修学旅行・三日目 壊れぬ想い。
――伏見稲荷大社を出た黄泉辻班は、タクシーで次の目的地へと向かう。
次の目的地は京都駅から西、黄泉辻の希望した嵯峨野だ。
「なぁ、板垣の家って金持ち?」
「なんだ君は、藪から棒に」
タクシーで移動の途中、唐突な凪原の質問に板垣は眉を顰め、まほらはため息をつく。
「凪原くん、人の財布を探るのは下衆な行為よ?」
「いや、だってさ。今更だけど、移動フルでタクシーって……、割り勘でも予算的に……、ねぇ?」
まほらはさらに大きくため息をついて凪原に白い目を向ける。
「本当に今更ね。じゃあいいわ、あなた抜きで三人で割り勘すればいいんでしょ?」
「それはなんか違うじゃん?」
助手席に座る黄泉辻が心配そうに振り返る。
「凪くん、お金無い?」
「……あー、あるある。大丈夫」
隙あらば万札が出てくるので迂闊な事は言えない。
「で、一応凪原の質問に答えると、うちの家は両親のお陰で間違い無く平均的な一般家庭より裕福だ」
力強く断言する板垣に凪原は力なく笑い頷く。
「だよな。知ってた」
「だが、それは両親の話。僕は自分の小遣いはアルバイトで賄っている」
まほらは感心した様に板垣に視線を送る。
「へぇ、立派ね」
「……そう思うなら見習ったらいかがっすか?」
「凪原くん。良いことを教えてあげる。人は人、よ」
「へいへい、わかってますよ」
そんなやり取りをしているうちにタクシーは目的に至る。
緑の山々をバックに、木製の欄干を持つ長い橋が桂川を跨ぐ。水面には鏡の様に白い雲と、緑の山々と、青い空が映り、揺れている。
「じゃん、渡月橋です!」
タクシーを降りた黄泉辻は、両手を広げて自身の選んだ名所をアピールする。
「おぉ、長いな。どのくらいあんの?」
黄泉辻がチラリとまほらを見ると、まほらは「155メートルよ」と答える。
板垣は木製の欄干を興味深そうに眺める。
「歴史ある橋なのか?」
黄泉辻はチラリとまほらを見る。
「平安初期からあるとされているけど、今の橋は昭和九年に作られたものね。北斎の絵にもあるわね」
「なんて名前だっけ?」
凪原が問うと、黄泉辻はニッコリと笑顔で答える。
「渡月橋だよ!」
そして、四人は橋を渡り竹林の小径を目指す。
「そういえば」
橋を半分ほど進んだところで、まほらは呟く。
「この橋をカップルで渡る時に振り返ると別れるってジンクスがあるんですってね」
「付き合ってない場合はどうなるの!?」
まほらの前を歩く黄泉辻が声を上げ、まほらはクスクスと楽しそうに話を続ける。
「それも不思議な話よね。こんなに車も通っているのに。バックミラーはいいのかしらね?ふふっ」
「それを野暮っていうんすよ、まほらさん」
板垣と黄泉辻が前を歩き、少し後ろを凪原とまほらが歩いている。
「まっ、……まほらさん!いる!?」
「いるわよ」
不安に満ちた黄泉辻の呼びかけと対照的にまほらは楽しそうに答える。
「凪くんは!?いる!?」
面白がって凪原が無言で応えると、黄泉辻は隣を歩く板垣のカバンを引く。
「板垣くん、確かめてっ!」
そうは言われても板垣とて振り返りたくは無い。
「黄泉辻さん、すまない……!朝から首の調子が」
「えっ!?大丈夫なの?」
思わず心配して隣を向こうとするが、どこまで首を動かせば『振り返った』と判定されるか不明な為、板垣を見られない。
「うあぁ、怖くて振り返れないっ」
「お前のせいで心霊スポットみたいになったけど」
凪原は抗議をこめた白い目をまほらに向ける。
「あら、そう?」
やっとの思いで橋を渡りきり、しばらく歩いて四人は竹林に到着する。ここが、黄泉辻のメインの目的地だ。
「じゃじゃん、竹林の小径だよ!」
またも両手を広げて黄泉辻は名所を披露する。
そこは一筋の然程広く無い道。そしてその右も、左も、上も、辺りは見渡す限りの竹。竹の壁を笹の葉の天井が覆い、一度風が吹けば葉はオーケストラの様に多層的に重なり音色を奏でる。
「うぉ……、なんだこれ」
凪原は口を開けてぽかんと竹のトンネルを見上げる。
「ふふん。すごいでしょ?」
その表情を見て、黄泉辻は得意げに胸を張る。
「想像以上だな」
「ね、あたしも」
「あれ?来たことないの?」
凪原の隣を歩きながら、黄泉辻は嬉しそうに辺りを見渡す。
「うん、初めて」
歌でも歌いだしてしまうのではないか?と思うくらい上機嫌に黄泉辻は言葉を続ける。
「自由行動どこ行こうかな?ってガイドブック見て一目ぼれしちゃった。ここに皆で来たいなぁって」
距離にすると500メートルにも満たない竹に囲まれたその道を四人はゆっくりと歩く。時折風が吹くと立ち止まっては、目を瞑り揺れる葉の奏でる音色に身を任せる。空を見上げると、緑の天井の隙間に青空がのぞく。
「例えば博識なまほらさんはこの竹の名前がわかったりする感じ?」
凪原がへらへらと冗談半分で問いかけると、まほらは腕を組んであきれ顔で答える。
