修学旅行・二日目夜 凪原と玖珂の夜
――修学旅行・二日目の夜。この日は六人部屋の大部屋での宿泊となる。
「ウェーイ!枕投げしようぜ、枕投げ!」
「するか!少しはおとなしくしてろ!」
クラスのムードメーカー的な男子・田中村一朗太が枕を掲げて参加者を募るが、板垣に一蹴される。
「わかった、じゃあおとなしく恋バナしようぜ!和泉様と黄泉ちゃんは禁止カードな」
「……訳が分からん。そんなものに参加する義理も道理もない」
「そっかぁ~。じゃあ別のやつに聞くからいいや。凪原――、いやあいつは禁止カードしか持ってないからいいや」
自分で言っておいて田中村は羨ましさをかみ殺すようにぼやく。
――だが、その時凪原はすでに大部屋を後にしている。
(……はぁ。案の定、ああいうノリ苦手なんだよなぁ)
そんな事を思いながら、小さくため息をついて肩を落とす。そして、ブラブラと旅館内を散策する。由緒ある高級日本旅館と言った佇まい。ジャージの裾をまくり、首からタオルを下げてペタペタと廊下を歩く。
長期戦も視野に、スマホの充電器も手にして館内に安住の地を求める。
フロントを通りがかると、銀髪長身で浴衣姿の男が何やらフロントの女性と談笑しているのを発見。――当然、玖珂三月だ。
「おや、玖珂センセー。なにしてんすか、こんなとこで」
「ん?見ての通り」
玖珂は涼しげな笑顔で答える。
「ははぁ、見ての通りか。お姉さん、サインとか貰ったんすか?」
受付にいた20代中頃位の女性は慌てた様子で両手を振る。
「いっ、いえ!そんな三月さんのご迷惑になるような事は!」
どうやら、熱心なファン過ぎてサインの申し出ができなかったらしい。玖珂としても学内ならともかく、一般の人に『サイン要る?』と聞くほど傲慢でも自意識過剰でも無い。
「ほら、ファンじゃん。センセー、ここはおひとつ」
「あはは、言ってくれればいいのに。書くものある?」
そう言うと、受付の彼女は真っ赤な顔でフロントの下から色紙とサインペンを取り出す。どうやら、宿泊リストに鴻鵠館の名前を見たときから『機会があれば』と忍ばせておいた様子。
「名前は?」
「……東雲春子、です」
「いい名前だね。字は?季節の春でいいの?」
優しく微笑みながらスラスラと色紙にペンを走らせる。玖珂が記す自身の名前を見つめて、東雲は今にも泣きださんばかりに両手で口を覆う。
「名前を書くのは転売対策にもなるしねぇ」
「相変わらず一言多いな、あんた」
「はい、出来た。どうぞ、春子さん」
「……あ、ありがとうございます!家宝にします、絶対!」
凪原は玖珂を指さして、ヘラヘラと東雲に話しかける。
「写真とかも多分オッケーっすよ。撮りましょうか?」
「可能なんですか!?ちなみに、いっ、一枚おいくらで……?」
「無料、無料。なっ?センセー」
「そりゃもちろん構わないけど、なんか釈然としないなぁ」
「気にすんな。つーか、あんたなんで浴衣なの?旅館内はジャージだろ?」
「ん?僕が浴衣着てたらみんな嬉しいだろ?」
「おっしゃる通りです!……じゃ、じゃあコレで。ギガ全部埋めてくれて構いませんので」
「了解っす」
気安く請負い、凪原は東雲からスマホを受け取り、パシャリと写真を撮る。連射で、何枚も続けて撮る。
「一応伊達メガネ持ってるけど、掛ける?」
「バージョン違い!是非お願いします!」
凪原、再びの連射撮影。
撮影を終えると、東雲は凪原に心の底から感謝して、深く何度も何度も頭を下げた。凪原と玖珂はそのまま受付を後にする。
「いやぁ、あそこまで感謝されると気持ちがいいよな」
「だねぇ」
「じゃ、センセー。俺はこの辺で」
少し歩いてから凪原が別れを告げると、玖珂はそれを引き留める。
「まぁまぁ。君どうせ行くとこないんだろ?よかったら僕の部屋で少し話さない?」
「……僕の部屋、って。一応聞くけど大部屋じゃないよな?」
「あはは、なんで僕がそんなところに泊まらなきゃいけないんだよ」
玖珂は当たり前のようにケラケラと笑う。
「重ねて聞くけど、殺されたりはしない?」
冗談めかしてそう聞くが、当初の印象と異なり、今の玖珂がそれをするとは到底思えない。
「まぁ、お望みとあれば」
「望まねぇよ」
「おっけー。じゃあ、行こうか」
浴衣の袖に手を入れ悠然と歩く玖珂。凪原はその後ろをついて歩く。
――凪原たちの泊まっている棟と、渡り廊下で繋がる別館。その一階の一番奥に玖珂の部屋があった。
「……まじか」
部屋にはダブルベッドが一つ。おそらくは1~2名用の客室は、広さが凪原たちの大部屋くらいあり、なんと窓の外には専用の露天風呂がある。
