ブリ男
その日、静香はオフの日だった。
すっぴんにボサボサの髪。身に着けているものは中学時代に購入したジャージ。ベッドの周囲には皺くちゃになった古着の衣装が何着も散乱していた。
ファンの皆がこれを見たら「アイドルは清楚で可愛い」と言うイメージをこと如く裏切っただろう。
静香は伸びきったカップラーメンをズズッと箸で啜りながら、スマホで自分達が所属するアイドルユニット「響」のファンサイトを慣れた手つきで開いた。
画面には不特定多数の人物からの「もう辞めれば」「ブス」と言った誹謗中傷のコメントがタイムラインで並んでいた。
「このままアイドル活動を続けていてもいいのかなぁ」
静香は最近、心が折れかけていた。
そんな折、ふと、静香はある人物のコメントに目が止まった。
そのコメントを書いた人物は「鰤男」。
「他の皆さんは色々言っているようですが、私はあなたの歌もダンスも大好きですよ」
意外にも好意的なコメント。
静香は何だか嬉しくなり、急いで鰤男にコメントを返した。
「ありがとうございます。今後とも「響」の応援をお願いします」
何度か、鰤男とチャットで会話をしているうちに二人とも性格や趣味が似ている事に気付いた。そのためなのか鰤男にだけは普段の愚痴やプライベートの悩み、何でも話していた。
つい最近、知り合ったばかりなのに鰤男とはまるで昔からの親友の様だった。
「僕が君の夢を叶えてあげるよ」
「君に何かあったら僕は君の元へ飛んでいくから」
彼のくれる言葉はいつも静香を勇気付けてくれた。
「いつもありがとう、鰤男さん。ところであなたの姿を会場で見かけた事が無いのだけれどいつになったらお会いできるのかしら」
「ゴメン。それは駄目だよ。僕は君とは違って醜い姿をしているんだ。会ったら君を不快な気持ちにさせてしまう」
「そんな事ないわ。私には分かるもの。あなたは心の綺麗な人だって。外見なんて気にする事は無いわ。例え、あなたの顔が大火傷を負っていたとしても私はあなたの事を嫌いになったりしないわ」
「本当かい。嬉しいよ。そうだ。来月、テレビ局が主催するスターキャラバンがあるんだろう。そこでグランプリを取れば君もメジャーデビュー決定だね。勿論、出場するんだろ」
「私には無理かも。だって私は他の出場者みたいにスタイルも綺麗じゃないし、歌もそれほど上手くないもの」
「そんな事はないよ。諦めずに続ければ夢は叶うさ。僕が君の夢を叶えてあげる」
「今年度、スターキャラバングランプリに輝いたのは・・・「響」です。おめでとうございます。グランプリに輝いた皆さんにはスポンサーよりメジャーデビュー権を贈呈します」
「う、嘘でしょ」
静香は仲間達と手に手を取りあい、歓喜した。
「おめでとう。僕は君が一番だと信じていたよ」
そこに現れたのは審査員の一人、人気俳優「峯岸 雅人」だった。
「全てはあなたのお蔭よ、鰤男さん。あなたが励ましてくれなかったら私はアイドルを挫折していたかも。あなたには本当に感謝しているわ」
「そんな事はないよ。全ては君の普段の努力が実っただけさ」
プルルル
所属事務所からの電話だった。
「もしもし、静香、メジャーデビューおめでとう。今日、電話したのはある事を聞きたかったからなの。静香、あなたの周りに悪い友人、いないでしょうね。これからメジャーデビューしようって時につまらないスキャンダルは困るわよ。ちゃんと身辺整理をして置いてね」
僕の目の前にはストローが刺さったままの紙コップが置かれていた。
それは先日、静香が休憩中に使用していたものを控室からこっそり入手したものだ。
僕は静香の私物をまるで絵画の様に遠くから眺めたり、クンクンと鼻を近づけ嗅いでみたり、時には静香が口を付けたであろう部分をペロペロと舌で舐め回した。
そうする事で僕と静香が心も体も一心同体になった様な快感を得ていた。
「う~ん。こっちの髪の毛は甘酸っぱい香りがする。これって君が付けているシャンプーの香りかな?フフフ」
その日、静香は誰かの視線を背後に感じた。
それは自宅への帰り道の事。誰かに付けられている気がしたのだ。
ガサッ
背後から物音がする。
チラッと後ろを振り向くと薄暗い道に黒い影がゆらりと動くのが見えた。
でも、ここからだと相手の姿ははっきりとは見えない。
静香は急に悪寒がした。
(誰だか知らないけど気味が悪い)
静香は少し歩くスピードを上げた。
コツ、コツ、コツ
ハイヒールの音が静まり返った夜の道に響く。
「だーれだ」
静香は突如、物陰から出て来た何者かに背後から視界を遮られた。
「キャーー」
「ゴメン、僕だよ、僕」
恐る恐る振り返るとそこには雅人が立っていた。
「いきなり何をするんですか」
「いや~、ちょっとしたサプライズのつもりだったんだけど。あんなに驚かれるとは思っていなくてね、ハハハ」
雅人は苦笑しながら言った。
「それで、私に何の用ですか」
「ああ、そうだったね。さっき、君の事を街角で見かけたんだけど、女の子の一人歩きは危ないと思ってさ。僕が君の家までボディーガードをしてあげようと思って・・・嘘はいけないな。正直に言うよ。実は以前から君の事が気になっていたんだ」
雅人は静香の耳元で蕩ける様な甘い声で囁いた。
「わ、私で良ければ」
「えっ、マジで。良かった~。そうだ。今から僕の家でワインでもどうかな?」
翌日、静香は朝帰りした。
チラッ、チラッ
「良し、誰もいないわね」
そんな様子を遠くから物陰に隠れ、見つめる人物がいた。
その人物は二人の様子をカメラのフィルムに切り取り、こう呟いた。
「裏切り者」
二日後、週刊雑誌「スクープ」にデカデカと静香と雅人の密会写真が掲載された。
人気俳優「峯岸 雅人」に熱愛発覚
お相手はなんとアイドルユニット「響」のボーカル 伊藤 静香
二人でお泊りデートか?!
