第百七十九話 回想⑤
「そう‥‥それじゃあ今ほど頻繁には会えなくなっちゃうのね」
悲しそうな声を漏らしたのはオルキア。
「そっか‥‥でも私、いっぱい薬作ってあんたが来るの待ってるから。帰ってきた時、お願いね」
残念そうな声を漏らしたのはキオリナ。
次、ここに帰ってきたら死ぬかも知れない、そんな危惧の念をヴァイスは抱いた。
「今日は我が弟子の旅立ちを祝って盛り上がろうぜ!」
その場にはキオリナ、オルキアだけでなく里中のエルフが集まっていた。
初めは人間だという理由で遠ざけられまともに口も聞いてくれない者もいたが時間が解決した。
遠ざけようとしても歩み寄ってくる子供に受け継いだ歴史が敗北したのだ。
いくら迫害の過去があろうとそれは過去、今の子供にぶつけるのは間違いだと分かってくれた。
関わる事によって変えられる、人も魔族もこんな風にとヴァイスは希望を見出した。
「ヴァイス」
宴も終わりに差し掛かった頃、オルキアが呼んだ。
隣の席に腰掛けると突然オルキアはヴァイスの頭を撫ではじめる。
「やめろ、ガキじゃないんだから!」
誰かに見られたら恥ずかしいとその手を払う。
「人の成長は早いわね」
エルフのキオリナとオルキア、魔族のムスケル、ヴァイスを取り巻く者達はヴァイスが子供から青年へと変わる時間の中でもほとんど変化はない。
「それだけ早く死ぬって事だけどな。人間は他に比べて脆く、そして長く生きれないから」
そんな事を言うとオルキアは悲しげに顔を曇らせる。
自分達よりもヴァイスの方が先に寿命を迎えると理解しているからだろう。
湿っぽい空気、そんな空気を晴らそうと冗談まじりで続ける。
「ま、まあ俺はそれで良かったけどな。家族みたいな奴らの死なんかに立ち会わなくて済むし」
冗談めかして言ったが本心ではある。
家族との別れを二度も経験させられるなんて御免だ。
「私だって同じ、見送るより見送られたい。でも、こればっかりはどうしようも無い」
種族としての寿命の違いはどうすることもできないとオルキアは視線を下げる。そのままの状態で「だからお願い、約束して」と呟いた。
「危険な事はしないって。いつか別れが来るとしてもそれはずっと先の事、ちゃんと与えられた命を使い果たすまでは死なないって」
騎士となれば危険な事もある、命を落とす事だって当然あり得る。オルキアはそれを心配しているのだろう。
実際、騎士になると伝えてからこれまで何度か遠回しに考えを改めるように促された事もある、だがヴァイスは自分の道を貫くと決めた。
こんなに優しい人達が隠れて暮らさなきゃいけない世界なんておかしい、どうにかしたいというその一心で。
「努力はするよ、俺だって死ぬのは怖い」
人の死を間近で見たからこそ普通の人のそれとは重みが違う。
怖いならもっと安全な道を進めばいいのに、オルキアはそんな事を思ってしまったが言葉には出来ない。
本気で恐怖し、それでもそれ以上の意思に突き動かされて旅立ちを決めた。
ずっと見てきたからこそ分かる揺るがぬ決意を前に必要なのは引き止める言葉じゃない、家族なら掛けるべきは信じて背中を押す言葉だ。
「分かった、じゃあ頑張ってきなさい! でも、嫌になったらいつでも帰ってきて良いから」
「応援しておいていきなりそれかよ! 目的を達成するまで逃げ出したりするか」
「逃げ道を用意しておく事は恥ずかしい事じゃない。王様だっていざという時の為に抜け道は用意してるって聞くし備えは大事。自分を過信してなんの用意もしていないのが一番恥ずかしいの」
「ああ分かった分かった。でも俺の心配ばっかりしてないでちゃんと自分の事も気遣えよ。近頃、魔獣も活発になり始めたって聞くし備えは━━━げふっ!!」
「お前このムスケル様が信用出来ないってか!」
酒臭いムスケルが襲来。
普段は酒を飲まないが偶に飲むとこの有り様。
「言っておくが俺は魔界でも上から数えた方が早い程の実力者、そんじゃそこらの奴には負けん!」
漢はいつでも慎ましくあれ、そんな自らの教えを忘れ声高に自慢した後、地面にぶっ倒れて寝息を立て始めた。
「もう、ムスケルったら」
やれやれといった表情で酔っ払いに駆け寄り介抱するオルキア、その姿を見てヴァイスは思う。好きな相手にこんなみっともない姿を見せて良いのだろうかと?
