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青春の楽しさを優先した彼は結局、私と同じ大学に通うはめになった。
そういうわけで、大学でも私と中島のコンビは続いた。
2、3度、とてつもなくバカなことを、やらかしたりもしたが、それも良い思い出だ。
卒業後、彼は祖父母が住む関西へ、両親と共に移った。
実は彼の父とその祖父は、母との結婚の際、折り合いが悪くなり、父と母は、かけ落ち同然に家を飛び出していたのだ。
その後、ずっと疎遠な状態が続いていたが、祖父の体調が思わしくなくなり、自らの経営する大きな商社の運営のためにも帰ってきてもらいたいと和解の連絡が届き、孫の中島もいっしょに帰ることになったのだった。
もちろん、中島は管理職として商社に迎え入れられた。
私のほうはと言うと卒業後、叔父のツテで、ある出版社に就職し、たいした部数ではないマニアックなSF雑誌の仕事などをしては、何とか生活をする状態で、日々の忙しさに次第に中島との連絡も減っていき、最近は年賀状のやり取りぐらいしか、していなかった。
ただ、5年ほど前に彼といっしょに、にこやかに笑った美しい女性の写真付きハガキが投函され、結婚したのだなという印象は残っていた。
そのときにお祝いの電話はしたのだが、丁度、私の担当の作家が原稿が書けず、夜中に執筆先から姿を消すという大事件が起こり、それほど落ち着いて昔話や近況について話す余裕もなく、早々に話を切り上げてしまったのだった。
まあ、こういうことは誰しもが往々にしてあると思う。
それが大人になる、社会人になるということなのだろう。
それだけに突然、中島から電話が入り、「会いたい」「今、東京に居る」と言われたときは正直、面食らった。
しかも、ひどく緊迫した様子で、今日にでも会いたい、何とかならないかと懇願めいた言葉をしつこく繰り返すのだ。
私はいつもつまらない雑事のような仕事に忙殺されていたのだが、何という巡り合わせか、その日は打ち合わせ先に急なキャンセルを告げられ、奇跡的に半日ほど自由な時間が発生していたものだから、彼の切実な訴えに応じることにした。
待ち合わせ場所の喫茶店に現れた中島は、大学時代とさして変わってはいなかったが、青ざめた顔と眼の下にくっきりと浮かんだクマで、ひどく憔悴しきっているのが分かった。
「無理を言って済まない」




