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「妻は『こんばんは』と言った」
「………」
「僕は不思議に思った。独り言で挨拶をする人間が居るだろうか? その疑問が、さっきまで猛り狂っていた僕の肉欲を鎮めた。そして僕は耳をそばだてた。するとまた、妻が喋った。今度は『お元気ですか?』と言った」
「………」
「君は、妻の頭は大丈夫か? 良い病院を紹介しようか? と言うかもしれないね。そういう類いのことではないのだよ。何故なら、続けて聞こえてきた声が…『ええ、元気です。そちらはどうですか?』と言う声が…妻の声ではなかったからだ」
「………」
「それは女性の声ではあったけれど、妻とは違う…もっと老齢の女性の声だった。こう言うと、君は聞き違いでは? 携帯を風呂場に持ち込んでいたのだろう? と思うかもしれない。しかし、それは違うのだよ。この先の僕の話を聞いてくれれば、それは見当違いであると分かってもらえる」
「………」
「妻はその後、その老齢の女性と、しばらく世間話を続けた。僕のほうは思ってもみなかった、おかしな出来事のせいで、燃え盛っていた欲望は収まり、妻に気づかれないように、そっと寝室に戻ったのだ。だが、いつまでも頭の中を疑問がグルグルと巡って、まったく眠くはならなかった。しばらくして妻は寝室へと帰ってきて、ベッドに潜り込んだ。すぐに僕の隣から穏やかな妻の寝息が聞こえてきたよ」
「………」
「次の日の朝、妻に何も変わりはなかった。以前のような何の感情も湧かない面白くも何ともない女ではなく、僕が夢中になっている、かわいくて美しい妻だった。その日の夜も僕は妻を抱いた。あんな妙な出来事があったのに、やはり僕は妻を愛していた。そう僕は臆面もなく、はっきりと言いきれるほど、妻を愛しているのだ。ただ、いつもとひとつだけ違うのは2人の交わりの後、僕が眠らずに、ずっと起きていたことだ。僕は前日の妻の異変を、もう一度、確かめるつもりだった」
「………」




