伝説の生徒会長
――そして、生徒会長選挙当日。
副会長候補者の演説を終えると、続いて会長候補者の演説が始まる。公正なくじ引きの結果先手は久留里。壇の横に座っている城戸くんがさも当然とばかりに勝ち誇った顔をしている。ちなみに広報委員による前日の票読みでは、久留里72パーセント。まさに圧勝な空気を感じるのだが、彼はなぜそんなに自信があるのだろう?正直うらやましい。
生徒会長選挙は生徒会ではなく、選挙管理委員の仕切りになるので、壇上にまほらの姿はない。同じ校舎内にいるはずなのに、一度もその姿を見かけないのは、きっとあっちが避けているからなんだろう。
「今年はトイレ平気なのか?」
去年は不安と緊張で胃痛を起こしていた黄泉辻。トイレの方を指さすと、緊張の面持ちで首を横に振る。
「へ、平気。緋色ちゃんが頑張ってるんだから、あたしも頑張んなきゃ」
そんな久留里は壇上の舞台袖で、いつもと変わらず笑顔で楽しそうに係の人と話をしている。あいつの辞書に緊張の文字はないのか?
「それでは、第75回私立鴻鵠館高等部、生徒会長選挙演説を開始します」
選管のアナウンスが、今年も会長選演説の幕を開ける。
「2年E組久留里緋色さん。時間は5分です。皆さん、ご清聴をよろしくお願いします」
紹介を受けて、雨のような拍手と共に久留里は司会台に向かう。そして、ペコリと一礼をするとスタンドからマイクを取り口を開く。
「皆さん!おはようございますっ、2年E組久留里緋色です。……えっと、うちニュースとかで選挙見てて思ったんですけど」
久留里は唐突に世間話の様に語りだす。当然のようにメモを読んでいる気配は無い。
「公約とかあるじゃないですか?あれって別にやらなくても罰則ないんですよね?じゃあどうやって嘘かどうかわかるんすかね?」
久留里は真面目な顔で首を傾げ、一般的な選挙戦の根幹を揺るがす質問をする。
「だから、うちは思いました。じゃあ言っても意味ないなって!」
おそらく、全校生徒と教職員が呆気に取られる一言を言い放つと、久留里は両手を広げて楽しそうに笑う。
「別にふざけてる訳じゃないですよ?うちはだいたいこんな人間です。見てもらう以上の事はできないっすからね。今何分っすか?5分経ちました?」
話をしながら久留里は舞台袖に時間を確認する。身軽を好む久留里は腕時計なんて持っている訳もない。時間はまだ2分にも満ちていない。だが、久留里の演説は早くも締めに入る。
「最後に、公約が一つだけあります」
久留里は一転、真面目な顔になる。
「うちが生徒会長になったら、……零番規則を使います」
聞きなれない単語に生徒たちにどよめきが生まれる。『零番規則?』『知ってる?』『そう言えば聞いたことがある』『マジであんの?』生徒たちは口々に感想を漏らし、久留里はメモを取り出して言葉を続ける。
「ちょっと読みますね。えーっと、内部進学とか内申書がダメになる代わりに、たった一つだけなんでも生徒会長の権限で実行できる裏ルールっす。それを使うと、会長はリコールされて、即日信任投票が行われます」
その結果、80%の信任を得られなければ、会長は失職。例外的な短縮選挙戦が始まる、と久留里は告げた。
「要するに、うちは一つわがままを言いたいんです。その結果、すぐ辞めちゃう事になるかもしれません。だから、それでもいいと、と思ってくれる方のみうちに投票してください。以上っす!どうぞ、よろしくお願いします!」
多くの生徒の聞きなれない『零番規則』や『リコール』と言う言葉。演説が終わった後の拍手はまばらで、ざわめきやどよめきがそれに勝った。
壇上から降りる久留里と目が合った気がしたのは、きっと気のせいではないだろう。
そして、続く城戸くんの演説。んー、まぁ良くも悪くも練り上げられた演説と、実行可能か不能かわからない耳に甘い公約。それをプリントを片手に読み上げる。何度も練習したのか時間は5分きっかりに終わる。当たり前なんだろうけど、これが普通なんだよな。まほらや、玖珂や、久留里を見てみんな麻痺してんだよ。城戸くんはなにも悪くない。
だけど、正直言ってみんな城戸くんの演説なんて頭に入っていないと思う。零番規則って何なのか?久留里は何を望むのか?あいつの人柄なんて多分もう全校の生徒が知っている。そんなあいつが、進路を棒に振ってまで叶えたい『わがまま』って?