この分だとムスケルの恋は進展がなさそうだ。
「好きだオルキア‥‥‥結婚してくれ」
「!?」
まさか酔った勢いで!?いつも漢らしさとはなんたるかを得意げに語る男がまさか酒の力を頼ってなど情けないなどと思ったが違う。
この男、目が開いていない。眠ってやがる!
寝言だ、とんでもない寝言が本人に直撃した!
寝言ではあるがそんな言葉を真正面から受け取ったオルキアはどんな表情を浮かべるのか?
そんなの分かりきってる、きっと困惑の表情だ。
オルキアからムスケルに向けてそれらしい感情を向けている様子など見た事がない。
哀れムスケル、眠っている間に玉砕とは。後で報告して落ち込む姿を笑‥‥慰めてやろうと様子を伺っていたのだがおかしい。
オルキアが顔を真っ赤にしている。
「何とも思ってない相手に好きだ何て言われてあんな顔になる?」
いつの間にやらやってきていたキオリナが怖いくらいの無表情で呟く。
「俺はそういうのよく分からないがどうでも良い相手ならああはならないんじゃないか」
「だよね」
「まあお似合いじゃないか? これまでだってお互い助け合ってきたみたいだしあの二人なら一緒になっても上手くいくだろ。良かったな、優しい優しいお義兄さんが出来て━━━っておい!」
人の話もちゃんと聞かずキオリナはさっさと家に戻っていく。
二人が親密になるのが気に入らないのだろうか? 子供じゃないんだから祝福してやれば良いのになんて思っているとしばらくしてキオリナ再び登場。気味の悪い笑みとたぷたぷと揺れる色とりどりの液体の入った薬瓶を両手いっぱいに抱えて。
「何するつもりだ?」
一応聞いてみる。
「飲ませようと思って☆」
思った通り、どうやらこいつ殺しに来てる。
「お前なぁ、そこまですることないだろ!」
「え、何が? 私はただ未来のお義兄さんを元気付けたいだけだし。これを全部一気に飲んだらきっと元気百倍、多幸感が押し寄せてきて寝ても覚めても最高の気分になれるはずだから。ああ私ってなんて義兄想いの妹なんだろ♡」
「お前のは割とマジで洒落にならないから止めろ! 元気になるんじゃなくてただハイになって幻覚見続けるんだろうがどうせ。廃人にするつもりか!?」
「さすがの私でもそこまでしないし! ただちょっと奇行に走らせて幻滅させてやろうかなと思っただけだし!」
「十分極悪だわ!」
「ええいうるさい、さっさと黙ってそこを退くし!」
「やめろ馬鹿、そんな事したら姉さんにも嫌われるぞ!」
「良い! たとえ嫌われても姉さんが私だけを見てくれるなら!」
「思考が病みすぎだ! っていうかお前酒臭いし、さては相当酔っ払ってるな?」
「だからどうしたし?」
「少し頭を冷やせ、頼むラグ」
キオリナの頭上から水が降り注ぐ。
それは水の妖精による仕業。ラグと呼ばれるその水の妖精は妖精の中で唯一人間であるヴァイスが視認できる存在。
「助かった」
「良いよ別に、私だってオルキアの恋路を邪魔させたくなかったし」
「二人して酷い‥‥もしお姉ちゃんがあいつと一緒になって私の面倒見てくれなくなったらどうする気? 私、死ぬし‥‥」
びちょびちょに濡れて地面に横たわりながら力なく呟いたかと思えばすんすんと鼻を鳴らし始める、どうやら今度は泣き始めたようだ。
怒って、奇行に走って最後は泣く、なんて面倒な酔っ払いだろう。
もはや言葉を掛ける気にもならず放っておくとすぐに気持ち良さそうに寝息を立て始めたのでそのまま放置しておいた。
翌朝、ムスケルに全てを話すと血相を変えて飛び出してそのまま告白、なんとそれが見事に成功した。
因みにキオリナは風邪をひいて眠っている間に全てが終わっていたので妨害する事も叶わなかった。