【長編5】仮想都市の警察官~実像のない東京と、感情のない少女~
私の選んできた道は、
「ただいま、ヨド。すまないな、部活で少し遅くなってしまった」
あの事件から数年。凛紗は高校生になっていた。背も少し伸びて、だんだん偉そうな口ぶりに見た目が追いついてきている。いろんな事情があって、てっきり13歳のまま成長しないのかと思いきや、正真正銘”一人の人間”になったことで、成長するようになったらしい。
「二度目の高校生も、案外楽しいぞ。何より歳の近い子とたわいもない話ができる。心を許せる相手にいつでも会えるというのは、やはり嬉しい」
コメントは完全にオレより年上なんだけど。
「楽しそうで何よりだよ。相変わらず、その制服はビビるけど」
凛紗がかつて、新東京政府という組織の一員だった時。愛用していた、というかその服しか持っていなかったらしいのだが、ブレザーにネクタイ、スカートといった典型的な制服を着ていたのだ。そんな制服で凛紗が目の前に現れると、どうしても十も年下の女の子を家で預かっている、というのを認識してしまう。高校の制服でも、同じことが言える。
「そうか? 私は案外かわいらしくて、好きなんだがな」
「まあ本人が気に入ってるなら、いいんだろうけどさ」
出会ったばかりの頃に比べれば、凛紗はずいぶん明るくなった。昔凛紗に感情がなかった時は、戸惑いの連続だった。自分に感情がないから、オレの気持ちも分かるはずがない。そんなわけでいろいろ苦労したのも、今では懐かしい。負の感情だけではない。ポジティブな感情も、凛紗はたくさん学んでいる。きっと今も、日々複雑な感情を学び続けているのだろう。
「ああ、そうだ」
「ん?」
「まあこれは例えばの話なんだが。私がこの家に彼氏……を連れてきたりしたら、ヨドは怒るか?」
「ぶっ!?」
そして突然、こうやってオレをからかうような余裕まで出てきている。
「ちょっ……冗談だぞ? 真に受けるな」
「……なんだ、いねえのか」
「ん。気になる人がいないと言えば、嘘になるか?」
「は!?」
「嘘だ」
いや別に、凛紗が誰かと付き合うとか、そんなことを許さない頑固親父を演じるつもりは、全くないんだけれども。けれど凛紗が遠くに行ってしまいそうで、少し不安になるのは事実だ。凛紗とは血もつながっていないし、オレにはのぞみという妻がいる。それでも、何だかドキッとする。
「ほんとにいねえのか? 何か最近の凛紗見てたら、あながち冗談でもないんじゃないかって」
「今のところ女子には好かれているが、男子からは距離を置かれているように感じるな。大方、私のことを変な奴、不思議な奴だとでも思っているのだろう。実際、私の出自は変なわけで」
そのあたりの話題は触れてはいけないのかと思いきや、案外自分から話してくるのだから驚きである。ただ、やはりオレから話すのははばかられる。思わぬところで地雷を踏み抜いてしまうかもしれないから。
「そうか……」
しかし。そんなことより、最近の凛紗にはもっと深刻な悩み事があるらしい。というのも、最近凛紗がぼうっとしている時が増えたから。そんな気がするのだ。
あんまりまじまじと観察していると変態みたいだから、凛紗がこちらの視線に気づきそうだったらそっと目をそらす。ここ数日は、ずっとそんなことが続いていた。
「凛紗」
「なんだ」
「いや……オレが気にしすぎなのかもしれないけど、何か悩み事でもあるのかって思って。気のせいなら、それでいいんだ」
「ん。悩んでいると言えば、悩んでいるのかもな」
「マジかよ」
「とはいえ、そこまで心配するようなことではない。気遣ってくれて感謝する」
にこにことして凛紗が言った。以前なら同じセリフを言いながら、完全なる無表情だっただろう。というか、結局何を悩んでいるのかは言ってくれなかった。
「……ま、そんなに心配しなくていいなら、いいんだけども」
オレは口ではそう言いつつ、やっぱり心配だった。何せ、出会った時からあの事件まで、凛紗は自分に関するほとんどの事実を隠して、嘘をついていたのだ。笑っていられるなら大丈夫だろう、と楽観的に考えるオレがいる一方で、ここは真面目に考えるとこじゃないか、とむしろ悩むオレもいた。
「……いや。あまりヨドに悩まれても困るから、言っておこうか」
と思ったら、凛紗の方からそんな言葉が飛び出た。
「うぇ?」
「本当に大した話ではないんだ。最近落ち着いてきただろう? それで、自分自身について考えることが多くなってな」
「凛紗自身について?」
「そうだ。別に私に限った話ではないが、少なくとも私は過去、いろんな選択をしてきた。もし私が、新東京政府から逃げ出していなければ? 逃げ出したとして、例えば望のところに転がり込んでいたとしたら?」
「……ああ、そういうことか」
妙に大げさに言うと思ったが、確かに大ごとではなかった。オレも時たま考えるような話だ。ただ、凛紗の場合は少し意味が違ってくるのかもしれないが。
