第百四十七話 監獄にて ①
「589番、今日からここが貴様の家だ」
乱暴に突き飛ばされた次の瞬間にはガチャリという堅牢な鍵の音。出入口は完全に封鎖され俺はこの狭苦しい無機質な四角形の空間に閉じ込められた。
「全く、乱暴なことで」
やれやれと溜息を漏らす。
出入口の扉は恐ろしく頑丈そうな鉄製、内装は簡素なベットが二つにトイレが一つ、天井付近には鉄格子付きの小さい窓がありそこから流れてくるほんの僅かな月の光だけが光源となる暗く寂しい部屋。
しっかり身体検査をされて手持ちは何もない、服以外の所持品全部を奪われその代わりに腕によく分からない腕輪をされている。
はい、逮捕されました。
前世界では真面目だけが取り柄の我が人生、監獄生活など無縁だと思っていたがよもやこんな日が来ようとは。
意地悪な看守に見るからに怖い感じの囚人達の視線、ここは普通の人間が長く居る様な場所では無い。
早く出て行きたいのは山々だがそうもいかない事情がある、だからせめてそれまでは波風立てず模範囚を演じて平穏な生活を送ろう。
「頑張ろう!」
軽く自らを鼓舞、すると突然背後から声。
「うるせぇんだよっ、ぶち殺すぞ!」
恐ろしい怒鳴り声、その声の主はルームメイトらしい。
「すいません・・・」
そんなに大きな声じゃないのにこの反応・・どうやら平穏は待っていないらしい。
♢
時は牢にぶち込まれる前まで遡る。
戦いによって傷付いたみんなの回復を待ってから目的が全く掴めないフレイヤによる転移によって移動、そうやって連れてこられたのは大陸最北端とのこと。
そこは今しがた自分達が立っていた場所とは打って変わった一面白銀の世界。空からは雪が降り注ぎ吹き荒れる冷たい風と合わさって吹雪となりなんの防寒対策もしていない愚か者を凍死に追い込もうとする。
「「「さっぶっっ!!!」」」
リアと姫様と女騎士が地獄の様な寒さに肩を震わせている中で余裕そうにして苦しむ姿を見て微笑むのは誰と言うまでもない。
「あら? 随分とお辛そうですね。もしお望みであれば私がお助けしましょうか?」
手を差し出すフレイヤ、おそらくその手は助けたいという意思から出されたものではない。
ただ彼女は見たいのだろう、苦しみに耐えかね怨敵による施しを受ける際に見せる自尊心が傷付けられた表情か目の前に湧いて出た救いを自らの手で投げ捨てた際の隠しきれない一瞬の後悔の表情、そのどちらかを。
さすがの俺もなんとなくフレイヤについて理解して来た。この人は他人が困ったり苦しんだりする姿に楽しみを見出す人。
「き、き、き、きさまの施しなどいらんわ!」
真っ先にリアは拒否、しかし震える声はどう考えても強がっているとしか思えない。
元々結構薄着だし当然か。
「私はお願いします」
「姫様がそう仰られるのであれば私も」
姫様と女騎士は揃って助けを受けることにしたらしい。
当然リアが黙っていない。
「何故じゃ!? 此奴は我らの敵じゃぞ、そんな奴の施しを受けるなど正気か?」
「あなた達の敵でしょう。私とキアラには人間であるということ以外にそこの人間を敵視する理由がありませんからこのまま凍死するよりは救いを受ける方がまだ良いと判断したまでです」
「姫様は賢いお方、感情よりも利益を優先し利用出来るものは利用する。貴様は我々に良いように使われるのだ、だから当然感謝などはしてやらん、人間に頭など下げるものか!」
「そ、その通り。か、感謝なんてしませんが早くなんとかしなさい! 死にます!!」
寒さで頭がろくに回ってないらしい。
いつもなら叱責する女騎士の立場を考えない発言に姫様も乗っかってしまっている。
「魔族のお方は頼み方がなってませんねぇ〜、普通誰かにお願いする時は犬の様に地面に転がってお腹を見せながら『お願いしますワン』でしょう?」
どこの世界の普通? 俺のいた世界でもこの世界でもそんな事する人見たことない。
「そんな屈辱的な事を!? それが人間の普通なのですか、これまでそんな馬鹿みたいな事する人間見た事ないのですけど・・・」
しかし姫様はその間違った常識に揺さぶられている。そこに「待ていっ!」と待ったをかける声。
