虹光の輪
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
よう、こーちゃん。どうだった視力検査の結果は?
年々、目が悪くなってくるのを実感するよなあ、困ったことに。
近場ばかり見ているのは、目にとってはひたすら筋トレしているような状態だと、以前に誰かから聞いたことがあるな。
あまりに筋肉を酷使するから、しまいには身体が壊れちまう。それを取り戻すのは並大抵の手間じゃなく、普段から遠くを見るよう心がけて、目をいたわってあげる……なんてのは、たいていが理想論だ。
人より画面を眺める時間が長い人は多いだろう。公私を問わずに。
情報社会の進化は早く、対する人の進化はあまりにゆるやか。
この過渡期にあって、いまだ順応していけない人の遺伝子じゃ、調子を落としていくのも無理ないだろうな。ようやく順応できるころには、人の営みがなくなっている……とかじゃないといいけれど。
こうして液晶を相手していくのも、未来の遺伝子への投資なのかもしれない。けれども外を、遠くを見ることもまた、未来へつないでいくべき要素なのかもしれない。
環境さえ整えば、750万ほどの色を僕たちの目はとらえることができるという。
そこに潜む意味、異常を感じ取れないまま、次のステージへ急ぎすぎるのは、足元をすくわれかねないからね。
僕の昔の話なんだが、聞いてみないかい?
虹が何も、空に架かる大きなものばかりとは限らないのは、君も知っているだろう。
地上に水のアーチを描けば、そこに伴うものとしてできあがり。もう少し気をつかえば、万年筆とかのたぐいでも、虹を作り出すことはできなくもない。
当時の僕のまわりには、「虹」を呼び込む環境や雰囲気がたくさんあった。ゆえに、虹に対して格別の興味深さを抱くことはあまりなかったよ。
だから、いつも遊ぶ公園の幹に、虹の光が現れたその時も、当初はあまり気にしていなかったんだ。
フットベースをしていたその時、僕は外野だった。
盛大にホームランをかましてくれたぶん、公園のもう一方の端まで吹っ飛んでいくボール。それをてとてと追いかけて、道路へ出る直前にどうにか抱え込んだ。
ほうっと息をついて顔をあげたおりに、その光が目に入ったんだ。
かの木はすべり台と砂場の間にたたずみ、背の低い石で囲われた土山の中に、堂々とつき立っている。
公園中央の大樹よりは、いささか太さに劣るものの、高さではどっこいどっこいといったところだ。夏場にはセミがいくらかとまるし、子供たちの木登り相手になることだってしばしば。
その幹の、ちょうど僕が根元へ立ったときの頭あたりに光の輪ができているんだ。
輪の大きさは、握りこぶし二つを合わせたくらい。万華鏡をのぞいた時に似た複雑な模様が七色でもって、その輪の中に渦巻いている。
この時は、他の友達からの急かしもあって、すぐこの場を離れた。
また木のもとへ戻ったときには、友達が解散してからだったから、1時間半はすぎていたかなあ。
かの光は、まだそこにとどまっていた。
七色のうち、青や紫の部分のみが動いて、ほかの色はその場にとどまり続けている。
ピントを合わせるかのように、望遠鏡を回している……というイメージが、ぴんときた。
僕は後ろを向く。
公園の敷地より外には、フェンスをはさんですぐそばに横長の集合住宅がたたずんでいる。そのいずこからか、こちらを見やっているレンズがあるんじゃないかと思ってね。
四階建てのそこの、公園を見下ろせるポイントを重点的に観察していく。
雨戸が閉め切った部屋が半分以上。入居者がいないか、あるいは住みながらも無精をしているか。
残りの窓も見るが、レンズはおろか人影もない。天体望遠鏡のたぐいがうつむいて、たまたまこちらへその顔を向けている線もない。
なんだろう、と改めて向き直ったときには、もう幹からあの光の輪は消えていたよ。
目をぱちくりさせても、光は戻ってこない。あまりのいさぎよい引き際に、僕は自分の見たものが、にわかには信じられずにいたよ。
幻か錯覚か。
このとき限りの不思議な光景だったと、この時は思っていたんだ。
それが数日後に、また現れた。
