運命線の終点
俊也、佐紀音、リオン、ケンジ、ツバキの両親は、大空を落下している。
「うわああああああああ!?」
赤髪の佐紀音が叫びを轟かせる空は、地平線の先まで晴れ渡り、目下には、ビルが立ち並ぶ東京の街並みが広がっている。
「さきねぇ!このままだと私たち、死んじゃうよ!!ケンジおじさん、なんとかしてよおおおお!!」
リオンが風にあおられてクルクルと回転しながら、隣のケンジに懇願した。ケンジは、この世界において、描いた絵を現実の世界に召喚する力を持っている。
だが、ケンジは、ここでも冷静で、凛としたすまし顔をして、淡々と返した。
「……今、飛行機を出そうとしたのですが、できませんでした。どうやら、ここは、わたしたちが元いた世界のようです」
「え……じゃあ、このままみんな、地面とごっつんこして死ぬってこと……?」
「奇跡でも起こらない限りは……おそらく、そうなるでしょう」
「いやああああああ!!」
リオンの涙が太陽へと吸い込まれて、キラキラと輝いた。
このまま落下を続ければ、いずれはアスファルトの地面と衝突して、即死するだろうと、その場の誰もが思った。
だが、追い打ちをかけるように、佐紀音の全身を、アネモネの赤い花びらが覆い隠した。
「え……ちょっと!?」
花びらが風に流されて、その中からは、元の佐紀音の姿が現れた。黒髪で、黒いパジャマ姿の彼女は「魔法が……解けた?」と、どこか他人事のように、信じられないと言うように言葉をこぼした。
次に異変が現れたのは、俊也だった。
「あ……あれ?」
「俊也!?」
「俊也さん……?」
「しゅ、俊也!!」
彼の体から、椿の赤い花が溢れ出した。それも、空を覆い尽くさんとばかりの大量の花びらが、彼の体から噴出している。
――手が、脚が、胸が、髪が、服が……彼のすべてが、椿の赤い花びらに変わりつつあった。
母が、彼の腕を掴もうとすると、そこが即座に花びらになってしまう。
「俊也!!なにこれ!?」
「ああ……俺、たぶん、元の世界に戻るんだと思う」
元居た世界とは、つまり、彼が元々生きていた運命線ということ。
おそらく、これでお別れなのだろうと、彼は悟っていた。
「ダメっ!!」
佐紀音が、落下しながらも必死に腕を伸ばして、身体をよじって、彼に近寄った。――彼が心を病んだ、あの日のように、柔らかに、優しく抱きしめたいと思った。
「ああ……ああ……!!」
だが、佐紀音の腕が回った腰のあたりが、椿の赤い花びらになって、風に流されて、消えてしまう。腕も、胸も、少しずつ、花びらに変わっていってしまう。
別れなんて、嫌だ。
また、ホラーゲームでギャーギャー騒ぎたいし、また、4人で年越し配信したい。俊也の分の唐揚げも、すき焼きも残ってるから、パパとママを合わせた6人みんなで食べたい。
けれど、佐紀音の願い虚しく、彼の体は、少しずつ花と化して消えていってしまう。
「さきねぇ……大丈夫だよ」
「え……?大丈夫なわけないじゃん!お別れが悲しいことだって、俊也が一番わかってるんじゃないの!?」
彼は、高校生のときに、大好きだった人を亡くしている。だから、人との別れが辛いことなのは、彼がこの中で一番理解しているはずなのに、どうして、すました顔ができるのかと、佐紀音は、叫びたい気持ちでいっぱいだった。
「私、嫌だよ……」
「お、お父さんも、もっと、君の話を聞いてみたい。君が……世界の違う【我が息子】なのだろう……?そうなんだろ!?だったら、赤首家の養子として温かく受け入れるさ!!」
「そ、そうよ!私たちが頑張って働けば、それぐらいの余裕は作れるわ!」
リオンも、父も、母も、俊也に寄った。
彼は変わらず、椿の花びらと散る。