バンッ
「これはどういう事」
所属事務所の社長が手に持っていた週刊誌を机に叩きつけた。
「あれほどスキャンダルは困ると言ったわよね」
「ごめんなさい」
「それでこの雑誌に書かれた事は真実なの」
「事実です」
「そう、分かったわ。それならこのスキャンダルを逆手に取るわ。あなたはこれから「悪女」と言うイメージで売り出すから。覚悟しておいてね。これから忙しくなるわよ」
「はい」
数ヶ月後、スマホを見ると鰤男からのメッセージが届いていた。
「静香、恋人が出来たんだね。でも、彼は君には相応しくない。今すぐ別れるんだ。彼は体内の悪い虫が疼くと無性に若い娘をつまみ食いしたくなるウズウズ病を発症している。彼の毒牙に掛からないうちに急いで別れなさい」
「そんなの私の勝手でしょ。放って置いて」
「僕は君のためを思って・・・そうかい。分かった。どうやら僕が実力行使をするしかないようだね。君の夢を邪魔する害虫は僕が駆除してあげるよ」
某日、マンションの一室で変死体が発見された。
被害者は「峯岸 雅人」、俳優。発見者は所属事務所のマネージャー。
約束の時間になっても撮影現場に来ないので様子を見に来て発見。
死亡時刻は深夜の0時から3時の間。
自分の爪で呼吸が出来なくなるほど喉を掻きむしった事が原因と考えられる。
被害者の顔は何か恐ろしいものを見たかの様に目をカッと見開いていた。
何者かに無理やり薬物を飲まされた可能性も疑ったが確証を得るには至らなかった。
そのため、この事件は不可解な点も認められるが「自殺」として処理された。
あの事件以降、静香の生活環境は一変した。
家に帰ると家具の配置が微妙に変わっていたり、見覚えのない食べかけの食材が置かれていたりするのだ。入口の鍵穴を覗いてみたがピッキングされた痕跡は見られない。盗聴・盗撮の可能性を疑って部屋の中のコンセントや電化製品を念入りに調べてみたがそれらしき機材を発見することは出来なかった。
もう一つ変わった事と言えば鰤男のネット上での言動である
「あれっ、今日も一人で唐揚げ弁当。もっと栄養のバランスを考えて食べた方が良いよ。」
(なんで、私が今、唐揚げ弁当を食べている事を知っているのよ)
「僕は君の事なら何でも知っているよ。だって君の事をいつでも見ているからね。そうだ、昨日の君の寝顔はちょっと可愛いかったね。ついつい、僕も見惚れてしまったよ、てへっ」
静香は、もしかして鰤男は外壁をよじ登って来たのではと考え、バッと窓を開けてみた。だが鰤男の姿はなかった。
「どこかに隠れているんでしょ。コソコソしないで出てきなさいよ」
静香は見えない相手に辺りかまわず叫んだ。
「やれやれ、しょうがないね」
そう言って現れたのは黒光りするほど日焼けした筋骨隆々の体。頭には長い触覚。棘が連なった様な六本の足。黒服のタキシードを着たGメンだった。彼は張り付いていた天井から高速で壁を移動し、静香の側に這い寄って来た。
それを見た静香は悲鳴を上げた。
「キャーーー」
「何でそんな顔をするの。僕は君の一番の理解者のはずだろ。君は僕が醜悪な姿でも気にしないと言っていたじゃないか、あれは嘘だったの」
「やめて。それ以上近づかないで。お願いだから」
「なんだって。僕が君のためにどれだけこの手を汚したと思っているんだ」
「あなたが勝手にした事よ。私には関係ないわ」
静香は咄嗟に床に転がっていたスプレー缶を手に取り、男にめがけて噴射した。意表を突かれた男は急に悶え苦しみ出し、近くにあったパソコンの中に吸い込まれる様に飛び込んだ。
「ははは、もうこれで君には僕を捕まえる事は出来ないよ。残念だったね」
男の高笑いが部屋中に木霊した。
静香はもう成す術が無くなり、片膝を地面に付き、落胆した。
「はははは」
だが次の瞬間、パソコンの画面にこんな文章が現れた。
「プログラム上にウィルスを発見しました。速やかに消去します」
「ええええ、ちょっと待て。僕はウィルスではない。どちらかと言えば、バグの方・・・」
そんな悲鳴を遺し、男はあっけなく消滅した。
静香は思った。
「なんて虫のいい男なの」