第百六十一話 一方その頃⑨
「で、あいつ誰なんだよ?」
「ついこの前貴方達を襲った子と同じ場所に所属する敵ですよ」
「あのクソガキと同じって事はあいつの犬ってわけか」
女騎士は足を止めた。
何をするつもりかは想像がつく。
「また殺すとでも言うつもりですか?」
「当たり前だ。いずれ姫様の道の妨げになるのなら今この場で私が取り除いてやる」
特に何かされたわけでは無い。女騎士にとってはただすれ違っただけの少女。
だがその子は人間で憎むべき相手の仲間、女騎士にとって動機はそれで十分だった。
恨みがあるから殺すんじゃ無い、敵だから殺す。
女騎士は今来た道を引き返そうとする。
「やめたほうがよろしいかと、ここで余計な騒ぎを起こせばお姫様が危険に晒されます。あれは放っておくのが一番、私の顔もろくに覚えていないのですからもしお姫様やリアに会ったとしても何も気付かないでしょうから」
「この暗がりで幸いここは人通りも少ない、一瞬でケリをつけて出来上がった死体はすぐに灰にする、そうすれば騒ぎにはならん」
「そう上手くいくとは思いませんが」
「私という魔族が近くにいながらも全く気付きもしない間抜けなんだぞ」
「何度同じ過ちを繰り返すのです? そうやって人を侮った結果がそれでしょう」
そう言ってフレイヤは女騎士の途切れた腕を指差す。
人間など取るに足らない、そう吼え続けた騎士の結末の姿。
主を守ることも出来ず為す術なく敗北へ追い込まれた無様な敗者の成れの果て。
不自由さを感じる度にこうしてくれた人物に対する怒りも附属して湧いてくる。
今のこの姿は怒りの増幅器、全てを失い地べたからの始まりを余儀なくされるも失った腕を見れば弱気になる心も奮い立たせられる。
だがこれは怒りだけを生み出すものでは無い、同時に戒めとしても機能している。
「侮ったりはもうしない、相手がどんなに間抜けな面を晒していようと全力でいく、闇討ちだろうが何だろうがやって殺してやる。あの日負けた時点で傲りは捨てた」
以前の女騎士は殺しを楽しんでいた。
第一に姫様の為というのは当然だが己の快楽の為としても殺していた。弱い相手は一方的に蹂躙し怯える様を見て楽しむ、それなりに強い敵は時間を掛けてじわじわと嬲りあったはずの闘士を根こそぎ奪い最後絶望する顔を見て歓喜した。
それも全て女騎士の一番の宝を傷付けた事に対する怒りの発散だったのだが敵の強さを思い知った事で考えを改めた。
「少しは学習された様ですけどまだまだですね」
「何だと!」
「本気でやれば、不意をつけば勝てるだなんて思っている時点で侮りが残っている証拠、侮らない事を覚えたのなら次は警戒する事を覚えなさい。そんな事では早死にしますよ」
「私ではどうやっても勝てないと言いたいのか?」
「断言します、貴方では足元にも及びません」
足元にも及ばない、それは自尊心の高い女騎士にとっては強烈な一言。
自身の至らなさを知り騎士として正面からの戦いを捨てそれでも尚足元にも及ばないなんて認められない。
「人の力は認めてやる、だが、そうまで言われるほど落ちぶれたとは思っていない。愚弄するのも大概にしておけよ」
思わず言葉に殺意がこもる、しかしフレイヤはそんなもの意に介さない。
「事実を言ったまでです。彼女は貴方達が戦った口汚く乱暴なあの子よりも遥かに上、四対一でも殺せなかった相手のさらに上の存在に貴方一人で勝てる道理などないでしょう」
さらにフレイヤは続ける。
「あれでもあの子は殲滅機関、巷では聖騎士と崇められる存在の上位に位置する者。下位の騎士では手に負えない化物を殺す化物。魔獣の脅威度における指標の最上位にあたる黒銀位の魔獣や魔族を相手としその尽くを殺してきた人物」
続く言葉はさっきすれ違ったあどけなさを残す少女からは想像もできないもの。
あの色白くか細い手の持ち主が化物とまで呼ばれる存在だなんて信じられるはずがない。
「嘘を言うな、そんな優れた奴が魔族である私が側にいるのに気付かないなんてあり得ないだろ」
「優れているからと言って全てにおいて優れているわけではなく欠点も存在する、あれは圧倒的な強さを有してはいますが頭の方はそっちの成長に追いついていないお馬鹿さんなんですよ。さっき見たでしょ? あんなあからさまな嘘にも気付かなかったのを」
「そして重大な欠点がもう一つ」と真剣な表情の顔を女騎士に近づけ言う。
「正義の味方であるという事」
「・・・はぁ?」
突然子供みたいな言葉が飛んできて気の抜けた声が溢れた。
「ふざけてんのか?」
「いえ、ふざけてませんけど。本人もそう自称してますし」
正義の味方なんてものは何も知らない純粋な子供のための言葉だ。殺すではなく倒すという言葉を使い正義という言葉に血生臭さを付け加えられていないような現実を知らない子供の為のもの。
魔獣やら魔族やらを殺しまくっている人物には似合わない。
「相当頭がいかれてるみたいだな」
「ええ全く、正義の味方である自分は間違った事はしない、人を疑うことは悪だと考えているからああもたやすく騙される」
それを聞いて女騎士は閃いた。
「疑う事をしないなら適当に騙して戦わずして殺す方法がいくらでもありそうじゃねえか」
「難しいかと、あれは殺気というものには敏感ですから。嘘を言って近付いても何か行動を起こそうとした段階で気取られる。そうなればすかさず悪と認定され断罪されます。自身が悪人と判断した相手には本当に容赦がありませんから」
「そんなにやばいのか?」
「あれの行先で悪はただの臆病者に成り下がる、そうする事を拒んだ者は道端で死体として転がる事となる。悪を呑み込む嵐に対してわざわざ向かって行くか否か、賢い私は当然後者、では貴方はどうしますか?」
女騎士はひどく機嫌が悪そうにして再び踵を返した。