――ただ、彼の表情は、これまでに類を見ないぐらい、穏やかだった。
自由落下によって吹き付ける風に眼鏡を奪われたケンジが、俊也の黒い瞳を真っすぐに見つめる。
「俊也さん、気分は晴れましたか?」
「はい。みんなのお陰で、俺自身の良いところに気が付きました」
「それは良かった……それはそれは……」
ケンジは、それきりで、黙り込んでしまった。
「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!俊也が居なくなったら、ウチ、どうやって生きていけばいいの!?また病むって、絶対!!もう立ち直れる自信ないよ!」
「さきねぇなら、大丈夫。だって、運命線が違うだけの俺だもん。俺がなんとかなったんだから、佐紀音なら、余裕だよ」
「ど、どうして……そんなわけないじゃん!」
「さきねぇは、お喋り上手でしょ?それで、Vライバーと配信っていう自分の好きなことを続けられる力もある。ゲームも上手いし、好きな事だったら、とことん打ち込めるタイプだから、大丈夫」
空中で手を繋ぎ合った二人のツバキ。佐紀音は頬を真っ赤にして涙で顔を汚し、俊也は風によって眼鏡を奪われるも、柔らかい表情を堅持している。
不安だ、心配だと繰り返す佐紀音に、俊也は優しく、そして、確信をもとに言った。
「俺が居なくても、さきねぇは強く生きられるよ」
「ぐすっ……んんっ、やっぱり嫌ぁぁぁ……!」
一年近く、二人三脚で配信を盛り上げて、半ば同棲しているような状態で過ごしてきた、まさに【相棒】との別れを拒否できるなら、ノーと言いたい。
これからもずっと、もっと……配信やVライバーという文化が廃れるまで、俊也と一緒に、配信をやりたいし、人生の模範になってほしいと、佐紀音は、腹の底から、そう思っていた。
「俊也のこと、めっちゃ大好きなんだよ!人間としても、ウチのマネージャーとしても、俊也のことが、大大大大好き!!ほんとに!!無限の時間があったとしても『好き』って伝えきれないぐらい、大好き!!」
「……ふふ。自分のことが好きになるって、変だな。まあ、俺も、さきねぇのこと大好きだし、みんなのことも、大好きだし、尊敬してるし、感謝してる」
俊也は、珍しく、笑いで凛とした表情を壊されていた。
「もう、たぶん、二度と会えない。でも、俺は、みんなのこと忘れない」
俊也は、彼の周囲を一緒に落下している佐紀音、リオン、ケンジ、両親とを順に見た。
佐紀音以外の人は、俊也の世界で会えるだろうが、それは「この世界の思い出」を知らないみんななのだ。特に、俊也の世界のリオンとケンジは、俊也の名前も顔も知らないだろう。
だから、伝えられる感謝は、全部伝えたいと、俊也は思っていた。
「これもあるし」
俊也がポケットから取り出して、佐紀音に見せたもの、それは……
「あ、それって……」
「覚えてるでしょ?草津で、お揃いで買ったやつ」
――草津温泉で、買ってもらったぐんまちゃんストラップだ。俊也も佐紀音も、お揃いで持っている。
「これを部屋に飾っておけば、この世界で過ごしたことを思い出せる。さきねぇも、飾っておいてよ」
佐紀音は「私のは、カバンにちゃんと付いてるよ」と言って、彼が見せたストラップを撫でた。
彼と彼女の手が触れ合って、その温かさと思い出の数々を交換した。
だが、無情にも、思い出話を話し尽くす猶予は与えられなかった。
「ああ……いよいよか」
俊也の四肢が椿の花となりつつあり、いよいよ頬や頭蓋の一部も、色が、椿の紅に変わりつつある。
本当の別れが近いことを悟った俊也、そして、周囲のみんなは、彼を囲った。その一人ひとりと顔を合わせ、視線を交えて、最後の交流とした。
