第百八十三話 回想⑨
エルフの里に辿り着いてすぐ耳慣れぬ音が響き渡る。
それは草を踏みしめる足音、木をなぎ倒す爆音、そして人間の息遣い。
「‥‥なんで」
森をかき分け現れたのはジェスターとイシュ、そしてその部下達。そこにはヴァイスの友も含まれている。
そんな鎧に身を纏った兵士達が里を取り囲む様に現れた。
「誰、知り合い?」
ヴァイスの後ろでオルキアが不安そうに尋ねる。
それに答えたのはジェスター。
「僕はジェスター、ヴァイスの上官のようなもの━━━」
「━━何でここにいる!」
言葉を遮ってヴァイスが問いかける、そこには怒りが込められていた。
だって約束が違う、いきなり無作法に乗り込んで来るなんて。
「何故って、請け負った仕事をこなす為さ」
「話し合いは別の場所でと言ったはずだ」
するとジェスターの隣にいたイシュが愉快そうに笑い声を上げた。
「ほんとバカね! その話、信じてたんだ」
「‥‥‥それは、どういう意味だよ?」
「エルフなんて魔族と一緒でしょ、だったら当然駆除対象、見逃すと思う?」
「残念だけど人間じゃないものは危険だと判断された。ただ、エルフというのは希少な種だ、この場で狩り尽くしてしまうのは惜しい。という訳で皆さん、ここは大人しく我々に従って下さい、そうすれば命までは奪いません」
突如姿を現した人間達を警戒してか他のエルフ達も集まっていた。ジェスターは彼らにも聞こえるよう大声でそんな事を言葉にする。
当然誰もはいそうですかと従う者はいない。口々に不満を述べるその中で代表として里長が前に出る。
「わしらはずっとここで暮らしてきた。今も昔も多少の例外はあったが人間とは関わらず害する事も害される事も無く暮らしてきた。我々が望むのは平穏、ただそれだけ。あなた方の敵になる事はありません。確かに我々はあなた方とは見た目は少し違っている、だが、心はそう違いはないはずです。争いに心を痛め友の死の涙を流す、そんな思いを同胞にも、そして人間にもして欲しくない。見た目など些細な問題、重要なのは心のはず、どうか寛大なお心で我々の存在を認めて下さりませんか」
横暴な人間の要求にも怒りを交えず丁寧な言葉遣いで返す。
この場で何より重要なのは争いを避ける事、その為に低姿勢で敵意が無いことを示す。
「長ったらしいなぁ、要するに従うつもりはないって事?‥‥‥やれやれ、強情だな。そっちが聞く耳を持たないっていうなら仕方ない」
諦めた?
そう思った次の瞬間、血飛沫が上がる。
諦めた、それは正しかった。ジェスターは言葉で従わせる事を諦め力で従わせることに決めたのだ。
「従わなければこうなる、だから黙って従って下さい」
笑みを浮かべたジェスターが手で合図を送ると連れてきていた兵士達が前に出る、そして侵略が始まった。
一瞬何が起きたか分からなかった。
だってこんな結末想像もしていなかった。
争いを無くしたくて動いて何で血が流れる?
頭の中がごっちゃになったが悲鳴によって我に返されすぐさま頭は怒り一色。
「なんて事をっ!」
ヴァイスは剣を抜き向ける。
相手が人間で尊敬していた上官である事もどうでも良い、ヴァイスにとって家族の様な相手を斬りつけたジェスターが許せなかったが相手はジェスター、彼に刃向かうとはつまりイシュの逆鱗に触れるという事だ。
すかさず彼女の手から放たれた魔法がヴァイスの脇腹を抉る。
「庇うだけには飽き足らず刃まで向けるなんて、やはり裏切り者みたいだな」
ジェスターは倒れ込むヴァイスを冷たい視線で見下しさらに冷淡な言葉を追い打ちとばかりにぶつける。
「殺しはしない、裏切り者は見せしめとして兵達の前で処刑と決まっているからね。君はそこで嘆いていれば良いよ、まんまと利用された自身の無能さを」
倒れたヴァイスの襟元にイシュが手を伸ばすとそこには小さな紙片が。そこにはよく分からない記号も記されている。
「あんたはこれで追跡されてたの。惑わしの類もあんたという道標がいれば効果は無い。アルセリア様は初めからあんたを利用してたの」
おそらくそれは部屋を出る間際、服の乱れを直す時に付けられたのだろう。
「‥‥そんな」
全部が嘘だった。
なにがみんなが幸福に生きられる世界だ。
なにが血で血を洗う世界の構造を終わりにしたいだ。
なにが架け橋になって欲しいだ。
あいつはそんなもの少しも望んでいなかった。
親しげな顔で嘘ばかりを並べ絶望へと突き落とす、それがあいつの本質だった。
「くそ‥‥」
そんな奴を信用した自身の間抜けさに怒りが込み上げて、同時に里を危機に陥れた罪悪感に胸が焼かれた。
「あれ、もしかして泣いちゃってる? だっさ。裏切っておいて最後は地べたで泣きべそ。ジェスター様の足元にも及ばないクズね」
まるでゴミでも見るかの様な目でイシュがヴァイスを蹴り飛ばそうと足を上げるも直後響いた「止めて!」という大声と共に突然吹いた突風がイシュを吹き飛ばし阻止した。
「これ以上この子を傷付けないでっ!」
オルキアがヴァイスを庇う様にして覆い被さる。
「よくもやってくれたわね、魔族風情が」
怒りを露わにしたイシュが迫る、このままではオルキアが危ない。
イシュという女は容赦が無い、下手をすれば殺される。
それだけは絶対に避けなければならない、だから傷の痛みに耐え立ち上がる。
「‥‥今のは俺がやりました‥‥すいません」
「あんたが?」
状況的にさっきのはオルキアによるものだと判断したのだろうがイシュ達には妖精が見えない、つまりさっきの風も誰の仕業かなんてはっきりしない。
自分だと言い切ればオルキアの所為にはならない。
「‥‥自衛の為に反射的に」
「そう、じゃあ上官に歯向かった罰を与えないとね」
「跪きなさい」と命令され従う、そしてちょうどいい場所に来た頭をイシュは何の躊躇も無く蹴り飛ばす。
意識が飛びそうになるのを踏ん張って耐えて今にも動き出しそうなオルキアを目で制する。
「イシュ、殺しちゃいけないよ」
「はーい、ジェスター様ぁ☆」
「どうしてこんな‥‥‥」
ついさっきまで平和っだった里では悲鳴が上がっている。
横暴な人間のやり方に抵抗するエルフもいるがずっと争いとは無縁でいたエルフと争いの渦中にいる兵士では戦闘経験の差が如実に現れている。
本来、自然が運んで来るはずの死が悪意に連れられ大挙して押し寄せて来た。
オルキアには止める力も無ければ気力も無い。
綺麗だった世界は急速に穢れる。清潔すぎたが故に何の抵抗手段も持ち得ない。
彼女の心も同じ、何の免疫も無いまま汚泥に浸され機能を奪われた。