第百九十五話 師匠、家族⑩
女騎士達は監獄内に侵入、俺はヴァイスと別れた地点に一足先に移動して先行し姫様の行方を探して進んでいると見つけた扉の先でヴァイスの声を聞き覗いて状況を確認して何故だか助けてしまっていた。
「お前、どうして!?」
「今はどうでも良い、そんな事よりお前に頼みがある。命を救ってやったんだから文句を言わず聞いてくれ」
「ふざけんな! こいつは俺の家族を殺した、放っておけるかよ」
ヴァイスの家族、おそらくムスケルであろう人物が倒れている。
変わってしまったと聞いたが俺にとってはこの世界に来てすぐに出会い様々な事を教わった恩人、心が痛むし目の前の相手に少なからず怒りも湧く。
ヴァイスの気持ちも理解出来るがこの相手だけは駄目だ。
話に聞くのと実際前にするのとではまるで違う。自分とそう変わらない大きさの身体のくせして悠然と佇んでいるそれだけで巨大な体躯を持つドラゴン前にしているかのような威圧感を放っている。
どうにか無力化出来ないかと幾つもの想定を走らせてみるがどのイメージも尽く潰される。
正面、上空、背後、どこを攻めても簡単にあしらわれる。
想像の中ですら勝ちを許して貰えない、こんな感覚はあの時以来。
師匠を前にした時の絶望的な感覚を再び味わう事になろうとは思ってもみなかった。
「じゃあこの場で無意味にあっさり殺された方が良いって言うのか?」
二人がかりでもまず勝ち目は無い。
ヴァイスだってそれには気付いているのだろう、若干の逡巡を見せるが許せないという感情がやはり撤退をなかなか許容させない。
「私が悪を逃がすとでも?」
当然向こうはこちらの判断がつくまで待つなんて空気を読んだ行動するはずもなく容赦ない速度で一気に距離を詰め剣を振るう。
どうにか受け止めるも速さと重さが乗った剣は反撃を許さない。
防戦一方でひたすら耐え忍んでいると一度相手は後ろに飛んで距離を取った。
「この私の剣をここまで受け止めるとは、敵ながらさすがと言わざるを得ませんね」
「そっちこそ中々の速さじゃないか。だが、まだまだ、それじゃあ俺には傷一つ付けられないぜ」
「何を‥‥」
「俺はまだまだ本気を出しちゃいない。そんな事にも気づかずあまつさえ称賛など送っているお前は俺の相手にはならない」
そう言ってやるとゼロは顔を真っ赤にしている。
怒っているのか恥ずかしがっているのか知らないが畳み掛けるなら今しかない。
「これ以上醜態を晒したくないのなら今すぐ俺の目の前から消えろ。そうすればこの場は見逃してやる」
このまま消えてもらって出来ればもう二度と出会いたくはない。
だって今の俺の力だけでは勝ち目が無い。
本気を出してない、そんな訳がない。本気で防御に徹した挙句実はいくつか切り傷を作ってる。
全部、嘘。
この女、正義の味方を名乗っているという事は勇者的資質を持っている。そしてこの手の自分の力を過大評価している勇者ってのはその鼻っ柱をへし折られるとメンタルに大ダメージを負う。
これはつまり、意気揚々と挑んだが実は相手にもされていなかったと知ってメンタルブレイクを起こさせ撤退に追い込む天才的な知略なのである。
「私の剣が通用しない‥‥」
「お前の剣など児戯にも等しい、相手にする価値も無い」
「そうですか」
諦めるか? 諦めてこの場を去るか?
「良いでしょう、なれば私も全力でお相手しましょう。その上で足元にも及ばないのであればそれは私の未熟、甘んじて死を受け入れましょう」
強者を前にしても一歩も退かない。やだこの女、主人公タイプの勇者だった。
というかこいつも全力出してなかったの? あれで!?
