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昇る朝日

 ――生徒会長・久留里緋色のリコールは成立し、再度の短縮選挙で対抗馬の城戸が生徒会長に選ばれた。


 零番規則を使った生徒はその後一切生徒会活動に関与できないそうだ。庶務も、会計も、何もできない。


「ほい、久留里。これやるよ、お礼な」

 久しぶりの帰宅部部室。俺は久留里にペットボトルのコーラを差し出す。

「おっ、どうもっす。やっぱ炭酸は神っすよね」

 そう言って久留里はケラケラと笑う。


「軽くない!?」

 その光景を見た黄泉辻が驚きの声を上げ、俺と久留里は顔を見合わせる。

「軽いって」

「そっすか?」

黄泉辻は大きくため息をついてから、頭に手をやる。

「待って待って。ちょっと確認させて。凪くんがあげたコーラは?」

「ん?お礼。零番規則の」

「っす。おいしいです」


 二人のやり取りに黄泉辻は困惑の表情を浮かべる。

「えぇ?……あたしがおかしいの?せっかく生徒会長になれたのに、それに大学だって……」

「うち大学行きたいなんて言いましたっけ?それに、生徒会長じゃなくても、みんなの為の仕事はできますしね」

 久留里はそう言って事も無げに笑う。


 正直言って、まさか久留里がそんな事を考えているとは思わなかった。リスクもデメリットも百も承知で、久留里は零番規則を使ったのだろう。だったら、俺がそれを気にするなんて野暮もいいとこだろう。

 俺のせいで、じゃない。昔爺ちゃんが教えてくれた。

 

「で、でもさ緋色ちゃん……。いくら凪くんの為だって――」

 黄泉辻の言葉に久留里はキョトンとした顔で首を傾げる。

「ん?うちセンパイの為だなんて言いました?ただのわがままっすよ、あはは」


 どこまで本心か測りかねるところは、玖珂やまほらに比肩し得るとすら思ってしまうのは買い被りすぎだろうか?


「ところで、うちも帰宅部入っていいですか?生徒会長やるつもりだったから委員会も部活もやってないんで宙ぶらりんなんですよね」

 黄泉辻はちらりと俺を見る。そう言えば俺が部長だっけ。

「もちろん良いぞ。……って言うか、それなら自動的に久留里が部長になるけどな。俺ら3年はもう引退だから」

「え、じゃあうち一人じゃないっすか」

「そうならない様に来年は勧誘したらいいんじゃね?」

 俺の言葉を受けて、黄泉辻は嬉しそうに補足する。

「今年は一人じゃないって」

「そうっすか!じゃあ、来年はメチャクチャ勧誘して、すっごい大所帯にしちゃいますよ!そして、鴻鵠祭でもとんでもない事やります!絶対来て下さいね!」

 

 拳を握って力説する久留里を見て、俺は苦笑いが自然と浮かぶ。俺の様な凡人の考える『とんでもないもの』と違い、久留里なら本当に桁違いのものを作りそうだ。

「おう。……ちゃんとまほらも連れてな」

 そう言うと、久留里は嬉しそうに頷いた。

「絶対。約束っすよ」


 一年後の鴻鵠祭にまほらと黄泉辻と三人で行く。新しい目標が出来た。


 ――そして、時は少し遡り、和泉邸。


「秋水!本当に申し訳ない、うちのバカ息子が……!ほら、お前も頭を下げろ!」

 応接間に集まるのはまほらの父・秋水と、玖珂三月の父・俊一郎、そしてまほらの婚約者である遥次郎だ。


 遥次郎は和室の応接間で土下座をする様に頭を畳に擦り付ける。

「お義父さん、本当に、申し訳ありません……!」

 その言葉を聞いて秋水の苛立ちも最高潮。机に頬杖を突き、大きなため息をつく。

「お義父さん?君にそう呼ばれる筋合いは無いよ。俊一郎、お前私の事を虚仮にしているのかな?どいつもこいつもどれだけまほらを軽く見れば気が済むんだ。ほら、弁明があれば聞くだけ聞こうか。ん?どうした?」


 秋水は遥次郎を睥睨し、言葉を催促する。だが、ここで言葉を重ねても恥の上塗りにしかならない事がわかる程度には知恵の利く彼の選択肢は沈黙の一手しかない。


 蛙の置物の様に動かず口を開かない遥次郎を無視して、秋水は俊一郎に視線をやる。

「俊一郎。一応確認するが、君は私に謝罪に来たんだよな?」

「もちろんそのつもりだ。お前とまほらちゃんの気の済む様に、誠心誠意の謝罪に来たつもりだ」


 秋水はコクリと頷くと、指を二本立てる。

「他の相手ならどうあっても許さないところだが、私とお前の仲だ。条件が二つ。それで水に流そう」

 持参のバッグにいくつもの札束を用意してきた俊一郎。金で済むとは思っていないが、金はあるに越したことはない。とかく政治には金が掛かる。

 

「ありがとう。聞かせてくれ」

「まず一つ。当然ながら婚約は解消だ。そこのそれに大事な娘はやれない」

 条件と言うには馬鹿らしいほど当然の事。俊一郎はコクリと頷く。

「あぁ、それは勿論だ。……お前と親戚付き合いできるのを楽しみにしてたんだがな」

 俊一郎は申し訳無さそうに眉を寄せながら、寂しそうに笑う。百戦錬磨の現役閣僚のそれは、きっと社交辞令ではなく本心だ。秋水にもそれは伝わる。常に自身の一歩先を行く彼が鼻につくのは事実だが、秋水も当然俊一郎を憎からずと思っている。少し口元を弛めて、秋水は言葉を続ける。


