第百七十六話 回想②
さっきと同じ場所で目覚めた。
窓からは赤い夕陽が差し込んでいる。
「良かった、目が覚めた」
またあの女だ。
反射的に逃げようとした、しかし今回は逃げられない。
体を起こそうとした瞬間、いきなり強い風が吹き荒びヴァイスを押し戻した。
「ふっふっふっ、今度はそう簡単に逃げれると思わない事ね」
絶体絶命、今度こそ死ぬんだと思うとやっぱり怖くて泣いてしまった。
「えっ!? ちょっ、泣いてるの? うそうそ、なんかそれっぽい演出しちゃってごめん、冗談だから別に何もしないし!!」
女はあたふたして何度も頭を下げる。
「キオリナ、あの子の様子はどう? 栄養のありそうなもの色々探してきたんだけど人間も食べるものは私達とそう変わらないわよね?」
両手一杯に食材を抱えた別の女が入ってきて土下座状態の女と涙を流す子供を視界にとらえる。
「違っ、私は何も━━━━」
「何があったの?」
問いかける言葉は女に向けてではないしヴァイスに向けてでもない。視線の向かう先はベットの上ヴァイスのそのまた上の何もない場所。
何も無いのだから返事もあるはずはない、なのにその女はまるで言葉が返ってきたかの様な反応を示す。
「この子には何も見えないのよ。何が起きたか分からなくて怖くなるのは当たり前でしょう」
「でも外には魔法があるし、だからそこまで怯えるなんて思わなくて━━━」
「でもじゃない!」
「ごめんなさい!!」
この人間味のあるやりとりにヴァイスはすっかり拍子抜けしてしまい涙もいつの間にか止まっていた。
「ごめんなさいね、馬鹿な妹が怖がらせちゃったみたいで」
後からやってきた女は手にしていた食材を机に置きヴァイスの元へ、そして優しく頭を撫でる。思いやりと慈しみ、まるで母の様な優しさを受けてそこでようやく自分は助けられたんだと理解した。
「馬鹿じゃないし、お姉ちゃんより頭良いし」
「あらそう、じゃあ言葉を変えるわ。ごめんなさいね、頭は良いけど幼稚で馬鹿なことしかしなくて引きこもりで他者との接し方が絶望的な妹が愚かな事をしでかしちゃったみたいで」
「別に引きこもりでも絶望的でもないし、やろうと思えば出来るけどやろうと思わないからやらないだけでその評価は誤解だし。私はちゃんと優しく接して看病してた、けどその子が逃げようとするから仕方なく風にお願いしただけだし。つまり愚かな事じゃなくちゃんと理由のある行為、それを頭ごなしに怒ったお姉ちゃんの方が愚かだと思うし」
ヴァイスを撫でる手が止まった、そして『ふふっ』と笑い声が漏れる。
子供であるヴァイスでさえそれが不味いことの前兆だと分かるのにキオリナと呼ばれる女は気にせず愚かにもさらに屁理屈を並べ立て最後には論破してやったぞとばかりにドヤ顔を晒す。
ぶちっと頭の血管が切れた音がヴァイスには聞こえた様な気がした。
「やろうと思えば出来る? 誰かお客さんが来た時はいつも知らない間に居なくなるか私の後ろに隠れているかしか出来ないくせに。じゃあ今度から自分が必要な物は自分で買いに行きなさいよ! やれば出来る子なんでしょ?」
「お姉ちゃんどうせ薬売りで外に行くんだからそのついでに買ってきてもらった方が効率的じゃん。私まで出歩くなんて二度手間、不効率。何でそんな無駄な事しないといけないのか意味分かんないし!」
「無駄じゃありません! そのふざけた性根を叩き直すという素晴らしく意味のある行為です」
「良いの? 私にお金持たせて。私、欲しい物何でもかんでも買っちゃうから!」
「何ですかその奇抜な脅しは!?」
「それでも良いならそうすれば良いし!」
キオリナとかいう女の脅しは割と効果的だった。
姉の方は悔しそうにして沈黙、「好きにしろ」と言えばいいだけだろうに言えずにいる。
つまりキオリナという女は前科があるのかそういうまさか本当にやらないだろうという事を本気でやってしまう様な奴なのだとヴァイスは理解した。
「分かりました取り消します。あなたにお金を持たせるのは不安です」
「分かれば良し」
姉は色々と諦めた表情をしていた。
「ごめんなさいうるさくして、今はあの子よりあなたのことを考えるべきね。あなたお名前は?」
ヴァイスは今度は素直に答えた、すると後ろで「私には答えなかったくせに」と文句が聞こえたが聞こえないふり。
「ヴァイス君はどうしてあんな場所で一人でいたの?」
「どうせ迷子でしょ。その子めちゃくちゃだし、この私を見て食べられるとか騒いで逃げ出して手がつけられないやんちゃ小僧だもん。きっと親に怒られるかして何も考えず森に逃げ込んだけど帰り道が分からなくなったに決まってるし」
「キオリナっ、勝手に決めつけないの!」
「だって━━━」
「━━━違う。殺されたんだ」
「‥‥‥え? 殺されたって、誰が?」
ヴァイスは自分の身に起きた事を全て話した。
「‥‥そう、そんな事が」
二人共迷子だとばかり思っていた。
治療して家まで送り届ければそれで全て解決するのだと。
キオリナは話を聞いて納得した。この少年が何故あそこまで怯えていたのかを。
魔族がどうとかいう以前に実際その目で家族が知らない誰かに殺されたのを見た直後、だから近づく何もかもが怖かった。
理解して自分が若干無神経だったかもしれないと思い至る。
「‥‥‥なんかごめん。逃がさない的な事言ったけどあれ冗談だから‥‥いや、完全に嘘ではないけど。人間がここに来るの珍しいからちょっと色々調べさせてもらおうと思ってたけどそれどころじゃないっぽいし、けどもし後で━━━」
バシッと良い音が響き渡りキオリナが頭を押さえて蹲った。
「何で叩かれないといけないんだし!?」
「それが分からないからでしょう。さっきの話を聞いてよくそんな事言えますね」
「結構元気そうだったし別に痛みが伴う事をするつもりはなかったし!」
「痛みがどうこうじゃないでしょ。調べるって事はあなたの目的の為に利用する、つまり相手を道具の様に使うって事。命ある者はお互い敬意を持たなくては駄目。エルフの私達と人間のこの子、種族は違うかもしれないけどどちらにも心があるのは同じで温まり方と傷つき方には違いがない、だから表面だけを見るのではなく心を見る様にしないと。特に私達は繋がりによって日々を豊かに暮らして行けているんだから相手の気持ちに寄り添うって事を良い加減覚えなさい」
「心とか見えないし」
説教を受けたキオリナは完全に拗ねてしまったのか口を尖らせてそっぽを向いている。
姉はそんな妹の姿に動じる様子はない、それがいつもの光景。
助け合いもすれば喧嘩もして最後には仲直りするとっても仲の良い姉妹。
妹は若干、姉に依存している、姉はそれに「しょうがない」と言いつつどこか喜ばしげに対応する。
姉という箱の中に妹がすっぽり収まっている丁度いい関係。
姉が居なくなれば妹は拠り所を無くし、妹が居なくなれば姉は空っぽになる、そんな危うさを秘めた関係。