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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

吸血鬼と堕ちた魔女

作者: 和執ユラ
掲載日:2022/12/31



 月明かりにより照らされている夜。大陸一の大国である帝国の皇宮の敷地内に所在する一つの離宮は、帝国の二番目の皇女のために用意されたものだ。彼女を閉じ込めるためだけにつくられた大きな檻。

 夜の中で輝く銀髪と不思議と引き寄せられる澄んだ桃色の瞳を持つ皇女シルヴィアは、ナイトガウンに身を包み、バルコニーに繋がる自身の寝室の窓を開けた。夜の冷えた風が室内に流れ込み、カーテンが揺れる。シルヴィアの髪もふわりと舞い踊った。


 目を細めて星空を眺めていると、「姫」と声が聞こえて視線を下に落とす。先程までは誰の姿もなかったはずが、美しく淡いプラチナブロンドがまず視界に映った。髪から覗く血のように赤い瞳と視線が絡まり、シルヴィアは横髪をそっと耳にかけながら優雅に微笑む。


「こんばんは、吸血鬼様」

「こんばんは、姫」


 手摺に立っていた彼はバルコニーに降りると、シルヴィアの挨拶に丁寧にお辞儀を添えて返した。

 シルヴィアが口にした通り、彼は吸血鬼。シルヴィア達人間と敵対する魔の種族の中で、魔の王とそれなりに近しい関係性だという青年だ。とても美しい顔立ちをしており、月明かりを背に佇む姿は幻想的で、シルヴィアはそっと感嘆の息を吐く。

 ここはシルヴィアを閉じ込めるための檻。魔の種族を近づけないため、また不届き者の侵入を阻むため、警備の兵が何十人も配置され、幾重にも結界が張られている。それなのに毎回、この青年はいとも容易く、誰にも知られることなく侵入してしまうのだ。そうしてシルヴィアの前に姿を現す。


 綺麗な所作で近づいてきた吸血鬼は、シルヴィアの手を取るとその甲に口付けた。


「今夜も美しいね」

「ありがとうございます」


 嬉しそうに表情を綻ばせ、シルヴィアはお礼の言葉を告げる。

 吸血鬼。魔の種族。人類の敵である彼の存在を、誰かに知らせることはしない。彼との会話は心安らぐ特別な時間だ。邪魔などされてはたまったものではない。


 治癒の力を持つ聖女シルヴィア。人類の希望。だからシルヴィアはこの離宮に閉じ込められている。特別な力を持っているから――決して、逃げ出したりできないように。

 外の世界を知らないシルヴィアにとって、外の話を聞くのは、彼の話を聞くのは、楽しい時間だ。


「そういえば、魔の王が宣戦布告なさったそうですね。近いうちに必ず私を貰い受けると」


 おかげで離宮の警備がますます強化されてしまったので、この吸血鬼が現れないのではないかと心配していたのだ。まったくの杞憂だったようだけれど。


「君の血肉は魔族(わたしたち)にとってとても極上だからね」

「そうみたいですね」


 この吸血鬼は、初めてここを訪れた時に言っていた。魔王の命令により、姫であり聖女でもある彼女をこっそり攫いに来たのだと。彼女は人間に祝福を与える希望であるのと同時に、魔の種族にも強大な力を与える『魔女』でもあるのだと。その血肉、魔力、魂にいたるすべては、魔の種族の力を増幅させるのだと。

 聖女か魔女か。どちらになるのかはいつの世も本人の意志次第だったというわけだ。性格、環境、その他本人の状況によってどちらにも転ぶ危うい存在。


「その君が自ら望んで私に血を差し出していると知ったら、人間どもはどんな反応をするのだろうね」

「ふふ、さあ? きっと面白い反応をしてくれると思います」


 吸血鬼の青年がシルヴィアの頬を撫でると、シルヴィアは目を細めた。

 青年が姿を現すようになってひと月。なぜか攫ってはくれないその間、シルヴィアは彼に血を捧げてきた。抵抗することもなく自ら喜んで差し出したのだ。


「私が君を攫った時の反応も気になるね」

「今夜になさいますか?」

「いいのかい?」

「ここで聞き返すのですか? 私の気持ちを知ってるのに」


 頬にある手に甘えるように擦り寄れば、青年の赤い瞳が妖しい色を帯びて光ったように感じた。


「人間とは異形を恐れるものだ。君はいつか後悔するかもしれない」

「では、私が後悔しないように、最後までしっかり大事にしてください。貴方と生きる、永久にも等しい長い寿命(じかん)をください。貴方のそばにいられる権利をください」


 青年の手の上に、シルヴィアは自らの手を重ねる。離さないでと目で表情で、切実に訴える。


「私は極上の餌(はなよめ)なのでしょう?」


 彼女のすべてが、青年の愛を求め、そして青年への愛を伝えていた。


「……君は、私が君の血にしか価値を見出していないと思っているのかい?」

「違うのですか? この血を最大限に活用して貴方を誘惑しようと目論んでいるのですが」

「そういうことは本人の前で口にしないものだよ」

「そうなのですか。すみません。私は常識とやらがあまりないもので」


 上品に控えめな笑みを零し、シルヴィアは片手を彼の頬へと伸ばす。触れて、彼の温もりを感じて、思わず泣きそうになってしまった。けれど涙を堪えて、自身の頬にある彼の手は決して離さないまま言葉を紡ぐ。


