第10章「暁の訪れ」2
薄暗闇が包む《神輿街》。既に時間は明け方近く、だんだんと遥か彼方の水平線のシルエットが朝日の白い光によって浮き彫りになっていくのがわかる。
その郊外の山中にひっそりと佇む《境界神社》の境内にて全ての《灰鬼》を掃討し終えた八叉竜瑞千は上司である酒鬼獅童に報告をしていた。
「神宮祀の汚染反応の消失を確認。周辺の《灰鬼》の反応も無し。《霊子》の汚染濃度も急速に低下。《彼岸》も閉じていきます」
周辺の森の中では異常が去ったことを確認して安心したように鳥たちがさえずり、爽やかな風が吹いて木々がざわめく。眼下に広がる街の方はまだ混乱が続いているようだが、じきにそれも収束するだろう。
「《不知火》所属の《葬装者》八名も全員無事です。幽鬼守燐と神宮祀の生存も確認しました。特に異常はありません」
「そうかい、なら良かった。みんなが頑張ってくれたお陰で最悪の自体は免れたようで何より……《神律頂》や各国から招集された《葬装者》の協力もあって被害も最小限に食い止められたし後で色んなとこに菓子折り持って挨拶しなきゃね」
「どれもこれも予め各方面に協力を仰ぎ、指示を下していた室長のおかげです。ありがとうございました」
瑞千は深々と獅童に頭を下げるが、獅童は「いやいや」と手を振って顔を上げるように促す。
「なに《不知火》とあのふたりの力があってのことさ。俺は何もしてないよ」
「何を仰りますか。上級の《灰鬼》をあれだけの数相手にして」
「キミが居てくれたからさ瑞千くん。それにこの歳になると肩も腰も痛くってしんどいしやっぱり若さには敵わないよ。いやぁおじさんも青春したいなぁ」
獅童は懐からタバコを一本取り出し、ライターで火を点ける。
しかし瑞千はどこか鋭い視線をタバコを吹かす彼に向けていた。
「……室長、いくつかお尋ねしても?」
「なんだい?」
瑞千はわずかに言い淀み、躊躇いがちに目を伏せるが、遂に意を決したようにその質問を投げかけた。
「――あなたは最初から《境界神社》の地下に《核心》があると知っていたのですか?」
「ああ。そうだね」
獅童は一切の躊躇いなく答え、瑞千の背筋が凍りつく。
「で……では、もうひとつの《核心》の居場所も……」
「それも知っていたさ」
獅童の返答はあまりにも堂々としすぎて逆に開き直りすら感じられた。寧ろ質問をした瑞千の方が驚いてしまう程であり、思わず冷静さを失いかける。彼の言っていることが到底信じられなかった。
「アレは《神律頂》における最重要機密です! どうしてそれを貴方が――」
そこまで言いかけて、瑞千ははっと息を呑んだ。
この騒ぎが起きてからずっと心のどこかで思っていた「全てがうまく行き過ぎている」という不審感。
まるで誰かが書いたシナリオ通りに事態が進んでいるかのようなおぞましい感覚。
このモヤモヤが何なのかやっと理解できた。
「――まさか最初から全部知っていて裏で糸を引いていたのですか? 幽鬼守燐をこの街に呼び、神宮祀と接触させ、偵察に向かわせた大黒寺大慈および不動紗那らと交戦させ、《葬装機》を回収し、彼の中に眠る《核心》の覚醒を促したことも全部……!」
「全部ではないけど概ねキミの言う通りだね。まぁアイツがあの子のことを覚えていたのだけは予想外だったけど」
口からを白い煙を吐き出し、獅童は手元の携帯灰皿に咥えていたタバコの先を押し付ける。
なんだか目眩がして瑞千は咄嗟に眉間に手をやった。
「……あのふたりの正体は一体何なのですか?」
しばらくして冷静さを取り戻した彼女は再び獅童に向き直る。
対する獅童もしばしの間、タバコを咥えて何やら考え込んでいたようだが最後の最後まで吸いきったのを確認するとその吸い殻を灰皿に仕舞い、澄み渡る空を仰いだ。
「……かつてこの街のとある研究施設で極秘プロジェクトが進行していたんだ。この街に眠っていた二基の《核心》を人為的に制御しようっていう愚かな計画がね」
獅童が語る話はあまりにも驚愕的なものであり、瑞千の頬を冷や汗が伝う。
「アレは逸話通り、霊界と現世を繋ぐ門を自由自在に開け閉めできる鍵さ。それを手に入れた者は生者の命を自由に奪い、死者を自在に蘇らせ、思うがままに無尽蔵に生み出される《霊子》を支配できる……まさにそれは神が作り出した遺産だ。その力があれば世界を意のままに操ることなんて造作もないだろう」
獅童の話は荒唐無稽だが、その言葉には実感が伴っている。まるでその様子をはっきりと近くで目にしたかのように。
「だからこそ誰もがソレを欲しがった。でも人の手に余るソレを御することは誰にも出来なかった……が、それで諦められるほど彼らは賢くなかった――だからある手段を思いついたんだ」
瑞千はごくりと唾を呑む。
「誰もそれが使えないなら使える人間を人工的に作り出し、ソレに適合させて裏から傀儡のごとく自由に操ればいい、とね。こうして作り出されたのがふたりの子どもだった」
その子どもが誰なのか、瑞千はすぐに理解した。
「《葬装者》として最高の資質を供えられた彼らは素体として最高でね、実際にひとりには《核心》が適合した。そして誰もがその事実に狂喜した。このまま順調に事が進めば世界を支配できると……でもね、神の領域に手を出すという禁忌の代償はとても大きかったんだ」
獅童はその「愚か者たち」を嘲るように鼻で笑う。
「実験は突然失敗。二基のうちまだ適合が済んでいなかった《核心》が暴走したことで《彼岸》に通じる渦がこの場所に生じ、結果としてあの災厄が生じた。施設は跡形もなく消し飛び、適合者のふたりも消息不明、と……本当に救いようのない末路だろう?」
獅童がゆっくりと振り返る。
しかしその顔は逆光で影になっており、どんな表情を浮かべているのかよくわからない。
瑞千の頭にカッと血が昇り、彼女は前に一歩踏み出す。
「まさかあなたは、それを知っておきながら……ッ!」
「報いは甘んじて受け容れるさ」
朧げな薄明が境内に差し込み、空に赤と青のグラデーションを描いていく。
瑞千は背中を向ける目の前の男に何か言おうとしたが、具体的な言葉は浮かばず、悔しげに唇を噛み締める。
この男には敵わないと痛感したが、それでも彼女には最後に言っておきたいことがあった。
「……約束して下さい。私を目的のために利用するのは構いません。でも彼らは……あの子たちを騙すようなマネは絶対によして下さい」
青白い夜明けの光に照らされ、逆光に影を濃くする獅童の後ろ姿は何も言わなかった。




