夏が終わり、選挙は始まる。
――九月、二学期の始まり。
俺にとって人生で一番長い夏休みの終わり。さすがに家を出る足が重い。心も重い。けれど、そんな事は言っていられない。
「司」
家を出ようとすると、後ろから爺ちゃんが俺を呼び止める。
「勝つんじゃぞ」
そう言って爺ちゃんはニッと笑う。頑張れでも、負けるなでもなく、『勝て』と。その一言が、ピッタリと俺の心にハマる。頑張っても、負けなくてもダメなんだ。勝たなければ、まほらと一緒にいられない。
「……はいはい、ぼちぼちやって来ますよ」
照れ隠しにそう言いはしたが、内心嬉しくて口元が緩んでしまいそうだ。
玄関を出ると、黄泉辻がいて境内のベンチに座っていた。
「あ、凪くんおはよっ」
「へい、おはよ。こんな所であうなんて奇遇だな」
あきれ顔で俺が軽口をたたくと、黄泉辻は楽しそうにクスクス笑う。
「こんな偶然もあるんだねぇ」
偶然もなにもここは俺の家。黄泉辻がいる理由なんて一つしかない。
「さんきゅー。正直今日はちょっと心強い」
「何のことかなぁ。あたしお参り来ただけんだけど」
そんな白々しい会話ですら胸に響いてしまう。
俺たちはそのままタクシーに乗り、校門に横付けして二人で登校する。俺は少し前で降りて別々で行くことを提案したが、黄泉辻は頑として譲らなかった。曰く、噂は噂で上書きするのがベストだよ!とのことで、確かにそれは同意だ。
「でも、その場合黄泉辻にもよからぬ噂が立つんじゃねぇの?」
タクシーを降りる直前、俺が問いかけると黄泉辻は自信に満ちた瞳で俺を見て、挑発的な笑みを見せる。
「今更あたしがそんなの気にすると思う?もう慣れっこだよ」
笑っちゃいけないんだろうけど、つい笑ってしまう。
「相変わらず、賢くねぇなぁ」
「ふふん、学年五位の凪くんから見たらそうだろうねぇ。ほら、降りるよ。エスコートしようか?」
「いらね」
当たり前の話だけど、俺の姿を見るとヒソヒソと小声で陰口か何かが聞こえてくるのがわかる。こういうのって周りが思うより本人にはわかるもんなんだな、と一つ勉強になった。何組か忘れたけど、もう一人のカンニング仲間の彼はどんな顔で登校したのだろうか?しかも二回目。
「凪原、おはよう」
教室に入ると、板垣が以前と変わらず挨拶をしてくれる。
「おう。おはよーさん。久しぶりっすね。髪切った?」
「……三か月も経てば切りもするだろう。何か困った事があったら言ってくれ。力になる」
「まぁ、あったらね。多分無いけど」
俺の席は窓際の一番前に代わっていて、後ろの席が板垣、隣が黄泉辻。俺の姿を見つけるとまつりさんも駆け寄ってきて、声をかけてくれる。
俺はやってないと思ってくれてる人、やってると距離を置く人、陰口をささやく人。当たり前だけど、色んな人がいる。けれど、それは俺には関係ない。冷たいようだけど、他人の評価を気にする程暇じゃない。
人の噂も何とやら、俺のカンニングなんて玖珂とまほらの幼馴染ストーリーに比べれば何の話題性も無い。自分で思うよりもすぐに、今まで通りの学園生活が戻ってくる。もともとそんなに人と話す訳では無いからさして影響も無い。
そして、久し振りの登校に慣れ始めた頃、生徒会長選挙が始まる。
立候補者は久留里と、学年一位の秀才である城戸と言う男子。下馬評では久留里の圧倒的優位。だが、選挙は蓋を開けるまで分からない。
去年は13人も立候補した副会長選挙は、今年も5人立候補した。そのうちの3人が一年なのは、きっと久留里の影響だろう。
登下校時、校門や昇降路で候補者たちが公約を掲げ、清き一票をお願いしている。応援演説として、その学年の有名人が候補者がどれだけ優れた清廉な人物であるかを口々に褒め称えた。そこに嘘があったとして、俺たちはどうやってそれを判断するんだろうな?
久留里の対抗馬の城戸くんも毎日校門に立ち、挨拶をして、ごみ拾いをした。けれど、彼が他の日にそれをしているのを見たことはない。別に悪いとは言わない。彼にとって選挙ってのはそういうものなんだろうな。対して、久留里は一度も校門に立たない。いつものように忙しそうに校内を走り回り、風紀委員からそれを咎められたりしつつ、色んな人の手伝いをする。すべての委員会研修を終えた久留里の次のターゲットは、全部活の体験入部らしい。
玖珂とまほらの背中を見て一年間過ごしてきた久留里が、どんな生徒会長になるのか。想像するだけで楽しみで胸が躍ってしまう。
話によると、城戸くんの家は旧華族の出で財閥系の良家らしい。玖珂程では無いが手段を選ばない人物であると、広報委員長の百舌鳥が楽しそうに教えてくれた。
選挙期間中、広報委員は大忙し。俺と黄泉辻は各団体の元を訪れて、聞き込みを行い票読みを行う。
公正を期すため、俺たちは久留里と接触ができないし、応援もできない。それで良い。あいつの戦いなんだから。
たまに校内ですれ違うと、久留里は小さくにひっと笑い、俺は眉を寄せてそれに応える。対立候補につつかれる隙を与えない様に、久留里もちゃんと勉強しているんだな、と思った。
投票、三日前。久留里65%、城戸くん35%。
『こんなに毎日校門で演説をして、奉仕活動をしているのに差が広がるなんて。……きっと不正をしているに違いない!あっちがそう来るなら、こっちだって考えがある』
城戸くんは協力者の友人にそう溢したらしい。自分がするから相手もするって思考になるんだろうな。でもな、城戸くん。偉そうに一つだけ教えてあげるけど、『毎日』ってのは選挙期間中だけじゃないんだよ。久留里は、一年間ずっとやって来たし、俺が知らないだけでその前からそうなんだと思うんだよ。
だから、あいつは一年にして副会長になったんだよ。
広報委員は期間中毎日号外を作る。……で、号外にも律儀に四コママンガが載っていることから、黄泉辻先生は大忙しだ。
「へぇ。花火行ったの?いいねぇ」
黄泉辻の送ったデータを見て百舌鳥がニヤニヤと楽しそうに感想を口にする。
「違っ……、ペンギンと犬くんがね!?」
「あはは、そうだった。間違えちった。ねぇ、これ手を繋いでる様に見えるんだけど、気のせい?」
「あっ!?うんっ!そそそ、そうだね!そうかもね!」
赤い顔で否定する黄泉辻は、本当に誤魔化せていると思っているのだろうか?