[短編] 魔王は死ぬ。だが最後に勇者だけは殺す。
長編版を書きました
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玉座の間は、神々の骸が転がる墓所のようだった。
数百年にわたり大陸に君臨した魔王ガヴェルの肉体は、その機能の大半を失いつつあった。空間そのものを歪めるほどの魔力は霧散し、代わりに聖なる力が満ちる。荘厳であったはずの広間は見る影もなく崩落し、砕けた柱と裂けた床が、永きにわたる戦いの終わりを告げていた。
その中央に、魔王は立っていた。
若き勇者パーティーの猛攻が、その巨体を絶え間なく打ち据える。
「オオオオオオッ!」
大剣を担いだ筋骨隆々の剣士――ゴードンが、渾身の力で斬りかかってくる。その一撃は城壁すら砕くであろうに、魔王の腕はそれをたやすく受け止めた。だが、その衝撃で腕の骨が軋む。
その肉体の苦痛を、魔王の内なる魂――かつて「カイン」と呼ばれた男の意識は、どこか他人事のように、冷静に観測していた。
(そうだ、それでいい……! その腕力、見事だ、剣士よ)
魂が、声なくして称賛する。
間髪入れず、賢者サシャが紡いだ極大魔法が炸裂する。無数の光の槍が、幾何学模様を描きながら魔王の全身を貫いた。肉体が大きくよろめき、焼け爛れた傷から黒い血が噴き出す。
しかし、肉体は即座に闇の障壁を展開し、次なる追撃を相殺する。それは彼の意志とは無関係に、最適化された動きで反撃を行う、完璧な戦闘機械だった。
(あの魔法……リリアを思い出すな……。いや、彼女以上か)
カインの魂に、遠い記憶がよぎる。
その時、パーティーの後方から、清浄な祈りの光が放たれた。聖女ハンナの治癒魔法だ。それは勇者アルベルの傷を癒し、同時に聖なる余波が魔王の肉体を焼灼する。闇の存在にとって、その光は猛毒に等しい。肉体が苦悶の咆哮を上げた。
だが、カインの魂は、その光に安らぎすら覚えていた。
(ああ……マティアス……君の祈りも、そうやって私を癒してくれた……)
カインは歓喜していた。自らを滅ぼす光の到来を、心の底から歓迎していたのだ。
そして、全ての援護を受け、光の中心に立つ存在――勇者アルベルが、聖剣を構えて駆けてくる。その姿に、カインの磨耗しきった魂の底から、決して忘れることのできない、遠い日の記憶が鮮やかに蘇った。
◇
かつて、カインは魔王でも、勇者でもなかった。ただの、ありふれた一人の男だった。
大陸の片隅の、日当たりの良い村で、彼は石工として働いていた。彼には愛する妻がいた。太陽のような笑顔を持つ、エラーラという女性だった。
「お帰りなさい、あなた」
仕事で汚れたカインを、エラーラはいつも嫌な顔一つせず、柔らかな笑顔で迎えてくれた。彼女の焼くパンの匂いが、カインにとっては何よりの幸福の香りだった。
やがて、二人の間には娘が生まれた。ニーナと名付けた。たどたどしい足取りで彼に駆け寄ってくる小さな体、全てを信頼しきった目で彼を見上げる瞳。カインは、このささやかな幸福を守るためならば、どんなことでもできると思っていた。ニーナの誕生日に、不格好な木彫りの人形を贈った時の、娘の弾けるような笑顔を、彼は生涯忘れることはないだろう。
その全てが、ある夜、唐突に奪われた。
仕事を終えて村への道を急いでいたカインは、遠くから上がる黒煙に胸騒ぎを覚えた。そして、彼が見たのは地獄だった。村は魔物の群れに襲われ、炎と血に染まっていた。
彼は我が家へと走った。祈るような気持ちで、扉を開けた。
