表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

【長編5】仮想都市の警察官~実像のない東京と、感情のない少女~

私の選んできた道は、

作者: 奈良ひさぎ

「ただいま、ヨド。すまないな、部活で少し遅くなってしまった」


 あの事件から数年。凛紗は高校生になっていた。背も少し伸びて、だんだん偉そうな口ぶりに見た目が追いついてきている。いろんな事情があって、てっきり13歳のまま成長しないのかと思いきや、正真正銘”一人の人間”になったことで、成長するようになったらしい。


「二度目の高校生も、案外楽しいぞ。何より歳の近い子とたわいもない話ができる。心を許せる相手にいつでも会えるというのは、やはり嬉しい」


 コメントは完全にオレより年上なんだけど。


「楽しそうで何よりだよ。相変わらず、その制服はビビるけど」


 凛紗がかつて、新東京政府という組織の一員だった時。愛用していた、というかその服しか持っていなかったらしいのだが、ブレザーにネクタイ、スカートといった典型的な制服を着ていたのだ。そんな制服で凛紗が目の前に現れると、どうしても十も年下の女の子を家で預かっている、というのを認識してしまう。高校の制服でも、同じことが言える。


「そうか? 私は案外かわいらしくて、好きなんだがな」

「まあ本人が気に入ってるなら、いいんだろうけどさ」


 出会ったばかりの頃に比べれば、凛紗はずいぶん明るくなった。昔凛紗に感情がなかった時は、戸惑いの連続だった。自分に感情がないから、オレの気持ちも分かるはずがない。そんなわけでいろいろ苦労したのも、今では懐かしい。負の感情だけではない。ポジティブな感情も、凛紗はたくさん学んでいる。きっと今も、日々複雑な感情を学び続けているのだろう。


「ああ、そうだ」

「ん?」

「まあこれは例えばの話なんだが。私がこの家に彼氏……を連れてきたりしたら、ヨドは怒るか?」

「ぶっ!?」


 そして突然、こうやってオレをからかうような余裕まで出てきている。


「ちょっ……冗談だぞ? 真に受けるな」

「……なんだ、いねえのか」

「ん。気になる人がいないと言えば、嘘になるか?」

「は!?」

「嘘だ」


 いや別に、凛紗が誰かと付き合うとか、そんなことを許さない頑固親父を演じるつもりは、全くないんだけれども。けれど凛紗が遠くに行ってしまいそうで、少し不安になるのは事実だ。凛紗とは血もつながっていないし、オレにはのぞみという妻がいる。それでも、何だかドキッとする。


「ほんとにいねえのか? 何か最近の凛紗見てたら、あながち冗談でもないんじゃないかって」

「今のところ女子には好かれているが、男子からは距離を置かれているように感じるな。大方、私のことを変な奴、不思議な奴だとでも思っているのだろう。実際、私の出自は変なわけで」


 そのあたりの話題は触れてはいけないのかと思いきや、案外自分から話してくるのだから驚きである。ただ、やはりオレから話すのははばかられる。思わぬところで地雷を踏み抜いてしまうかもしれないから。


「そうか……」


 しかし。そんなことより、最近の凛紗にはもっと深刻な悩み事があるらしい。というのも、最近凛紗がぼうっとしている時が増えたから。そんな気がするのだ。

 あんまりまじまじと観察していると変態みたいだから、凛紗がこちらの視線に気づきそうだったらそっと目をそらす。ここ数日は、ずっとそんなことが続いていた。


「凛紗」

「なんだ」

「いや……オレが気にしすぎなのかもしれないけど、何か悩み事でもあるのかって思って。気のせいなら、それでいいんだ」

「ん。悩んでいると言えば、悩んでいるのかもな」

「マジかよ」

「とはいえ、そこまで心配するようなことではない。気遣ってくれて感謝する」


 にこにことして凛紗が言った。以前なら同じセリフを言いながら、完全なる無表情だっただろう。というか、結局何を悩んでいるのかは言ってくれなかった。


「……ま、そんなに心配しなくていいなら、いいんだけども」


 オレは口ではそう言いつつ、やっぱり心配だった。何せ、出会った時からあの事件まで、凛紗は自分に関するほとんどの事実を隠して、嘘をついていたのだ。笑っていられるなら大丈夫だろう、と楽観的に考えるオレがいる一方で、ここは真面目に考えるとこじゃないか、とむしろ悩むオレもいた。


「……いや。あまりヨドに悩まれても困るから、言っておこうか」


 と思ったら、凛紗の方からそんな言葉が飛び出た。


「うぇ?」

「本当に大した話ではないんだ。最近落ち着いてきただろう? それで、自分自身について考えることが多くなってな」

「凛紗自身について?」

「そうだ。別に私に限った話ではないが、少なくとも私は過去、いろんな選択をしてきた。もし私が、新東京政府から逃げ出していなければ? 逃げ出したとして、例えば(のぞみ)のところに転がり込んでいたとしたら?」

