泣き疲れた日々
夜、ベッドに横になっていると、嫌な記憶が蘇ってくる。
それは、小学生のときの体育の時間、クラスのみんなの前で転んでしまったという小さいものから、中学二年生のときの、ひいおばあちゃんのお葬式の光景という重いものまで、様々。
「んんんんんん……」
頭に鉛が乗ったような重さを感じて、小さく呻く。
体は疲れていて、たしかに眠気があるのだけれど、頭が休まってくれない。眠りたい、寝たいと強く思うほどに、記憶のより深いところに思考のシャベルが掘り進められる。
Vライバーとして、いつまで稼ぎ続けられるのかな……私が会社員として働いている姿が、想像できない。誰かとお付き合いして、結婚まで漕ぎつけている未来の【ツバキ】像が、想像できない。
未来って、どうなるんだろう。
未来は分からないからこそ楽しみなんだと話す人はいるけれど、私の場合は、未来が分からないからこそ、怖くなって、不安なんだ。
未来で、自分が生きていると分かれば、希望を持って生きられるのに。
未来で、自分が死んでいると分かれば、【その日】までは頑張って生きようと、前向きに生きられるのに……
ずっと、そんなことを考えているから、頭だけが覚醒していて、眠れない。
布団にくるまって、いつまでもいつまでも、足をすりすりして眠ろうとしていると、空が青くなって、明るくなってくる。
――ああ、今日も寝れなかった。
スマホを開いて、昨日の動画の視聴回数の伸びと分析データを確認する。
【さきねぇって、口が上手いだけの陰キャだよな】
【かわい子ぶってるのキモイな】
【歌動画伸びてるからって、自分が歌が上手いと勘違いしてる。俊也の調音の技術が上手いだけで、素の歌い方は下手くその思い上がり】
【一人称ウチって、正直おかしい】
【そもそもVライバーやってるやつは、顔に自信ない不細工だっていう証拠】
普段は気にしないで、むしろ、ぶつかりに行くようなアンチコメントの言葉の数々が、最近は、胸にグサグサと突き刺さる。まるで、ナイフの刃のように、痛みをともなって、心を傷つけた。
で、「はぁ」という、深いため息とともに、朝の鳥の唄を迎える。
お日様の光が眩しすぎて鬱陶しいので、カーテンは閉めっぱなし。
一昨日から、あまりに気分が重すぎて、風呂に入っていない。だから、布団の中に、自分の嫌な人間の臭いが籠っている。頭を触るだけで、白いフケが舞う。髪は寝ぐせ立ってボサボサ。風呂にも入っていないし、ヘアアイロンもかけてないしで、こんな自分の姿、鏡でなんか見たくない。
立ち上がることすら億劫で、下腹部がジンジンと痛くなってからじゃないと、トイレに行けない。膀胱炎になりそう。
お腹が空いた。ぐうと、腹の虫が鳴いている。けれど、食べるために起き上がって、部屋を出て、階段を降りるのが難しい。気だるい。
ペットボトルのゴミが積み重なって、コンビニの容器からこぼれた汁が床を伝って、嫌な臭いを発し始めていた。
そんな私の……カメリア・佐紀音の現実を目撃した世間は、こう言うだろう「怠け者」「社会の癌」と。
「はぁ、だる……」
少しでも気を紛らわすために、スマホを開き、動画を見る。
けれど、笑えない。面白くない。
大好きだった男性アイドルグループの旅行動画を視聴しても、ズッ友のリオンの配信アーカイブを見ても、ずっと追いかけていたボカロPの音楽を聴いても、心にどんよりとかかった曇りは、晴れなかった。かわいらしい犬猫の短い動画も、心の慰みには足りなかった。
「はぁ」
また暗く深いため息。
もう数百回、溜息をしている気がする。
「っぁぁ……」
目の裏側に熱さを感じて、急いで、柔らかい枕に顔をうずめる。洪水みたいな涙が、白の枕カバーをびしょびしょに濡らした。なんだか、最近、急に涙が流れるようになった。悲しくなくても、配信中でも、涙がこぼれているような……
ふと、外を見ると、道路を歩いている小学生の女子二人を見かける。赤と黒のランドセルを背負い、二人横並びで、仲良さげに会話しながら、学校へと向かっている。
……ああ、今日は平日なのか。
部屋に掛けられたカレンダーは、二か月前で止まっている。
小学生のころは、自分の仕事がいつまで続くのかとか考えて不安にならなかったのにな。
小学生のころは、大切な人がいなくなるなんていう不安も知らずに、毎日が楽しかったのにな。
小学生のころは、自分の夢が必ず叶うって信じていて、未来が明るくて楽しみで仕方がなかったのにな。
小学生のころは、人はみんな優しくて、分かり合えるって信じていて、人の笑顔が好きだったのにな。
今は、真っ暗だ。
何にも見えやしない。
「ツバキ?朝ごはん、作っておいたよ」
仕事に行く前の母が、部屋の入口の戸を叩いた。
「置いておいて」
私は、母にそう言って、黙り込んだ。母は、そんな私の声を聞くと、部屋の前に朝ごはんの乗ったおぼんを置いて去ってくれる。
けれど、それを取りに部屋の外に出られる気がしない。それぐらい、身体が金縛りに遭ったみたいに動かない。
『話したい』
このようなメッセージを、スマホのグループチャットに残して、私は、泣きつかれて、不安に圧し潰されるようにして、ベッドに再び倒れ込み、眠りに落ちた。