そこに広がっていたのは、静寂と、死だった。食卓は覆り、壁は血で汚れ、そして、エラーラとニーナは、二度と動かぬ姿で寄り添うように倒れていた。ニーナの小さな手は、彼が贈った木彫りの人形を、固く握りしめていた。
声も出なかった。涙も出なかった。ただ、世界から色が消え、音が消えた。
絶望の淵で、彼は運命を呪った。神を呪った。そして、何もできなかった己の無力さを、腹の底から呪った。
その時だった。天啓が下ったのだ。
――汝を、勇者とする――
それは救いではなかった。神の慈悲ではなかった。だが、復讐の力を与えられたのだと、カインは理解した。彼は、その暗い歓喜に身を震わせた。
王城に召喚された彼は、そこでかけがえのない仲間たちと出会う。
彼の瞳の奥に宿る、復讐の炎を見抜き、それでも「その怒り、正しい道のために使え」と、父のように導いてくれた老騎士のダリウス。
彼の無鉄砲で荒々しい戦いぶりを「見ていて飽きない」と不敵に笑い、その背中を桁外れの魔法で守ってくれた、天才肌の女性魔術師リリア。
そして、彼の魂が抱える深い闇と渇きを憂い、決して踏み込みはしないが、いつも静かにそのための祈りを捧げてくれた、物静かで心優しい神官のマティアス。
洞窟での野営の夜。焚き火を囲んで、リリアの軽口にダリウスが「女傑め」と呆れ、マティアスが困ったように笑い、そしてカインも、いつしか自然に笑っていたことがあった。復讐心しか無かったはずの心が、温かいもので満たされていくのを感じていた。
彼らとの旅の中で、カインは失っていたはずの「誰かを守る心」を、少しずつ取り戻していったのだ。
その力は絶大だった。カインの復讐心と、仲間との揺るぎない絆が合わさり、破竹の勢いで魔王軍を蹴散らした。そして、ついに先代の魔王を討ち果たした。
仲間たちが歓喜の声を上げる中、カインはただ、目的を失った巨大な空虚感に苛まれていた。だが、それでも良かった。この仲間たちとなら、この空虚もいつか埋められる。新しい人生を、始められる。そう、本気で思い始めていた矢先だったのだ。
◇
聖女ハンナの治癒の光が、再びガヴェルの肉体を焼く。その清浄な聖なる力が、カインに最悪の記憶を呼び覚ました。あの日の、マティアスの優しさと、彼を殺めた時の、手のひらに残る感触を。
(やめろ……思い出すな……!)
魂の叫びも虚しく、悪夢が蘇る。
英雄として王都に凱旋した数日後。カインの体に、二度目の、そして絶望の天啓が下った。
――次なる魔王は、汝である――
理解する間もなかった。肉体が内側から乗っ取られていく。最初は、悪夢だった。自分が魔物になり、仲間を襲う夢。
やがて、それは現実を侵食し始めた。ふとした瞬間に、指が意志に反してピクリと動く。思考の端に、残忍で破壊的な衝動が閃光のように過る。それに恐怖し、必死に抵抗しようとするが、その抵抗は日を追うごとに弱まっていった。鏡に映る自分の瞳が、時折、禍々しい光を宿すようになった。
そして、あの悪夢の夜が来た。
完全に魔王ガヴェルへと変貌した肉体が、王城の、かつての仲間たちがくつろぐ談話室に現れた。
「カイン、どうしたんだ! その姿は!」
ダリウスが驚き、それでもカインを庇うように剣を抜く。
「よせ、何かの間違いだ! しっかりしろ、カイン!」
リリアが悲痛な声で叫びながら、防御魔法の詠唱を始める。
マティアスは、ただ、悲しげな目で彼を見つめていた。その瞳は、彼が魔王になったことではなく、その内側で苦しんでいるであろうカインの魂を、ただ案じていた。
(やめろ、やめてくれ! 私の体だ、言うことを聞け! 頼む、彼らを殺さないでくれ!)