「そうやって私が無意識のうちに選んできた場面も含めて、もしあの時ああしていたら、と考えるのが少し楽しいんだ」
「楽しいのかよ」
「ん? だってそうだろ? 私は今が一番楽しいと思っているぞ、こうやって普通の人間として暮らしていけるとか、どんな人と結婚して、子どもは欲しいとか欲しくないとか、そんなことを考えた試しがなかったからな。まだ人生が何十年とあると考えるだけで、楽しくなってくる」
そう話す凛紗の声は生き生きとしていた。
この世界がまだ、虚構の概念で覆いつくされていた時。凛紗の将来は不透明だったのだ。何年生きられるのかは凛紗自身にも分からなかっただろうし、何なら次の日突然、総理に消される可能性すらあった。そんな状態で未来のことを考えるなんて余裕はないだろう。
「そんなことまで考えてるのか。オレより年下だぜ?」
オレだってようやく結婚して生活が落ち着いて、子どもをどうするか、なんて話をのぞみとし始めたくらいだ。もっとも、それだけ希望を持っているというのは、いいことなんだろうけど。
「だって自分の腹を痛めて産んだ子どもが、かわいくないわけがないだろ? そうだな、一人目には女の子が欲しい」
「へえ……ってか、一人目って」
オレよりよっぽど頼もしい気がする。こんなんじゃダメだ。……と、何回も思っている気がするが。
しかしそこまで言ったところで、凛紗がふいに暗い顔をした。
「……だが、本当に悩む時もたまにある。ヨド?」
「ん?」
「今でもヨドは、亜凛紗のことを思い出したりするか?」
「亜凛紗、か」
正直、亜凛紗の記憶はオレの中で薄れ始めている。最後に会ったのは小学生の時だし、その頃は毎日が新鮮で、覚えていることがたくさんある。忘れただろうこともたくさんある。それに、いくら凛紗が亜凛紗に酷似しているといっても、凛紗を見て亜凛紗を思い出すことは、ほとんどなくなった。
「正直、思い出すか思い出さないかで言えば、思い出さないかな。凛紗は凛紗だ。外見は亜凛紗に似てるかもしれないけど、全く別人だしな」
「そうか……私は、時々思ったりするんだ。私は果たして、亜凛紗が生きていた時の代わりになっているのか。代わりになっていたとして、それが本当にいいことなのか」
亜凛紗の代わり。
それは恐らく、凛紗が一生背負い込む運命だろう。そもそも凛紗自身が、オレの幼馴染である亜凛紗の代わりとして作られた存在なのだから。今は血が通い、普通の女の子になった凛紗も、かつて人間ではなかったという事実は、覆しようがない。
「亜紗姉を見殺しにしてしまったのもそうだ。不可能だったことは分かっている。亜紗姉と私が、互いに互いのコピーであった以上、二人とも生き残るのは限りなく不可能に近かった。だが、二人で一緒に生きていけたならどれだけよかったか、とも思う」
「それは……」
オレの心も痛くなる。あの時、凛紗の姉・亜紗が亡くなるのを、目の前で呆然と見るしかなかったからだ。だからこそ、凛紗だけは何としてもオレが助ける、と決意を固めたのもある。
だからこそ。亜紗の死を、なあなあで片づけてしまうのは違う。
「そういうことも含めて、いろいろ考えてしまうんだ。……ちょっと、一度に感情を手に入れすぎて、私の中で手に負えなくなっているのかもしれないな」
「……凛紗」
「ん?」
オレにも、いろいろ思うところはある。けど、決めるのはオレじゃない。凛紗の人生なのだから、どんな選択を正しいとか、いいとか思って、どう選んで進んでいくかは凛紗の自由だ。だからオレは、余計な口出しはしない方がいい、と思った。
「凛紗はさ。今、楽しいか? 今まで選んできた道が正しいとか間違ってるとか、そういうのは抜きにして。こうやって平和に暮らして、当たり前みたいに高校生やってる今が、楽しいか?」
「……ふふっ」
凛紗は少しあごに手を当ててから、無邪気に笑った。
「そんなの、私を見てれば分かるだろ。こうやって高校生でいられることも、友達と何でもない話をすることも。大学で、社会で、これから先どんなことがしたいか考えることも。こうして家に帰ってくればヨドという存在があって、みんなで楽しくご飯が食べられることも。私にとっては、全部楽しいことだ」
「……なら、いいんじゃないか。亜紗は、凛紗が過去のことであれこれ悩んで気を病むなんてこと、望んでないと思うし」
「……そうだな」
凛紗が立ち上がる。振り向いてオレに見せた顔は、笑みであふれていた。あどけないようでいて、どこか大人びた、そしていろんな感情が少しずつ混ざり合った笑み。きっと凛紗にしかできない笑顔だ。
「やはりヨドに相談するというだけで、価値があったな」
「え? そうか?」
「相棒というヨドとの関係、私は好きだぞ。相棒だからこそ、互いに言えることもあるだろうからな」
オレがどう言葉を返すか考えているうちに、凛紗が話を打ち切って、夕飯の準備に取りかかり始めてしまった。後を追うようにして、オレも横に並ぶ。
「これからもよろしくな、ヨド」
かぶせるようにして守りたいと言いたくなるような笑顔が、そこにあった。