「よく言う。そして、二つ目。そいつはもう秘書から外せ。絶望的に政治には向いていない。なにより目障りだ」

 それを聞いて遥次郎は驚き顔を上げる。

「なっ……、秋水さん!さすがにそれは――」

 コン、コン、コン、と秋水の指が黒檀の机を鳴らし、遥次郎の声を遮る。

(さえず)るな。俊一郎、そいつはもういいぞ。下がらせろ」

 

 一応謝罪はした。これ以上は火に油にしかなり得ない。俊一郎にも促され、遥次郎は苦渋の表情で応接室をあとにする。


「まぁ、飲もう!秋水!今日は久しぶりに二人でとことん飲もう!」

「……本当に悪いと思っているのか?」

 ライバルでありながら旧知の仲でもある二人。

「お前にもそうだけど、何よりまほらちゃんにな。そうそう、お前witter(ウィッター)って知ってるか?」

「当たり前だ。それがどうかしたのか?まさかお前そんな事も知らないのか?」

「いやいや、ちょっとこれを見てほしいんだけど――」

 俊一郎が示すスマホの画面を秋水は興味なさげに覗き込みながら、次第に瞳の色が変わる。

「ほう」

 画面に映るのは、玖珂とまほらのカップリングを望む世論。

「だから俺は最初に言っただろ?三月とまほらちゃんを結婚させようって。同じ歳なんだから遥次郎とよりよっぽど自然だろうが」

 無言で画面を眺める秋水の脳裏では、それを如何に次の選挙に活かすかの策が巡る。どう立ち回れば票が伸びるか。そして、ともに次期総理を狙う俊一郎をどうすれば出し抜けるか。

「ふむ」

 

 そして、密談は続く――。


 それを知らず、遥次郎は怒りに歯を軋ませながら足早に廊下を進み、出口へと向かう。

(……くそっ、ツイてない!まさかあの女未成年だとは。ガキみたいな胸した傷物女と結婚するんだから、ちょっとくらい息抜きしたってバチは当たらないだろうが。くそっ、くそっ!これでこの家の地盤を継ぐ話も無しか……、畜生っ!)

 

「あら」


 月明りの夜。渡り廊下の角から、弾む様な声がした。

 

「遥次郎さん」


 仮面を被った柔らかく優し気な微笑みを湛えてまほらは嬉しそうに遥次郎に声を掛ける。この自然で完璧な仮面を見破れるのは凪原か玖珂しかいないだろう。それは完全に大切な婚約者を迎える表情だ。

「あ……、あぁ。まほらちゃん」

 その表情は、遥次郎の中の僅かな罪悪感を増幅させるには十分なものだった。いつも自信に満ちて快活な笑顔を見せる遥次郎が浮かべるぎこちない苦笑い。それを見てまほらは心配そうに眉を寄せる。

「どうしたのですか?いつもの自信に満ちた朝日の様な遥次郎さんらしくも無い」

 そして、遥次郎の言葉を待たずまほらは言葉を続ける。

「あぁ。朝日は昇れば沈むのみ、でしたねぇ。無様ですこと」

 口元に手を当て、クスクスとまほらは遥次郎を嘲笑する。

「大丈夫ですよ。明けない夜はないって言いますからね。まぁ、貴方の夜は極夜かも知れませんけど」

 ――高緯度地域、極点では理論上夜が半年間続く皮肉。

 

 自分に従順なまほらしか知らない遥次郎。まほらの放ったその表情と一言で、一瞬にして頭に血が昇る。生来人に馬鹿にされた事など無い。自尊心は大きく、耐性は低い。

「……なんだと、コラァ!優しくしてればつけ上がりやがって、お前みたいな傷物女貰ってやるだけありがたく思え――」

 ラグビーで鍛えたその巨躯で、太い右腕で、まほらの胸元に掴み掛かる。


 ――次の瞬間。その手はまほらに触れる事なく、袖を引かれた遥次郎は一転、床を背に天を仰いでいた。

 


「気安く触らないで。私はもう貴方のものじゃないの」

 

 ゴミか汚物を見る様な目で、まほらは遥次郎を睥睨する。幼少時から護身術も修めるまほらにとって、勢いだけで向かってくる相手を転がす事など造作でも無い。


 そして、遥次郎の怒声を聞いて使用人達が集まってくる。

「お嬢様……!?」

「どうかされましたか!」


まほらは髪を手でなびかせて、小さくため息をつく。

「さぁ?盛りのついた山猿が急に私に触れようとしてきたのよ。びっくりしたわ」

 一般世間との乖離こそあれ、屋敷の人間は基本的に皆まほらの味方だ。遥次郎の醜聞を皆内心腹に据えかねていた。

 

「……遥次郎さま」

「見損ないましたよ」

「秋水様に知られる前に早急にお引き取りを」


遥次郎は使用人達に抑えられながら、屋敷をあとにする。

 まほらは小さく息を吐いて、手を胸に当てる。

 心臓は少しだけ早く拍を打っている。

 ――もう戻れない。

「……司くん」


 朝日は昇れば沈むだけ。そう言った自分の言葉を噛み締める。

 あとは玖珂と婚約して、結婚をするだけだ。玖珂ならば、上手い事父を懐柔して、両親の凪原への遺恨を和らげてくれるだろう。楽観的では無く、まほらはそう確信している。

 そうすれば、父に咎められる事なく、今までの様に三人で笑いあえるだろう。思い描いた、形を変えたまほらの幸せ。

 想像したら、なぜか少し胸が痛んで、当てた手を少し強く握る。

 空には月が浮かぶ。

 朝日はまだ、昇らない――。

 

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