魂が絶叫する。だが、その声は誰にも届かない。
ガヴェルの腕が、無慈悲に振るわれた。ダリウスの誇りだった大盾は、紙のように砕け散る。リリアの詠唱は、絶望の中で声にならずに途切れた。そして、最後まで彼の魂に祈りを捧げていたマティアスの胸を、その禍々しい爪が、何の抵抗もなく貫いた。
「あなたの……魂に……安らぎが……あらんことを……」
それが、親友の最期の言葉だった。
彼は、特等席で観るしかなかった。親友たちの死を、自らの手による殺戮を。
この瞬間、勇者カインの魂は、修復不可能なほどに砕け散り、永劫の地獄へと突き落とされた。
◇
戦いは最終局面に差し掛かっていた。
アルベルたちの見事な連携攻撃が、ガヴェルの肉体を確実に追い詰めていく。その一つ一つの攻撃が、カインにとっては希望の光だった。
彼は、この数百年を思った。
魔王として君臨した、長きにわたる精神的拷問。彼は、この城を「魂の牢獄」と呼んでいた。彼は王ではなく、誰よりも惨めな囚人だった。
ある時、魔族の軍団長たちが謁見し、人間界への大規模な侵攻作戦を上申したことがあった。ガヴェルの肉体は、玉座にふんぞり返り、的確な指示を威厳たっぷりに下していた。だが、カインの魂は「そんなことをしてはならない」と叫んでいた。この乖離の地獄。
彼は何度も自滅を試みた。城の尖塔から身を投げたこともある。だが、肉体は勝手に飛翔し、無傷で帰還した。食事を断っても、肉体は魔力だけで活動を続けた。世界の「システム」は、彼が「魔王」としての役割を終えるまで、死ぬことすら許さなかったのだ。
いつしか、彼は祈るようになっていた。この呪われた肉体を滅ぼし、魂を解放してくれる、次なる「勇者」の到来を。
(そうだ、それでいい。君たちの剣は、魔法は、祈りは、私にとって唯一の救いだ)
魂が安堵に震える。
(長かった……本当に、長かった……。もう、疲れたのだ……)
そして、その瞬間は訪れた。
勇者アルベルが、仲間の全ての援護を受け、最後の力を振り絞る。その聖剣が、まばゆい光を放ちながら、ガヴェルの心臓を正確に貫いた。
肉体の機能が停止する。魔王としての束縛から、カインの魂が、ほんの一瞬だけ、澄み渡るような自由を取り戻した。
死に行く視界の中、彼は見た。
目の前の勇者アルベルの魂に、自分と全く同じ、禍々しい「印」が、ごく微かに、しかし確かに刻まれているのを。
魔王を倒した英雄が、次なる魔王となる運命の徴。
カインの脳裏に、鮮明なビジョンが流れ込む。
英雄となったアルベルが王都に凱旋する。やがて内側から魔に蝕まれ、あの陽気な剣士ゴードンを、冷静な魔法使いサシャを、心優しき聖女ハンナを、その手で惨殺する。仲間を殺したその手を見て、狂ったように絶叫する、未来のアルベルの姿。かつての自分と全く同じ、悪夢の光景。
(……そうか。そうだったのか……)
カインは、全てを理解した。これは、呪いなどではない。世界の〝法則〟そのものだったのだ。神か、世界か、あるいはただの摂理か。英雄と魔王を定期的に生み出し、互いに殺させ、そして入れ替える、悪趣味で、残酷な戯曲。
(駄目だ……!)
彼の魂に、最後の、そして唯一の目的が灯る。
(この若者に……この、本当の英雄に、私と同じ地獄を歩ませてなるものか……!)
◇
カインは、消えゆく魂の、最後の残り火の全てを燃やした。
それは、勇者として仲間を愛した記憶、魔王として仲間を殺した絶望、その全てを懸けた、彼の人生最後の「英雄的行為」だった。
彼の魂は、肉体に残った「魔王のシステム」に、最後の抵抗を試みた。システムは肉体を再生させ、維持しようとする。だが、カインの意志は、その力を乗っ取り、全く別の目的のために再構築を始めた。
彼は決断した。アルベルを、「魔王になる前に殺す」と。それが、アルベルにとっても、彼の仲間たちにとっても、唯一の救済だと信じて。
彼は、アルベルに芽生え始めた「魔王化の呪い」に、自身の魂を触媒として干渉する。その呪いを、強制的に捻じ曲げ、加速させたのだ。緩やかな魂の死ではなく、急速な肉体の死をもたらす呪いへと。
「禁術の33――〈零刻の邪痕〉」
死にゆくガヴェルの肉体が、最後の力を振り絞って呪詛を放つ。アルベルは、それが魔王の最後の悪意だと信じて疑わなかった。
(許せ、若き勇者よ)
カインは心の中で謝罪する。
(君に、私の地獄は渡さない。君の仲間は、君の手で死なせてはならない。これが、〝勇者カイン〟にできる、ただ一つの、そして最後の仕事だ)
紫黒色の光がアルベルに吸い込まれるのを見届けながら、カインの意識は、感謝と、絶望と、そして一縷の希望と共に、永い眠りへと落ちていった。
最後に彼の脳裏に浮かんだのは、かつて守れなかった妻エラーラと、娘ニーナの笑顔だった。
(……今、行くよ)
それは、数百年ぶりに訪れた、心からの安らぎだった。
こうして、魔王は死んだ。
だがその最後の呪いは、憎悪ではなく、絶望的な愛の形をしていたことを、知る者は誰もいない。
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[短編] 魔王を倒した後、最後に勇者は死ぬ。
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