「……ああ、そういうことか」


 妙に大げさに言うと思ったが、確かに大ごとではなかった。オレも時たま考えるような話だ。ただ、凛紗の場合は少し意味が違ってくるのかもしれないが。


「そうやって私が無意識のうちに選んできた場面も含めて、もしあの時ああしていたら、と考えるのが少し楽しいんだ」

「楽しいのかよ」

「ん? だってそうだろ? 私は今が一番楽しいと思っているぞ、こうやって普通の人間として暮らしていけるとか、どんな人と結婚して、子どもは欲しいとか欲しくないとか、そんなことを考えた試しがなかったからな。まだ人生が何十年とあると考えるだけで、楽しくなってくる」


 そう話す凛紗の声は生き生きとしていた。

 この世界がまだ、虚構の概念で覆いつくされていた時。凛紗の将来は不透明だったのだ。何年生きられるのかは凛紗自身にも分からなかっただろうし、何なら次の日突然、総理に消される可能性すらあった。そんな状態で未来のことを考えるなんて余裕はないだろう。


「そんなことまで考えてるのか。オレより年下だぜ?」


 オレだってようやく結婚して生活が落ち着いて、子どもをどうするか、なんて話をのぞみとし始めたくらいだ。もっとも、それだけ希望を持っているというのは、いいことなんだろうけど。


「だって自分の腹を痛めて産んだ子どもが、かわいくないわけがないだろ? そうだな、一人目には女の子が欲しい」

「へえ……ってか、一人目って」


 オレよりよっぽど頼もしい気がする。こんなんじゃダメだ。……と、何回も思っている気がするが。

 しかしそこまで言ったところで、凛紗がふいに暗い顔をした。


「……だが、本当に悩む時もたまにある。ヨド?」

「ん?」

「今でもヨドは、亜凛紗のことを思い出したりするか?」

「亜凛紗、か」


 正直、亜凛紗の記憶はオレの中で薄れ始めている。最後に会ったのは小学生の時だし、その頃は毎日が新鮮で、覚えていることがたくさんある。忘れただろうこともたくさんある。それに、いくら凛紗が亜凛紗に酷似しているといっても、凛紗を見て亜凛紗を思い出すことは、ほとんどなくなった。


「正直、思い出すか思い出さないかで言えば、思い出さないかな。凛紗は凛紗だ。外見は亜凛紗に似てるかもしれないけど、全く別人だしな」

「そうか……私は、時々思ったりするんだ。私は果たして、亜凛紗が生きていた時の代わりになっているのか。代わりになっていたとして、それが本当にいいことなのか」


 亜凛紗の代わり。

 それは恐らく、凛紗が一生背負い込む運命だろう。そもそも凛紗自身が、オレの幼馴染である亜凛紗の代わりとして作られた(・・・・)存在なのだから。今は血が通い、普通の女の子になった凛紗も、かつて人間ではなかったという事実は、覆しようがない。


「亜紗姉を見殺しにしてしまったのもそうだ。不可能だったことは分かっている。亜紗姉と私が、互いに互いのコピーであった以上、二人とも生き残るのは限りなく不可能に近かった。だが、二人で一緒に生きていけたならどれだけよかったか、とも思う」

「それは……」


 オレの心も痛くなる。あの時、凛紗の姉・亜紗が亡くなるのを、目の前で呆然と見るしかなかったからだ。だからこそ、凛紗だけは何としてもオレが助ける、と決意を固めたのもある。

 だからこそ。亜紗の死を、なあなあで片づけてしまうのは違う。


「そういうことも含めて、いろいろ考えてしまうんだ。……ちょっと、一度に感情を手に入れすぎて、私の中で手に負えなくなっているのかもしれないな」

「……凛紗」

「ん?」


 オレにも、いろいろ思うところはある。けど、決めるのはオレじゃない。凛紗の人生なのだから、どんな選択を正しいとか、いいとか思って、どう選んで進んでいくかは凛紗の自由だ。だからオレは、余計な口出しはしない方がいい、と思った。


「凛紗はさ。今、楽しいか? 今まで選んできた道が正しいとか間違ってるとか、そういうのは抜きにして。こうやって平和に暮らして、当たり前みたいに高校生やってる今が、楽しいか?」

「……ふふっ」


 凛紗は少しあごに手を当ててから、無邪気に笑った。


「そんなの、私を見てれば分かるだろ。こうやって高校生でいられることも、友達と何でもない話をすることも。大学で、社会で、これから先どんなことがしたいか考えることも。こうして家に帰ってくればヨドという存在があって、みんなで楽しくご飯が食べられることも。私にとっては、全部楽しいことだ」

「……なら、いいんじゃないか。亜紗は、凛紗が過去のことであれこれ悩んで気を病むなんてこと、望んでないと思うし」

「……そうだな」


 凛紗が立ち上がる。振り向いてオレに見せた顔は、笑みであふれていた。あどけないようでいて、どこか大人びた、そしていろんな感情が少しずつ混ざり合った笑み。きっと凛紗にしかできない笑顔だ。


「やはりヨドに相談するというだけで、価値があったな」

「え? そうか?」

「相棒というヨドとの関係、私は好きだぞ。相棒だからこそ、互いに言えることもあるだろうからな」


 オレがどう言葉を返すか考えているうちに、凛紗が話を打ち切って、夕飯の準備に取りかかり始めてしまった。後を追うようにして、オレも横に並ぶ。


「これからもよろしくな、ヨド」


 かぶせるようにして守りたいと言いたくなるような笑顔が、そこにあった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