「さきねぇ、リオンさん、ケンジさん、母さん、父さん……ありがとう。みんなのお陰で、俺は、俺自身の素晴らしさを教えてもらった」
まずは、佐紀音から。この中で一番、関わった時間が長く、配信や寝食さえも共にすることがあった、大切なパートナーと言える存在であった。
彼はあえて、佐紀音という、彼女のVライバーとしての名前ではなく、本来の意味合いを込めた名前で呼んだ。
「じゃあ、またね、ツバキさん」
「……うぅ、またね、ツバキくん」
「配信、応援してるよ」
「う、ぐすっ、んん……うわあああ……!!」
堪えていた涙のすべてが、佐紀音の目尻から流れ出した。彼の体を引き寄せて、骨が折れてしまうか心配になるほど強く抱きしめた。
そんな彼女から離れた俊也は、次に、この世界の父と顔を合わせた。やはり、世界を越えても、子と親の絆という見えない糸は、強固であって、握手を交わしただけで、ほんのりと胸が温かくなる感覚があった。
「俊……じゃなくて、ツバキくん、ご達者で」
「ありがとう、父さん」
短い言葉だけで、その絆を味わった俊也は、次に、この世界における母と対面。母の眼には、はっきりと、黒髪の男の子の「我が子」の姿が映っていた。
「ツバキくん、そっちの世界のお母さんも、よろしくね」
「うん。母さん、いつも仕事、お疲れ様」
彼からの最後の一言に貫かれて、隠していた涙を流した母は、手で顔を覆って、佐紀音という、もう一人の「我が子」に寄り添った。
次は、リオン。クリスマスにおけるタコパや、年越しの人生ゲーム配信、ホラーゲーム配信などで一緒にゲームをした思い出がある。
「俊也くん、またどこかで会おうね」
「はい、リオンさん。また会えるといいですね」
俊也の世界のリオンは、おそらく、俊也のことを知らない。けれど、万一の奇跡を信じて、再会を願い、リオンは、散りつつあった彼をぎゅっと抱きしめた。
最後は、ケンジ。話のノリや趣味、芸術の感性が合ったことは良かった。旅行先の宿で泣きついたことを思い出した俊也は、首を掻いて照れ隠しした。
「わたしは、みなさんより一足先に、空で待ってますよ。へへへ」
ケンジは、普段は見せない、シワを寄せた笑みを作った。
「そんなこと言わないでくださいよ、ケンジさん……その、ありがとうございました、色々と」
「……こちらこそ。生きる世界が違えど、これまで築き上げてきた絆と思い出によって、我々は永遠に繋がることができるでしょう」
硬く握手を交わした、俊也とケンジという二人の「アーティスト」。彼らの心には、常に彼らがあって、命の灯が潰えるまで、芸術の感性を刺激し合えるだろうと、確信を共有した。
俊也は、みんなとの別れの言葉を交わしながら、最後に残す言葉は何にするべきか、熟考していた。「さようなら」は、永遠の別れという寂しさがあるから却下で。
彼は、鏡の異変が、再び起こらないと確定している訳ではないことに気が付く。
また、鏡の向こうからひょっこりと「女の子のツバキ」が現れて、鏡を越え、みんなで遊んべるようになるかもしれない。
そんな、淡い希望の光を見失わないように、忘れないように……彼は、こう言い残した。
「またね」
彼は、椿の花となって散った。佐紀音が撫でていた右手も、リオンがぎゅっと握っていた左手も、母と父が摘まんでいた裾や袖も……すべてが、赤い花となって、風に乗って、旅立ってしまった。
「またね、俊也……」
落下の末、地上と激突することはなく、意識は闇に包まれた。気が付けば、みな、それぞれが、元の生活の中に吸い込まれるように戻った。
季節外れの入道雲が雨を降らせて、散ったツバキの花々を流して綴り変えた。