「孟宗竹。知ってて言ってるでしょ」
まさかの即答に凪原も苦笑い。
「いや、知らんけど。……というか、竹って何種類かあるんすね」
「野良犬にだって種類があるんだから、あるに決まってるでしょ。あなたの隣のやつは真竹ね」
「……なぜ野良犬を引き合いに出したかはおいてといて、違いは?」
口を開くたびにまほらのため息が深くなる。まほらの白く長い指が竹の節をぴっと指さす。
「一番簡単なのは節かしら?一本のものが孟宗竹。二重になっているのが真竹。常識よ?」
「へぇ。もしかして、タケノコにも種類ってあんの?」
凪原が軽い気持ちで問うが、それはまほらの知的好奇心の引き出しを開く事になる。
「凪原くん、タケノコと言うのはそもそも竹だし、一属一種のものってそんなに多くないわよ?」
「一属一種?」
「あなた本当に学年6位?ほかの近縁種が存在しない生物や植物よ。身近なところだと、イチョウや南天。生き物だと、カモノハシが有名かしら」
「……つーか、なんでもサラッと出てくるのなんなの?」
「知性と教養よ?」
二人のやり取りを遠目に眺めながら黄泉辻は嬉しそうにニコニコとほほ笑む。その笑顔を横目にチラリと盗み見つつ、板垣はぼそりと呟く。
「和泉さんは、なんというか、……一年前と比べるとだいぶ雰囲気が変わったな」
黄泉辻はそれを聞くと、勢いよく板垣を見て興奮した様子で何度か頷く。
「ね!昔からずっときれいな人だとは思ってたけど、まさかこんなにかわいい人だとは思わなかったよね!?」
凪原より背の高い板垣と比べると、黄泉辻は少し身長差がある。眼下で太陽の様に輝くその視線がまぶしすぎて、板垣は目を逸らす。
「か、かわいいかどうかは僕にはわからないが、柔らかくなったとは思うよ」
「分かりすぎるっ!昔を氷とするなら、今はゼリーだよね!?いや、プリン!?柔らかくて、甘いやつ!多分まほらさんって、元々あんな感じなんだよ!」
二人を見つめて嬉しそうに声をあげてから、黄泉辻はどこか羨ましそうに呟いた。
「……あれは好きになっちゃうよねぇ」
――その言葉が、誰に向けられたものか板垣は知っている。
小さく風が吹いて葉を揺らす。その小さな風を追い風に、呟いた黄泉辻の表情を見て板垣は決意を固める。
「……よっ、黄泉辻さん!」
板垣は声を黄泉辻の名を呼ぶ。中等部の頃から幾度となく男子からの告白を受けてきた黄泉辻にはその声だけで、これから起こる事がわかってしまう。
「なに?板垣くん」
黄泉辻は少し寂しそうに微笑む。今まで数え切れず告白をされた。かわいい、と。好きだ、と。傍にいたい、一緒にいたい、と。だが、その誰もが今黄泉辻の近くにはいないし、それどころか明確に敵意を向けた者もいる。だから、彼女にとって異性からの告白とは別れの儀式に他ならないのだ。
(できれば、違うといいなぁ)
黄泉辻のそんな思いをよそに、板垣は震える口を開く。
「僕は、君が好きだ」
板垣のまっすぐな声と視線。黄泉辻は寂しそうに微笑みながら、『うん』と頷く。
そして、申し訳ないとは思いながらも続く言葉が自動予測の様に浮かんできてしまう。『僕と付き合ってほしい』。そして、答えは『ありがとう、でもごめんなさい』と続く。おそらく勇気を出して告白してくれた相手に対してなんと不誠実な事かと我ながら思う。それでも、そうでもしないと彼女は自分の心を守れないから。
修学旅行は三日目。明日、帰るまで続く。どうか、気まずくなりませんように。
板垣は黄泉辻の表情が僅かに曇ったのを見て、慌てて言葉を続ける。
「あっ、違うんだ。僕と交際してほしいとかそういう事を言いたい訳じゃない」
想定問答から離れた答え。黄泉辻はきょとんとした顔で板垣を見る。
「どういう事?」
「……言葉通り、僕が君を好きだと知って欲しかっただけだよ。ん?だけ、と言うと少し違うな」
そう言うと、板垣は難しい顔で首を捻り言葉を選ぶ。そして、できる限り、最大限そこにピッタリとあてはまる言葉を選んで右手を差し出す。
「君が好きだ。だから、これからも友達でいてほしい」
堂々と差し出された右手。だが、それは自分の右手を左手で触れながら、困惑したまなざしで板垣を見る黄泉辻を見て、引きつった笑顔とともにおずおずと引っ込んでいく。
「……ち、ちょっと気持ち悪かったかな。でも、どうか、距離を置かないでもらえると――」
言葉の途中で、板垣の右手を黄泉辻の両手が力強く覆う。小さく、柔らかいその手で板垣の手を掴み、黄泉辻は板垣を見上げる。
「置くわけないじゃん」
黄泉辻は、照れくさそうにしながらも意地悪そうに笑う。
「距離感近くて勘違いさせるってよく言われるんだから」
板垣もそれに答える様に笑う。
「それは勘違いする方が悪い。それが君の距離なんだから」
初めて言われたその言葉。黄泉辻は『そっか』と短く答えた。
関係が壊れない告白があるんだ。黄泉辻は初めての経験に、一人口元をゆるませた――。




