第百七十七話 回想③
身内を尋ねられても答えられる名前はない。
頼りになれそうな人を尋ねられても答えられる名前はない。
「じゃあここで暮らせば良い」
いきなりそんな事を言い出したのはキオリナの姉のオルキア。
「ちょっ、何言ってんのお姉ちゃん!? 人間だよ、そんなの無理に決まってるし!」
「じゃあこのまま行くあてもないのに追い出せって言うの?」
「それは人間側でどうにかする問題、そこを差し置いて私達が関与すべきじゃない」
「でもっ‥‥」
「それにここで暮らす方が辛い思いをするかもしれない」
エルフはそもそもが排他的な種で周りを遠ざけてきた。
理由は簡単、人でも魔族でもない曖昧性によるもの。
表で生まれ育ちながら人とは違った特徴を有し魔族を超える魔力をその身に有している。
そんな存在の始まりは遥か昔、まだ人間が裏を知らず魔族もまた表の存在を知らなかった明確に人と魔族が分かたれた時代にまで遡る。
表で暮らしていた人間の幾人かがある日突然、その姿を変えた。
見た目の変化としては耳の形の変形程度に過ぎなかったが目に見えない部分、己の身に宿る魔力が桁違いに増大していたのだ。
その結果、普通の魔法を使用した場合でも想定外の効力を及ぼす様になり更に見た目の特異性から迫害を受けることになって人里を離れた者たちが集まって作られたのがエルフの里。
「迫害の歴史は今も語り継がれてる。ほとんどはもう昔の事だって気にしてないけど一部、まだ人間を良く思ってないエルフもいる。何されるか分かったもんじゃないし」
「だからってこんな子供に手を出す様な事しないわよ、そんなエルフここには居ない」
「仮にエルフには居なかったとしても妖精は? ここにいる子は大丈夫でもみんながみんなそうとは限らない。あの子達は基本的に人を嫌ってる」
「妖精?」
聞き慣れぬ単語が耳に入って小首を傾げるヴァイスにオルキアは軽く説明をする。
妖精とは火、水、地、風の属性を持った小さな友人。
火はヴルカン、水はニンフ、地はグノーム、風はジルフと呼ばれそこから更に個体によってそれぞれが独自の名前を持っている。
性別は他の生物と同じく男女で分かれていて因みにヴァイスをベットに押しとどめた妖精はジルフの女性で名前はアウラと言う。
妖精も初めは人と共生していた。人が体に宿す魔力を貰って神秘を引き起こす。当時は魔法が今ほど発展しておらず出来ることには限界があった。それらは妖精のもたらす事象には遠く及ばずだからこそ彼らを必要とした。しかし時代が移り変わるにつれ人間の魔法技術は発展して効力の面では妖精に及ばずとも生活に必要な範囲内であれば自分達で賄えるようになる。
それからと言うもの普通の生活に於いては魔法と妖精に頼むのでは魔法の方が消費が少ないので誰しも自身の魔法を利用する様になり役割を失った妖精を目の敵にする者も現れ妖精にとって食事ともいえる魔力を得る機会も大幅に少なくなり困り果てた時に出会ったのがエルフ。
魔力を潤沢に持ちながらも魔法を上手に使いこなせないエルフと魔力を必要とし魔法の代わりとなる神秘を引き起こしてくれる妖精は互いに必要なものを提供し共存共栄していけるとエルフと妖精は共存の道を選んだ。
「みんな話せば分かってくれるわよ」
「お姉ちゃんは妖精に好かれてるからお姉ちゃんが言うなら頷いてくれるかもしれない」
「だったら━━━」
「━━けどそれは受け入れるって意味じゃ無く見逃すって事だと思う」
そこにいることは許すが存在自体は認めない。同じ集団にありながらも敵意の眼差しを向けられる。
子供にとってそんな環境は苦痛であることは間違いない。
「どんなに綺麗に取り繕っても種族っていう大きな要素は無視できないようにできてる、数が多い方が上位になる。人間は人間が住むのに相応しい場所で生きていくのが幸せだと思うよ」
オルキアはすぐに言い返す言葉が出なかった。それがどうしようもなく事実だったからだ。
どんな生き物も異物は拒む、それがどんな影響をもたらすか分からず恐怖し排除しようとする。エルフという種の成り立ちがまさにそれだ。
受け入れられない辛さの記憶はオルキアにはないが記録を見て知ってはいる。親切のつもりが逆に傷付けてしまうかも知れない、やはり人間の事は人間に任せるのが一番なのかもと思い始めた時、勢い良く家の扉を開いて何者かが侵入して来た。
「その話、聞かせてもらった!」
耳に響く声量に力強さを付加した暑苦しい声、とそれに負けず劣らずのむさ苦しい筋肉質な肉体を持った男。
「げっ‥‥」
キオリナがまるで天敵を見るような表情を浮かべる一方、姉であるオルキアは歓迎するように笑顔を向ける。
「ようキオリナ! 自分の部屋から出て来てるとは今日はやる気満々か?」
「んなわけないし! あんたの鍛錬と称した拷問、二度とごめんだし!」
「全く素直じゃないな。いつも最後はいい汗流してスッキリした顔してるじゃないか」
「違うし! あれのどこをどう見たらスッキリしてる様に見える!? どう見たって辛い汗流して死にかけの顔してるんだし!」
アウトドア派とインドア派、決して相容れぬ敵同士。
アウトドア派、それはお日様のもと汗を流す事を至上とする行動力のお化け。長時間に渡り頭から陽に当てられ洗脳でもされてしまったのか意味不明にそうじゃない者を日射しの元へ連れ込もうとする厄介者。
不健康だという理由でインドア派を外へと連れ出し光と暑さに弱い体をその只中に追いやり健康を害そうとする意味の分からない存在。
「もうこれ以上私の平穏を奪わせはしないし」
キオリナは一目散に自分の部屋へと駆け出す、そしてバタンと扉を閉めて鍵をかけ更に保険にと「アウラ、その男が私の部屋に近付かないよう守って!」と妖精にお願いして自身の平穏を守護した。
妹の奇行に姉のオルキアは頭を抱えざるを得ない。
「ごめんなさい、あなたはあの子の為を思って連れ出してくれてるのに」
「いいさそんな日もある」
「次の為にとっておきの特訓メニュー用意しとくから期待しておけよ!」なんて言葉を扉の向こうのキオリナに投げかけると「ふざけんな馬鹿!」と間髪入れずに返ってくるくらいには仲が良い。
「それよりもだ」
がたいのいい男の目がヴァイスに向く。
「お前行く当てがないんだろ?」
頷いて返す。
「だったら俺のところに来るか?」
初対面でとんでもないことを言い出した。
目をひん剥いて固まるヴァイスをよそにその男は一人突き進んでいく。
「おっと、自己紹介がまだだったな。俺の名前はムスケル、正義と筋肉のムスケルだ!」
「ただの筋肉馬鹿のムスケルでしょっ!!」
人間に居場所を奪われ行き場をなくした人間に人間じゃない者達が手を差し伸べてくれた。
恐ろしく平和で理想的な世界がここにはあった。