「ヴァイス、今すぐ姫様━━そこの女の子を連れて逃げろ!」
メンタルブレイク作戦が失敗に終わった今、戦闘は避けられそうも無い。
最善の策はヴァイスに姫様を連れて行ってもらって二人が逃げ切るまでの時間を俺が稼ぐというもの。フレイヤ達と合流さえ出来れば転移でひとっ飛び。
およそ五分程度、それだけあれば充分のはず。
「悪は一匹たりとも逃さないと言ったはずです!」
ゼロは俺では無く先にヴァイスを攻撃対象とした。
先程よりも一段と速さを増しているが二度も同じ失態を犯すほどヴァイスも間抜けでは無いし未熟では無い。
ただそれは初めの斬撃を躱せるかどうかの話。二度三度と高速で迫り来る斬撃は熟練の兵士でも避けるのは難しい。
「クソがっ」
持っていた剣も弾かれ万事休す。
「まずは一匹」
ゼロの勝利宣言に代わる言葉は直後、驚愕に塗り潰される。
「馬鹿な、そんなはず!」
さすがのゼロですら驚かずにはいられない。
何故なら彼女からすればそれは死者が復活したのと同義だから。
確実に心臓を貫いた、卓越した技術を持っているからこそ自分の失態は考えられない、だからこそそれがまだ生きている理由がまるで見当がつかなかった。
「俺をまだ家族だと、師匠だと呼んでくれる奴の前で醜態晒したまま死ねるかよ」
ヴァイスにとっての師匠、ムスケルが立ち上がり彼を守った。
「良かった、あんたが無事で‥‥」
まるで子供のように安堵の声を漏らすヴァイス。一夜で両親を失う、そんな悪夢を二度もなんて残酷過ぎるときっと神とかいう存在が救ってくれたんだと都合良く解釈して奇跡に目を涙で濡らしているとすぐそれが甘い幻想だと引き戻される。
「残念だが俺はもうそう長く持たない。魔力で心臓の働きを維持しているだけの死に体だ。だから必要な事だけ伝える」
ムスケルはヴァイスの頭に手をやって乱暴に撫で回す。
「これから俺が命を懸けてお前が逃げる時間を稼いでやる、だからお前は生きろ」
「‥‥恩着せがましいんだよ」
「ちゃんと恩を感じて欲しいからな。お前の生きる明日は俺の命で成り立っている、そう思わせればお前も自分の命を粗末にしないだろ?」
オルキアの想いを受け継いだムスケルの命を受け継ぐ。
ずっと自分の命など取るに足らないものだと思っていのに。
羽毛の様に軽かった命に二人分の命が乗った。地を踏むたびずっしりと重さを感じる。
鬱陶しい重み、恐ろしい重み、でももう決して手放したいとは思えない重い想いが乗っかってしまった。
「‥‥‥分かったよ、あんたの命、俺が持って行く。あんたから教わった事全て使って生きて生きて生きまくってやる!」
力強く言い切った最後、小さく「ありがとう」と付け足しヴァイスは駆け出し姫様を抱えて出口へと向かう。
「逃がさない!」
「行かせるかよ!」
ゼロの動きをムスケルが止める。
心臓を貫かれているのにその速度は落ちる事はない。
爪と剣による熾烈な応酬、ヴァイスには結局見せる事はなかったムスケルの全力はゼロであろうと容易に進ませはしない。
「死に損ないの分際でっ!」
募る苛立ちがゼロの速度を更に加速させる、対してムスケルは限界に近づきつつあるのか額に汗を浮かべた必死の形相でどうにか凌いでいる。
先生のそんな姿を見て俺も黙って観戦しているだけではいられない、俺も斬撃の嵐の中に割って入って耐え凌ぐ役割を受け持つ。
「何してる? お前も、早く逃げろ!」
地面に膝をつき苦しげに逃げろと声を吐き出す、やはりもうあまり時間が無いのだろう。
「俺の事は気にしなくて大丈夫です。そんな事よりも早く立って!」
先生の身体は限界だというのは分かっていながらそう言うしかない。
二度目の打ち合い、もう大分見極められつつあるのが分かったから。
このままだと一分持てば良い方、それでは時間が足りない。
「まさか、お前にそれを言われる日が来るとはな」
訓練の際、当時の俺はみっともなくて何度もへこたれてその度に立てと激励された。
「やっぱ人間の成長ってのは早いな」
再び立ち上がったムスケルがゼロに爪を繰り出す。
ゼロはそれを剣で受け流すことはせず一度距離を開けた。
二対一、こうなってはゼロも逃げた者より目の前の敵を優先せざるを得ない。
「お前らの成長に驚かされてばっかりでなんか情けないからよ俺も最後にかっこ良い所を見せてやろうと思うんだ」
仰々しく語るムスケルの双眸は真っ直ぐゼロを見つめる。
「お前をぶっ倒せばそれなりに誇れるだろ?」
ここでそんな挑発して何の意味が、と思ったが多分これは挑発じゃ無い。
格好良さを追求した先生の最後の意地だ。
残り僅かな命でも、勝ち目がいくら薄くとも初めから負けるつもりで挑むのは格好悪い。それに言葉にしたからには達成しないのはみっともない、そうやって自分を追い込んで最後の一滴まで振り絞るつもりなのだろう。
「悪が正義を超えるなどあって良いはずがない」
意地と意地のぶつかり合いが始まろうとしている。




