8話
「なんですか?」
振り返った男がこちらへ向かって歩いてくる。
デンジャー!デンジャー!本能は再び大声で叫び始めた。自分から呼び止めたのにもう後悔が始まっていた。
こちらを見ながら近づいてくる男。脂ぎった顔とにやけた顔、そして肥満体の体。スケベ親父が自分を標的に向かって来ていた。
「来ないで!」
「へ?」
とっさに小倉さんの口から出た言葉。男も驚いているようだが自分でも驚いてしまった。なにか言わなければならない。脳をの推すことなく発してしまった言葉に対して何か言わなければいけない。
「あの・・・」
実は足を怪我してしまって・・・その言葉が出てこない。いったらあのスケベ親父は襲い掛かってくるのではないか。その予感がした。
「すいません。救助を、救助をお願いできないでしょうか」
小倉さんの頭は真っ白だった。頭が回らない。考えがまとまらない。少し前に言おうとしていた言葉を何も考えず口にした。
「それほど大した怪我ではないのですが足を痛めてしまって。本当に大した事が無いので戻ろうと思えば簡単に自分の足でも戻れるくらいに大した事が無いんです」
必死にだった。怪我とスケベ男。身の危険が二つ同時に襲い掛かってきている気になってしまっていた。
「けど、一応念のために、その、救助をお願いできないでしょうか」
重い怪我だとは思わせてはならない。野生動物は弱っているもの、怪我をしているものを襲うという話が頭にあった。
「そうですか・・・」
男の目はいやらしくじっとりとした目で麻里の体を舐めまわすように見ている。
「本当に大した怪我ではないんです」
「でも近くに行かないでどうやって救助をするんですかねえ?」
「!!!」
確かにそうだ。
助けてもらう、それにはどうしたってこの目の前の男と密着しなくてはならない。
そして男は、さきほど自分が言ってしまった「こないで!」という言葉を使って皮肉を言っているんだ、と気が付いた。
本当であれば肩を貸してもらうか、できれば担いでいってほしい。しかし相手はスケベ親父である。いったいどうすればいいのだろう。自分でも分からなかった。
「ハッ!」
攻撃的で嫌味たっぷりに鼻で笑った。
「だったら!だったらですよ、自分の足で戻ったほうがいいでしょうねぇー。いやあ無事でよかったですよー。わざわざ大した用もないのに呼びつけられてダンジョンを無意味に逆走したかいがありましたよー」
「いやーよかったよかった。無事でよかったですよ。何事も無くて良かったですよ。いやーよかったよかった。」
表情こそニヤニヤだが皮肉と悪意を効かせ男は背を向け再び歩きだした。
「肩を、肩を貸してくれませんか。地上まで連れて行ってくれれば1万円お支払いします」
「ハッ!一万円!一万円ですか!」
なぜこの男はこんなにも攻撃的なんだろうか。全く分からない。
「何を言っているのか意味が分かりませんね。近くに来てほしくないんでしょう。「来ないで!」と言われてしまいましたからね。来るなと言ったり肩を貸せと言ったり全く意味が分かりませんよ」
「気を悪くしたのなら謝ります。自分の影をモンスターと見間違えてしまってとっさに出てでしまった言葉であなたに向けた言葉ではなかったんです」
「へーそうですか、そうですか。それは大変ですねー」
マズい。助けてくれる気が全くなさそうだ。
「本当です信じてください」
「救助隊を呼べばいいでしょう。笛はもっているんでしょう?」
「でも、お金が・・・」
それは本心だ。
実際、小倉さんの家は裕福ではないし、Fランクハンターをするくらいならコンビニでバイトする方が儲かる。
だから正直に目の前の男に打ち明けた。
「それは仕方がないでしょう。ダンジョンを探索するのにはそういったリスクがあることはハンターになる前から分かっているはずです」
「それに・・・それにですよー。さっき肩を貸してくれと言いましたねー。だけど、だけどですよー」
「肩を貸して地上に戻った後にですねー。痴漢だなんだと騒いで訴えられて、裁判でも起こされたら困りますねー」
小倉さんの正直な気持ちは男にはまったく届いていない。
「助けてもらってそんなことは言いません!」
「口では何とでも言えますからね。おっと時間を無駄にしているようですね。私はこれで失礼します」
もはや話は十分とばかりに後ろを向いた。完全に自分の事を見捨てるつもりのようだ。
「約束します!何があってもあなたを訴えたりはしません」
「・・・・・」
「お願いします。先ほどは失礼なことを口走ってしまってすみませんでした。どうか、どうか、お願いします」
「ふぅ・・・しょうがないですね」
男はニチャリと笑った。