「落ちぶれたな、そんなあからさまでくだらん嘘しか思い付かんとはみっともなさすぎて笑えてくる、くははははっ! クラリス、此奴の言っていることは嘘じゃ、そんな常識わしは聞いた事がない」
フレイヤの企みを潰しやってやったと満足げな表情を浮かべるリアだが勝負はまだ決まっていなかった。
「あら、あなたの言っている事が正しいと言う保証がありますか?」
「わしはこの人間の世で生きてきたのだ、こちらの事なら知っておる」
「生きてきたと言ってもそのほとんどがお城での引きこもり生活、働いた事も無ければ友達も居ないそんなあなたが世間一般の常識を語るんですか? ようやくお家から外に出て行っても我儘ばかりしていたあなたの常識が正しいと?」
きっと悔しくて仕方なかったのだろう。全部事実で何も言い返せなくて。
「うぐぅぅ・・・」
泣いちゃった。
そんな姿を見かねてか助けが入る。
「あなたが正しい保証もないでしょう。私はリアを信じます、成り行きでとはいえ一応行動を共にしている身ですから」
姫様の言葉がよっぽど嬉しかったのかリアの目からは一瞬で涙が引く、そして土壇場で登場した救世主でも見るような顔で「クラリス」とその名を呼ぶ。
数々の試練を共に乗り越えて二人の関係は確実に近づいている、そしてそんな姿を見て唇を噛み締める女騎士も殺気を垂れ流さないだけ成長していると言えるだろう。
「人間にも魔族にも疎まれる立ち位置でありながらこちらでも良いお友達に恵まれたようで羨ましいです、どうぞお仲間同士信じ合って下さい」
美しい友情を目の当たりにしてにこやかに賞賛、微笑ましい光景を前に心が絆され仕方ないと折れる、なんて事この人の場合あるはずなかった。
予想した通り良い空気を壊す「ですが」という一言を躊躇なく付け加え姫様を見据える。
「あなたは私にお願いする立場だという事をお忘れではありませんか? 私が言ったことは確かに常識ではありませんがだからどうしたと言うのです? 私は頭を下げた程度でお願いを聞いてあげるような事はしませんよ。それは堕落に繋がりますので。お願いするだけでなんの不利益もなく自身に都合の良い結果を得られるのなら事あるごとにそれを繰り返し自分で解決する方法を考えるのをやめてしまう、ですが頼み事をするにも自分の身を削るという過程を踏めば軽々にお願いしようなんて思わないでしょう」
「だからこの私も身を削って・・つまりは自尊心を傷付けてお願いしろと言いたいのですか?」
「その通りです、お姫様」
魔界では姫と呼ばれる立場にいたのだ、なのに従順な犬の如く振る舞うなど大きくプライドを傷つけられる、しかし寒いのは辛い、姫様は葛藤する。
「嫌なら結構ですよ、どうぞそのまま凍っちゃって下さい。私が用があるのはユウタさんお一人、あなた達はくっ付いて来た言わばおまけですのでどうなっても一向に構いませんから」
「くっ! 姫様、大変遺憾ではありますがここはあいつの言う通りにするしかなさそうです」
あの女騎士にしては随分素直に引き下がるなんて思い目を向けたその時、見てしまった。
女騎士の口元が一瞬緩むのを。
こいつ姫様のあられもない姿見たさにあっさり折れたようだ。
「このままではいられませんし・・・少し恥辱を我慢すれば・・」
嫌々ながらも覚悟を決めたご様子。
「お願いしますワン!」
姫様は犬になった。
女騎士も後に続いて犬となり無防備にさらされた二つのお腹が、それをフレイヤがぺチッと叩いて「はい、よく出来ました」と防寒対策の魔法をかける。
「こんな屈辱を受けるとは・・この性悪女、いつか見ていなさい」
せめてもの抵抗、ぽつりと小さな声で姫様が恨みを溢す。すると姫様はまた震え出す。
「ちょっと魔法解けてるんですけどっ!?」
「今しがたよからぬ声が聞こえたもので、悲しくて悲しくてあなたに手が回らなくなってしまいました」
「嘘、嘘、謝る、謝るから戻してお願いします!」
「お願いする時はどうするんでしたっけ?」
姫様は再び犬になった。その後、二度の屈辱を受けた悔しさを噛み締め拳を震わせていた。