第六十三話 覚悟
レンフィーリスは数多の戦場で大勢の魔族を殺した。
英雄と祭り上げられ命令されるがままに渡された刀を振るい同時に渡された宝珠が彼女を死から遠ざけた。
死なない身体はどんな無茶でも可能にしてしまう。そのせいでどう考えたって死が確定しているような過酷な戦場にだって放り込まれて幾つもの致命傷と死体と経験を積み重ねる。
そのうち痛みすら感じなくなって恐れるものがなくなった彼女は戦場を駆ける時も顔色一つ変えずに淡々と死体の山を作り上げて行く。
数で勝る人間側に魔族すら圧倒してしまうレンフィーリスが加わる事で侵略に次ぐ侵略の毎日、やがて住処を追われた魔族は深淵と呼ばれる陽も当たらない生きて行くには過酷さしかない場所の入り口まで追い込まれそこでの生活を余儀なくされた。
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「間違いなく英雄だと思いますけど? 大勢の人々を救うために戦って魔族を退けたんですから。俺の仲間に師匠の事をとんでもなく尊敬してる奴もいますしそれだけ人を惹きつける偉業を成し遂げたって証だと俺は思いますけど」
ルナに聞かされた話から暗い顔をする師匠を励まそうとそんな言葉を口にする。
しかし表情は沈んだままだ。
「退けたと言えば聞こえはいいが実際私がした事は殺戮にも等しい。魔族と呼ばれる存在がどんな見た目をしているか知っているか?」
問いに頷いて返す。
俺も魔族と呼ばれる存在と関わったが見分けなんてつかなかった。
「私達と同じだ。それでも人間に仇なす敵だと断じて斬り続けたが気分の良いものではなかった。勝利しても人間の脅威を打ち払えたと祝う気分にもならない、ただただ濃い憎しみだけを残す報われない勝利だ。今の地上の状況を作り上げた元凶も私、そんな人間英雄などとは言えない。私が本当の英雄だったなら怨讐すらも消し去って平和な世を作れたはずだ」
俺は地上にはまだ一度も戻っていないから実際見たわけではないが魔族が侵攻を始め現状として人間側が押されているらしい。
そのきっかけは数の差を埋める有用な魔力源を手にした事、つまり俺の心臓が原因というわけだ。
原因云々を言えば俺にもあるというわけだが一番の元凶は俺を殺してこの世界放り込んでくれたあの悪魔だ。
今現在あいつの思惑通り俺という異物のせいで均衡は崩れつつある。
「師匠が責任を感じる事じゃありませんよ。平和なんてものは一人で作るものじゃありません、この世に生きる皆んなで作り上げるものなんです、だから責任の所在は全員にある。師匠は師匠で目の前の命を助けた結果として英雄と呼ばれるようになったんですから誇ったって良いと思いますよ」
ずっと後悔を抱えて生きてきたのだろうか? その苦痛は今の俺には分からないがいずれ知ることになるかも知れない、ここで師匠を消滅させて永遠を生きるという選択をすれば。
しかし、俺は渡された刀を鞘から抜く。
「優しいな、だがそれとこれは話が別だ。同情は不要だぞ、もしそれを抜いた理由がさっきの私の話に対する憐みからの選択だったら考え直したほうがいいだろう、永遠は想像以上に地獄だ。余計な話をするべきじゃなかったな、すまない、やはり日を改めるとしよう」
「いえ、正直俺の意思は決まってるんです。やっぱりまだ終わりたくない、やる事もありますし。俺の決断を鈍らせていたのは師匠の事を考えてたからです。本当に終わりにしたいんですか?」
「恐怖がないと言えば嘘になるだろうな。しかしこれ以上生き長らえれば生に固執するだけの人ならざる何かになってしまいそうでそっちの方が怖いんだ。こんな場所にいる方が気楽と感じてしまうくらいには人をやめてしまっている。一人本能的に生きていくうちに自分と魔物との違いもよく分からなくなってきて、このままではいずれ人と魔物の違いにも疑問を抱き出し、その時自分が何をしでかすか怖くてな」
震える身体と苦悶に満ちた表情。
強さだけが印象的な師匠の弱さをここで初めて垣間見た。
この人は自分が死ぬのはもちろんだけどそれよりも何より人や魔族の命を奪うのが怖いんだろう。
英雄としての活躍の中でどうしても聞かざるを得なかった嘆きの声が彼女の耳の中には今もまだ鮮明に残っているのかもしれない。
そんなものを再び聞く事を恐れている。
でも俺はこの師匠がそんな見境の無い怪物の様な存在になるなんて思えない。
「師匠が誰かを殺すなんてあり得ませんよ、あなたはそんな人じゃない」
それが短い付き合いではあるが師匠の人柄に触れて俺が心の底から思ったこと。
けど、俺は何も分かって無かったんだと思い知らされる。
「思い違いだ、私はお前が思っているような存在じゃない。この心の奥底では何かを殺したいという思いが渦巻いているんだ」
「嘘はやめて下さい」
「嘘じゃない。長い戦果の最中、殺して殺して殺し続けているうちに気付いたんだ。その行為を楽しんでいる自分がいることに。違う違うと必死に否定しても内から衝動が湧き出してくる。それは戦いが終わっても止まず、やがて私は人の前から姿を消してこんな場所に辿り着いた。今だってどうにか押さえつけているだけだ。お前が私を普通の人間に見られたのはお前が私の衝動のはけ口になってたからだ。この場所で私が何回お前を殺したと思う?」
「でもあれは訓練で、それに俺は師匠のおかげで死なない身体だから・・・」
「死なないからと言って平気で殺人紛いの行いをするような奴を普通の人間と言えるか?」
「それは・・・」
「私はもう殺したくないんだ。だから頼む、開放してくれ」
「その考えは何があっても変わらないんですか?」
俺はできるなら今この場所で師匠に消えて欲しくない。
刀で斬るくらいいつでも出来るんだからもう少し先延ばししても良いと思う。
だが、そうやって時間をかけたから師匠は自分で自分を消せなくなった。
だから返ってくる答えは決まっていた。
「変わらない、私はもう限界だ」
短い期間ではあったが弟子として師匠に何か恩を返す方法があるとすればその意志に応えてあげることくらいだろう。
「分かりました」
俺も覚悟を決めた。