第三十三章
酒場の扉を開いた瞬間、中の歓声がルナの耳朶を打った。
確かにコリーの言うように、この街で夜の酒場は流行っているようだ。
酒場の椅子はほぼ埋まっており、だから余裕があるのか、それぞれのテーブルにはキャンドルが置かれていて、この建物が明るい理由となっている。
ルナは微かに感心した。
蝋燭が臭わないのだ。
修道院などに使われている蜜蝋なのだろう。金回りは良さそうだ。
その火に照らされ、皆雑然と酒を酌み交わし、大声で笑い会っている。
しかしコリーが一歩踏み出し入ると、彼らの数人が気づき、露骨に顔をしかめた。
「コリーかよ」
誰かが吐き捨てる。
「名誉のない奴が何の用だ? 金もそんなに無いだろうが」
「うるせえっ!」
コリーは酔漢の揶揄に、怒鳴り返す。
「今日はあるんだ、たっぷりとな。店ごと買えるぜ」
ルナの給料を過大評価した言葉だ。
密かに本当に「店ごとくれ」と言わないだろうかと、ルナは心配した。
「へっ、処刑人がよ」
あざ笑いが、コリーの身体を震わせている。
それを見て、ようやくルナはダンの境遇が飲み込めた。
ダンは処刑人の子どもなのだ。
処刑人、裁判で死罪になったものの首を斧で切り落とす仕事は、その血なまぐささのせいか、皆に嫌われ見下される最下層の勤めだ。
最悪なことに、その印象は家族にも及び、処刑人の家に生まれた、だけで謂われのない中傷や差別を向けられてしまう。
だからダンは若くしても真っ当に働くことが出来ず、夜のゴミを漁っている。
──コリーをいつ殺す?
ルナはダンへ向かう思いを、無理矢理断ち切った。
この処刑人は、彼女の目標だ。
兄の仇、兄を苦しめたもの。
それだけでルナは、絡みつく感情を無視して、どこまでも残酷に非情になれた。
「ち、うるせえ奴らだ。お嬢ちゃん、あんなのに構うことはない」
憤懣を口にしつつ、コリーは開いている椅子に座り、丸テーブルを挟んだ対面に、ルナも腰を下ろす。
がたり、と椅子が傾きかける。
なんとかバランスを取ったルナは、この酒場が色々誤魔化していると気づいた。
机も椅子もよく見ればだいぶ年代物で、微妙に歪みだしてる。
店中にあるキャンドルの光が届かない隅には、ネズミがちょろちょろと動き回っていた。
テーブルの上も汚く、前に座った誰かがこぼしたのか、所々に液体溜まりがあった。
「で、どうするんだ? コリー」
店主らしい体格の良い禿頭の男がコリーに声をかけ、
「オレはエール」と彼はすぐさま答える。
「あんたは、お嬢さん」
店主の目には興味がある。
彼としてはこんな時間に酒場に来る、若い女が珍しいのだろう。
「私はお酒を飲まないので、いりません」
「おいおい」
店主はあからさまに嘆いた。
「ウチで酒も呑まず席に座っているってのか? 勘弁してくれよ」
「……でしたら甘いもの、何かありませんか?」
「ふん」店主は肩をすくめる。
「ここは酒場だぜ……まあ、あるとしたら砂糖漬けにしたオレンジの皮だな」
「では、それを下さい」
ルナの返事に、店主が気味の悪い物でも見る顔になった。
オレンジピールをそのまま食べると言い出すルナに、変な印象を持ったのだろう。
注文はすぐ来た。
嬉しそうなコリーの前にジョッキが運ばれ、ルナには瓶詰めのままのオレンジの皮が、置かれる。
次にはもうコリーはジョッキを握り、エールをごくごくと喉を鳴らし呑んでいた。
ルナはオレンジピールに手を伸ばして、口に入れる。
甘ったるさと苦さが口の中に広がる。正直美味くはない。
だがルナは甘い何かが欲しいのだ。
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