今度は公園ではなく、学校の敷地内で。しかも校舎裏手の一角にだ。
掃除当番で焼却炉にゴミを持っていき、なおかつふらりとうろつかなくては、気づかないほどの隅っこだ。
上から見ると、ヘビを思わせるうねりを持つ校舎。その曲がり際にできるくぼみ部分は、使う頻度が高かったり、集会のレクリエーションで使われたりする道具類の置き場所として重宝されていた。
その最奥、向かって左の壁。外からはどこのような角度からも、微妙に見ることのできないそのポイントに、僕はまたも光の輪を見つけてしまったんだ。
ふらついていた足を止め、再び訪れた機会に目を凝らす僕。
あの時は青と紫が動いていたが、今度は緑と黄色の模様のみが動いている。他の色はどっしりと構えて、動かない。
掃除が終わるまでは、まだ10分近くある。誰かにとがめられるまでは、今度こそ見届けてやると、僕も腰を据える覚悟だったさ。
ぐりぐりと時計回りを続ける二色に対し、僕は背後の色合いを観察。とりわけ、公園で回転をしていた青と紫をにらむ。
――やはり、同じか。
記憶を掘り返して照らし合わせると、青も紫も動かないだけで、模様はあの時と変わらないデザインなんだ。
物理的レンズ説は、いまや有力ではない。でも、公園の木に映った光と、ここにある光はどうやら同質のものらしいと、僕は推測する。
緑と黄の模様へ目を向けると、この二つは変わらず多色の海を渦巻きながらも、一方向へは進み続けない。
ときどき、はたと足を止めて、反時計回りにちろちろと進む動きを見せるんだ。明らかに、通り過ぎてしまったとか、確かめたいものがあるといわんばかりのムーブ。
鍵開け? と僕は思った。
この回しよう、僕がするとしたら鍵を開ける時のようなものだ。差し込むより、ダイヤルで開錠するタイプのやつ。
それを裏付けるように、やがて二色の動きは止まり、今度は青と紫が動き始めた。
もし鍵ならば、これが正しい順番かは分からない。だが、回す主がいるとしたら、明らかに次の段階へ進んだ。
あの時の続きが見られる、と胸を膨らませ始める僕だが、ふと思いつくこともある。
公園では、幹へ光をあてられる角度にレンズがなかったのは確認済み。
この場所に至っても、同じように色付きレンズをあてられるようなアングルはない。周囲を見やっても、この壁へ光をあてられそうな、光源の持ち手はいない。
ならば、この源はどこにある?
外側からないのだとすれば、こいつは……内側だ。
考え付くや、かの二色の回転もとまり、「カチリ」と確かに大きな金属音が鳴った。
浮かんでいた輪の形に、頑強な校舎の壁の一部がぽろりと、おもちゃのようにあっけなくこぼれおちる。
その穴からは、どっと黒いタールのような液体が、噴き出してきたんだ。
対面の壁に届くまで、一滴すらもこぼさない勢い。橋を渡すようにして飛びついた黒い物体は、壁へひっついた端からたちまち四方へ身体を伸ばした。
キャンバスへ盛大にぶちまけた絵の具を思わせる広がりようだけど、無造作、無軌道じゃない。
壁以外より下の地面。上に見る壁の境目となる雨だれ部分は一切汚さず、ただただ壁面のみを染め上げる。
光の回転と同じ、意志を感じさせる広がりようだった。しかし、まさかここに見物人がいるとは、鍵を外した当人も思わなかったらしい。
黒い橋が渡されて、壁にぶつかったおり。
ほんの二滴だけ、僕の着ているシャツの袖へ黒いものが飛んできたんだ。
とっさに手で払いたい衝動に駆られたが、袖がたちまち白い湯気を吐き始めたことで、思いとどまったよ。
ほんの数秒の立ち上りが終わるや、シャツには滴の形にぽっかり穴が開いていたんだ。じかに肌で触っていたら、どうなっていたことか。
この瞬時の染色に対し、僕はあたかも偶然発見した体で先生に報告。即日、大きなシートでもって覆い隠されてしまう。あの壁の穴もしかりだ。
壁やシートが溶ける様子はなかった。あの勢いのあるうちしか作用しないのだろうか、それとも壁やシートの材質に影響を与えないものなのか。
いまだ結論は出せないままだ。
ただ、あのカラフルな光の輪は、どこからかを通じてこちらへ飛び出ようとしている彼らにとっての、鍵穴のようだと思ったんだよ。