「食べ物とか食べたかったらルームサービスも呼べるから。まぁ、座って座って」
「失礼しまーす」
凪原はソファに腰を掛ける。
玖珂は冷蔵庫から炭酸水の瓶を取り出し、栓を開けて凪原へと差し出す。
「はい、どうぞ。お茶かコーヒーが良ければそっちからご自由に」
「あ、お構いなく」
凪原は炭酸水の瓶を口につける。シュワシュワと泡が口腔を刺激し、喉を通り抜ける。
「友達いない身としては6人部屋は地獄だよねぇ。気持ち分かるよ」
玖珂は人懐っこい笑顔で軽く頷き、凪原は玖珂に白い目を向ける。
「あんたと6人部屋になる相手の方が地獄だろうよ」
「ひどい事言うなぁ」
「前から聞いてみたかったんだけどさ」
と、凪原が切り出すと、玖珂は『どうぞ~』と軽く答えて手で促す。
「その気になれば相手に無実の罪を押し付ける、ってどの程度本当なのかなって」
想定していた質問と異なっていたようで、玖珂は肩透かしを食らったように苦笑いを浮かべる。
「なんだ、そんな事か。僕も鬼じゃないんだ。いくらなんでもそう簡単に人を貶めるような事はしないよ」
ニコニコと笑いながら、言葉を続ける。
「人、はね。人間とは思えないようなやつは、まぁ知らない。あはは」
その答えで凪原は何となく腑に落ちる。暫く玖珂と接してきて、自分のわがままでそんな事をする様には思えなかった。事の善悪は別として、おそらくは彼なりの信念に基づいたものなのだろう。そして、それを周囲が過大に恐れ、それを彼は利用した。
「じゃあ、次僕の番」
短くそう告げた玖珂の顔からは笑みが消えていた。おそらく彼が、凪原の事を知ってからずっと聞いてみたかった言葉を呟く。
「なんでまほ?」
端的に、言葉も削り、まっすぐに、玖珂は問う。その瞳は、軽口で逃げたりはぐらかす事を強く、明確に拒否するものだった。
「なんで黄泉ちゃんじゃだめなんだ?家もいい。見た目も性格もいい。胸も大きくて君にベタ惚れ。言うことないだろ」
その言葉に凪原の心がザラつく。
「……黄泉辻の事をそんな風に言うのやめろ」
「じゃあ答えなよ。なんでまほじゃなきゃダメなんだよ」
言われて改めて考える。初めて出会った鯉の池。夏祭り。受験勉強。夏の公園。そして、事故。考えても答えなんか出ない。鯉に餌をあげた時には、いや、もしかするとその後ろ姿を見た時から、凪原は彼女に惹かれていたのだから。
「わ、……わかんねぇよ、そんなの」
絞りだしたのははぐらかしでもなんでもなく、紛うことなき凪原の本心。
それを聞いて玖珂はクスリを笑う。
「わかる。僕もそうだから」
柔らかな玖珂の声に、凪原はキョトンと毒気を抜かれる。
「僕も同じだよ。……いつの間にか好きになって、聞かれても何処が好きかなんて答えられない。この僕が、だよ?」
並外れた自身の知性や分析力をもってしても分からない事を言外に玖珂は告げる。
「で、君はどうしたいの?」
――何を?まほらを?
まほらや玖珂と比べると、凪原の思考瞬発力は格段落ちる。それは当然。比べる相手が悪いし、それは玖珂もよく分かっている。だから、補助線を引く様に、言葉を続ける。
「今の、……ままごとみたいな主従関係を続けてれば、あの子が自由になれるとでも思ってるのかい?」
脳天をハンマーで殴られた様な衝撃。考えたことが無いわけではない。だが、具体的に何か動き出しているわけではない。鴻鵠祭で朱雀賞を取ろうと、試験で上位を取ろうと、そんな物では和泉家は……秋水はびくともしない。
ならば、どうするのか。
「悪い。……まだ、わからない」
玖珂は呆れ笑いを浮かべて小さくため息をつく。
「悠長なこと言うなよ、時間は有限だ。もう幕は上がってるんだ」
意地悪でも、策略でもきっと無い。捻くれ者の凪原にしても恐らく、純粋な助言に聞こえる。
「なんで俺にそんな事を?」
「聞けば答えが返ってくると思うのは甘えだね。そこで――」
玖珂は傍から将棋盤と駒を取り出してにっこりと笑う。
「将棋で勝ったら教えてあげよう。あはは、修学旅行と言ったら恋バナと将棋だよねぇ」
「え、まじ?」
そう言う間に玖珂は縁側のテーブルに将棋盤を広げ、パチパチと駒を並べ出す。
「マジだよ。典善さんの孫なんだから指せるんだろ?ほら、飛車角落ちでいいから」
「そりゃ一応指せはするけど」
「ほら、並べて並べて」
結局、飛車角落ちだろうと、六枚落ちだろうと凪原は玖珂に勝つことは出来ず、玖珂がサービスにと「君が思ってるより時間はないよ」と呟く頃には、時計は零時を回っていた。
時計の針が時を刻む音が、二人に等しく時を進めた――。




