居間はまだ明かりがついていて、爺ちゃんが難しい顔で選挙の報道を眺めていた。
「爺ちゃん」
俺が呼びかけると、爺ちゃんは視線をテレビから俺に移す。どうする。考えるだけなら自由だ。だが、口に出したらもう戻れない。爺ちゃんに、どれだけの迷惑を掛けるかわからない。
けど、俺は口を開く。
「一生のお願いがあるんだ」
それを聞いて爺ちゃんは呆れ顔で笑う。
「馬鹿たれ。お前の一生のお願いは中学の時のスマホで使ったじゃろ」
「あ、……そういえば」
思わず引きつり笑いが浮かんでしまう。確かに、当時まほらとRhineをする為に『一生のお願い!』とスマホを買ってもらった事を思い出す。中一のガキには不釣り合いな最高級機種。
「じゃろ?だから、お前のソレは聞けんのう」
「……だよなぁ」
そう答えて少しほっとする。正直言って、自分でもそれがいいのかどうかがまだ分かっていない。あくまでも思い付きの域を出ないのだから。
爺ちゃんはお茶を一口飲むと、『それはそうと』と話を切り出す。
「話は変わるが、ワシは今まで『一生のお願い』とやらを使ったことがないんじゃが――」
なんのこっちゃ、と思う間に、爺ちゃんは俺を見てニヤリと笑う。
「今使うとしようか。司、一生のお願いじゃ。ワシを頼れ」
思わず、目に涙が滲んでしまった。俺も、もう何十年も生きていたらこんな事が言えるだろうか?こんな風に孫に言ってやれるだろうか。
俺は鼻をすすりながら頷いて、爺ちゃんに告げた。絵空事を超えた世迷言。
俺とまほらの最初で最後の戦いが始まる。