第百五十五話 一方その頃③
粉雪が舞う村をリアは一人寂しく彷徨いていたのだがフレイヤが言っていた通り凍える寒さが容赦無く手足を襲い結局すぐに蹲り体を丸めて暖をとるしか出来なくなった。
帰ろうかとも考えたが怒って出てきた手前どうにも帰り辛い。
「とんだ馬鹿者じゃな」
自分がみっともなく感じて不意に口から溢れた。
弱気になっているのだろう。暗さと寒さは孤独を何倍にも押し上げる。
両親を失った日からいつも側に居てくれた人物が今は居ない、それが不安で仕方なかった。
リアは知っている、命というものがどれほど儚いかを。
それを知る前は命とは重く、強度のある何かに例えられた。別の何かと出会っても簡単には押し潰されない鉄のような頑丈さを持ったもの。
でも違った、実際は悪意一つで簡単に消されてしまう脆さを抱えている。
わずか数十秒の間に数十年もの思い出が刻まれた命があっさりこの世から消え去ってしまうと知っているから不安でしょうがない。
「大事なければ良いが・・」
顔を伏せると舞う粉雪が地面に落ちて瞬時に消えていく様子が目に入る、それが嫌で空を見上げた。
すると今度目に入るのはどんよりと重苦しい雲、どこに目を向けても不安を掻き立てる様な光景ばかりで救いが無い。
こんなものなら見ない方がいいと晴れない気持ちのまま目を閉じてしまおうとした瞬間映り込んできたのは見知った顔。
「何してるんです、こんな場所で?」
「クラリス、お主こそ何故ここに? もしやわしを探しに来たのか?」
「そんなはずないでしょう、私はただあの性悪女と一緒にいるのにうんざりしたのでちょっと夜風にでも当たろうかと散歩に出てきただけです」
「一人でか?」
姫様いるところいつでも一緒の女騎士の姿が見当たらない事を不思議に思いリアが聞く。
「私だってたまには一人になりたい事もあるんです」
それは事実、いつもは女騎士がどこに行くにもついて来るので一人になれる機会を探していた。嘘があるのはその前、実際の所クラリスはリアを探していた。
理由としては心配の念がないわけでもないが一番の理由は二人きりで話がしたかったからだ。
だがようやく見つけたリアはその瞳を潤ませいつもの能天気な明るさも失ってしまった見るからに落ち込んだ様子であるのにクラリスは気付いた。
ひたすら輝き続ける太陽の様な存在、それがクラリスがリアに抱いた印象。
陰など出来る余地のない圧倒的な光、怨みで固められた自分とは対極に位置する存在。
『過去ばかり見ていても仕方ない』そんな言葉で辛い経験も簡単に乗り越えられてしまう異常な程前向きな精神の持ち主だとずっと認識していたが違うと気付いたのはあの女と出会った時。
仇を前にし醜くくも復讐を望み、今みたいに不意に一人心細さに涙を流す事もある。
怒ったり悲しんだり、ろくでもない感情に振り回されて忙しないその姿はまるで自分を見ている様に感じた。
その時、ふと、本当に一瞬ではあるが思ってしまったのだ。
なんて惨めなんだろうと。
勿論、行動自体に共感は出来るし間違っているとも思わない。そもそもクラリス自身がそう生きてきた、なのに何故こんな自分を否定する様なことを思ってしまったのか?
答えはとうの昔に出ている、だがそれを認めたくなかっただけ。
心の奥底にはいつもあった。
復讐なんてものは自己満足だと。
きっかけとなった友人はクラリスが自分の身を危険に晒すことをまず望まない。死んでしまった彼女が今のクラリスに言葉を伝えられる術を持っているとすれば今頃説教をくらっているに違いない。
ただ少し反論は出来る。
こちらは復讐という目的を持たなければ心が崩壊する危険があった。一番辛い時期、哀しみに感情の全てが覆われてしまったこちらの気持ちも理解して欲しい。
寝て起きて心がすり潰される、毎日この繰り返し。これがどれ程に苦しいものか先に逝ってしまった者には理解出来ないだろう。
この地獄のような毎日からの逃げ道が復讐だったのだ。
誰も望んでいないただ自分を守るための行為だというのは分かっていたが発想が貧困な自分にはこれしか思い付かなかった。
惨め。
自分と重なるリアを客観的に見て思ったそれは自分に対してでもあると言える。
だからこそ何と声を掛ければいいのか正解が見つからない。
言葉に迷っていると突然ガタっと物陰から不審な音が聞こえて来た。
即座にリアとクラリスは警戒を示す。フレイヤも女騎士もいない状況、相手次第では命の危険に陥りかねない。
しかし杞憂だったようだ。
「にゃあ〜」
ただの猫だったらしい。
張り詰めた緊張を一瞬のうちに弛緩させる気の抜けた鳴き声にリアとクラリスは顔を見合わせ共に少しの笑みを溢してしまう。
「私もあなたも少し気を張り過ぎのようですね。そう何度も、しかもこんな辺境で偶然あの方達に遭遇するなんてそうそうない、もう少し気を抜きましょう」
「それは分からんぞ。ここはあの女に連れてこられた場所、どんな罠が仕掛けられているやも分からん、警戒するに越したことはない」
「それはないでしょ。私たちを害するつもりならいくらでも機会はありましたしそもそもあの場で放っておけば良かっただけのこと、それをわざわざ裏切り者になってまでこちらを助けるなんて馬鹿な事をしたのは元仲間として多少の情があったからなんじゃないです? そこまで疑わなくても良いのでは」
それは違うとリアは首を左右に振る。
「あれは救いを謳い一方の手を差し出しておきながらもう一方の手はいつでもその命を奪える様に刃を潜ませている、そういう女じゃ。わしはもう信用出来ん」
「“もう”という事は以前は信用していたのですか?」
聞いた話では昔から、エルフェリシアの一件が起きる前から関係は良好ではなかったはず。
だからそもそも信用などあるはずはない、だからその言葉はおかしい。
「信用か・・・どうじゃろうな」
リア自身にも分からない。
何故自分が“もう”なんて言葉を発したのかすらわからない無意識のうちに出た言葉。
信用というものは仲の良さから生まれるものだと理解している。仲良く語らいあって心の内を晒しあって構成されるもの、であるならリアとフレイヤの間に生まれるはずはない。
リアにとってフレイヤはある日突然現れて自分勝手をする厄災の様な存在、出会いの段階から印象は最悪で嫌いという感情しかなかった。
とはいえどこか拒めないでいたのも事実。
口では二度とくるなと言いつつも次の訪問を待ち望む自分もいる。
「あいつは来る度にわしを馬鹿にして散々おちょくってくれて腹が立つ奴だ、だが同時にいろんな話をしてくれたし聞いてもくれた。我が城の周りには人里もなく親以外とほとんど出会う事のないそんな環境下であいつの存在は大きかった」
どこか遠くを見る視線、向かう先はなんの変哲もない灰色の空。
しかし見ているものは明るく色づいた過去の景色。
「嫌いではあったがなんだかんだわしはあいつを必要としていたのかもしれん。仲良くはなかったし心を晒しあってもおらんが直感的に敵ではないと感じていた、嫌な奴ではあるがな。これが信用というものならわしはあいつを気付かぬうちに信用していたのだろうな」
━━━だがもう過去の事。
小さな呟きによって過去から現実に帰還する。