第百六十四話 一方その頃⑫
「平和ですか、私には到底不可能な妄言としか思えませんが━━━━」
報復を良しとし無関係の人間を大勢死に追いやったクラリスにはもはやその言葉を使う資格も無いし想像もつかない。
それを使っても良いのはおそらく殺しの連鎖を断ち切れる者。
「あなたなら目指す資格はあるのかも知れませんね」
復讐に溺れかけても自力で這い上がれる力を持っている。
「あれほど憎んでいた相手に対して最後殺さないという選択が出来るあなたなら」
まさか、と言うようにリアの目が驚きで大きく見開かれた。
「あっ・・いや、それは・・」
「私達が命懸けで繋いだ絶好の機会をあっさり不意にしてあの女を見逃した。結果中途半端な傷を負った女は暴走、私達は更なる危機に直面しましたけどね」
「すまん!」
女騎士が大怪我を負ってまで繋いでくれた機会、それを無駄にしてしまったのだ。
本当に申し訳なさそうにリアが頭を下げた。
「まさか気付いておったとは・・」
「今監獄に送られてる人もキアラも気付いてはいない様ですけど私は見てしまった、あなたが直前手を抜いたのを。本来なら身体を二つに裂くことも出来たはずなのにあの女に出来上がったのは浅い裂傷だけ、何故あのような真似を?」
落ち着いた声でクラリスはリアに問いかける、その言葉に非難の意は込められていない。
クラリスはただ純粋に理由が知りたかった。
あと一歩で悲願を成し遂げられる、それは普通なら抗いようのない誘惑。その瞬間、自分なら頭の中は喜び一色に染め上げられ何の疑問も持たず当たり前のように願いを叶える。
友人を死に追いやられた自分でこれなら家族を殺されたリアはよりその瞬間を強く願っていたはずなのに。
「どうして彼女を赦せたんです?」
ただただ疑問で仕方なかった。
一体何がリアをおかしくしたのか。
するとリアは「赦してはおらん」と答える。
「今だって怒りはある。この手で引き裂く瞬間を想像したりもする。だが、ここまでの感情を持ってしても人を殺す恐怖には勝てなかっただけじゃ」
殺すという行為は恐ろしい、とはいえ個々によって程度の違いがある。虫や獣を殺す事が平気という者がいれば怖いと思う者もいるみたいに。
この違いがどこから来るのか? それは姿形が違い話も出来ない存在を自分と同じ命を持った存在と見るかそうじゃないかで違ってくる。
当時のクラリスにとって人間は同じじゃなかった、そこらの虫や魔獣と同じで邪魔なら捻り潰しても構わない存在。
だけどリアにとって人間は同じ命、そして持って生まれた優しさのせいで恐怖の方が上回った。
そんな在り方を弱いと見るか強いと見るか、以前までのクラリスであれば前者だったのだが。
「顔を上げなさい、私は別に責めるつもりはありません」
「本当か? わしはお主らの助力を臆病で無駄にしたのじゃぞ?」
「あなたみたいな臆病者に何を言っても無意味」
「うっ・・・」
「なんて嘘ですよ。あなたは何も無駄にはしていない、だって私達が手を貸したのは殺させる為じゃない、あなたに決着を付けて貰う為ですもの。あそこで無理して恐怖を押し殺し心を砕くような事があればそれこそふざけるなという話、自壊に手を貸しただなんて後味が悪いですから」
恨まれていると思っていたリアは思わぬ優しい言葉に涙が溢れて止まらない。
あの時、女と戦うのと同時に両親を失った日以来引きずってきた恨みとも正面から向き合いぶつかり合った、その結果リアはどちらにも勝利した。
女に対しては仲間の力で、そして恨みの方の勝因は恐怖とかいう仕様もないものだが湧き上がる激情を抑える事が出来た。
「完全では無いにしろ一応の決着はついたでしょ」
そう言ってクラリスはリアの胸をちょんと軽く突いてその後少し微笑んで見せた。