「たとえ貴方にとって私の価値がなくなろうとも、――貴方が、私を忘れてしまったとしても。私の心は永遠に貴方だけを想っています。ですからどうか、そばにいることだけでもお許しください。私の吸血鬼様」

「では、君を攫って、たっぷりとわからせてあげよう。私がどれほど君を愛おしく思っているか」


 挑発的に笑みを深める彼にシルヴィアは破顔して、とうとう涙が眦から溢れる。青年がシルヴィアの首へと口を寄せると、シルヴィアは目を閉じた。




 眠りに落ちたシルヴィアを抱えた青年は背中から翼を出し、バルコニーの手摺に立っていた。愛しい花嫁――予定ではあるけれど、とにかく何よりも大切な彼女の頭に顔を寄せる。白く細い首筋には牙の跡があり、確かな充足感があった。

 吸血は初めてのことでもないのに、ひと月、彼女の首に何度も牙をたててその甘美な血を味わってきたのに、今宵の高揚感はこれまでとは違う。

 このひと月は吸血後、牙の跡は治していた。吸血鬼にとって独占欲と愛の証とも言えるそれが今は彼女の体に残っていて、完全に彼女が自分のものになったのだと実感が湧く。


 シルヴィアをしっかり抱き寄せ、飛び立とうとしたその時。青年は気配を感じてバルコニーの下へと視線を向けた。


「吸血鬼!」


 腰から剣を下げている身なりの良い男と複数の騎士たちがそこにいた。敵意を向け、こちらを睨みつけている。

 青年は知っている。綺麗な格好をしている人間の男が、この国の力ある貴族の子息であり――シルヴィアの婚約者であることを。

 その男は青年の顔に驚愕の表情を見せた後、ぎりっと奥歯を鳴らした。忌々しいものを睥睨するその眼差しは、ただ魔の種族を前にしているだけの嫌悪感からくるものとは毛色が多少異なるように見える。


「貴様っ……なぜ貴様が生きている!?」


 その言い草に、青年は怪訝に眉を寄せた。


「……どうして初対面のはずの君にそのようなことを言われなければならないのか理解できないけど、君を見ているとなんだかとても不愉快だ。勝手に決められているものとは言え、一応は彼女の婚約者だからかな」


 口にしながら、それだけでは説明のつかない不快感が青年の心の奥底から湧き出ていた。


「まずは彼女を連れ帰るのが最優先だから、君たちのことは後回しにするよ」

「ふざけるな! 皇女を返せ! 彼女は俺のものだと散々忠告してやったのにまだ足りないのか!」

「――何を言っているのかやはり理解に苦しむけど、本当に、不愉快極まりない」


 青年の瞳から温度が消えると、青年の影が男に向かって鋭く飛んでいき、男の肩を貫く。「ぐあぁ!!」と男が苦痛に叫び、地面に転がった。騎士達がどよめく。


「次会った時、君は真っ先に殺す。存在が忌々しくて仕方ない」


 嫌悪を露にした表情の青年が翼で自身とシルヴィアを覆うと――しゅううと、黒いモヤとなって二人は姿を消した。

 聖女が吸血鬼の手に堕ちたその夜は、人間社会が破滅へと向かう決定的な瞬間だった。




 後に、今となっては人間たちでは真実かどうかを確かめる術もない、皇女が魔女に身を落とした経緯が噂として人間社会に出回った。

 治癒の術は、術者本人の命を削るもの。それなのに権力者たちの治療を強制されている彼女をどうにか解放しようと、彼女の恋人である公爵令息は動いていた。しかし皇帝とある貴族の罠で冤罪をかけられ、魔獣が生息する森の中に捨て置かれ、命を落としたと。それゆえに皇女は皇帝を、冤罪を信じて恋人を罵倒し暴力を振るった国民を嫌悪し、憎悪し、魔の種族から差し伸べられた手を取ったのだと。――公爵令息を魔の森へ連行した男の一人こそが公爵令息を嵌めた貴族の家の子息であり、まんまと皇女の婚約者の座に収まったと。そんなことが流布していった。



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