嫌な予感がして、俺は投票用紙に素直に久留里の名前を書けなかった――。
演説を終え、即座に投票が行われる。それを選挙管理委員総出で開票し、二時間も経たないうちに結果が出る。
結果だけ言うと、結果は久留里の圧勝だった。数字を出すのは野暮なのでここでは割愛する。
翌日、全校朝礼のあとで行われた就任あいさつ。全校生徒と教職員が注目する中で、久留里は口を開いた。玖珂とまほらの背中を見て、一年間憧れ続けた、生徒会長の椅子を失う言葉を。
「第75代生徒会長・久留里緋色の名のもとに、鴻鵠館規則第零番の実施を求めます。校長先生、承認を」
以前使われたのは30年近く前。あまりにリスクの大きすぎるこのルール。事前に聞いていなければ校長も困惑した事だろう。
「しょ、承認します」
あくまで、生徒会のルールなので、当然ながら決められるのは学園内の事のみ。久留里はやっぱり俺を見て、そして少し笑った。
「3年D組・凪原司センパイの停学処分の取り消しを求めます」
ついに明かされたわがままの内容に体育館は騒然となる。俺は、さぁっと体中の血の気が引いて、少し頭がグワンと揺れた気がした。久留里の一年間の頑張りはよく知っている。それを捨てる?俺のせいで?声を上げたかったが、声が出なかった。隣に立つ黄泉辻が、俺の制服の裾をつまんだ。
「え、えーっと。当該生徒の処分は7月の末で終了していますので、取り消す必要はないかと思いますが……」
ほかの教師から渡された資料をみながら校長が助言する。だが、久留里は毅然と首を横に振る。
「終了とかじゃなくて。その記録を消してくださいって言ってんすよ」
困り顔ながら、久留里は堂々とわがままを口にする。
「本当にやったかどうかなんてどうでもいいんです。や、本当はどうでもよくないんですけど、それを調べるのはムリじゃないっすか?だから、せめて!うちはセンパイの処分を記録から消して欲しいんですよ!」
シン、と体育館は静まり返り、久留里はにっこりと満面の笑顔で言葉を締める。
「じゃないと納得できないっす」
「くっ……久留里っ!」
思わず声を出してしまい、全校生徒の視線が俺に集まる。だが、久留里は笑顔で人差し指を口に当てる。
「静粛にっす。先生、承認は?」
「……承認します」
規則の範囲内であれば、校長だろうとそれを拒否する権限はない。それを聞いて久留里は満足げに微笑み、頷く。
「じゃあ改めて教えてください。凪原センパイの停学歴は?」
校長は、資料を見ながら言いづらそうに口を開く。
「い、一年時に教室から机を投げた件で、停学が」
それを聞いて久留里はあきれ笑いをする。
「ありゃ。なにしてんすかセンパイ、そっちはごめんっす」
体育館中に、一斉に笑いが広がる。
久留里は一度深く礼をして、壇上を降りた。教師からリコール後の手順説明があったが、俺の耳には全く入らなかった。
それから行われた信任投票の結果、久留里は65%の票を集めた。
再選要件は80%。それにより、第75代生徒会長・久留里緋色は、鴻鵠館の歴史に名を刻むことになる。就任一日で解職された生徒会長として――。