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008.広報活動と濃ゆい感想(2016.12.24)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 前回は広報(営業)活動についての活動報告をお送りしましたが、期せずして今回ご紹介する活動報告も、広報活動の一環に繋がる流れとなりました。

 流れの発端は年末のご挨拶でありましたが、結果としてその年に得られたご縁の元、つまりは濃ゆ~い感想の話に行き着きます。よろしくお付き合いのほどを。


 ◇◇◇


 私がWeb小説投稿サイトへの参入を決断したのが2015年の後半、実際に参入したのが2016年元旦の0時ちょうど。

 蓋を開けてみれば――様々な方々との出会いがありました。授けていただいた妙案もありました。支える力もいただくことができました。意外な方向に発展したものもあります。

 “案ずるより産むが易し”とはまさにこれ。


 応援して下さった皆様、読んで下さる皆様、誠にありがとうございます。


 ◇


【コメント】

 共通の趣味を持つ仲間、という部分で、感銘を受ける所が多いようです。


 ◇


 コメント主様とはまさに不思議なご縁で、投稿当初に見付けていただいて以来、色々と教えていただきました。のみならず精神的に支え合う間柄に。ただただ感謝です。

 趣味繋がり、やはりご縁は深くなりますね。何せ共通に抱く興味が多くかつ深くなりますから。

 繋がりが濃いとのお言葉をいただけまして光栄です。これからもよろしくお願いいたします。


 ◇


【コメント】

 ちなみに私がなろうに入会した当時は……作品を投稿しても、感想もブクマもも1件ももらえず、かろうじてPVチェックで誰かが読んでくれているのを確認するばかりでした。今でこそ色んな人と交流できるようになりましたが、入会したての時は孤独に書いてた記憶しかありませんね(笑)。


 ◇


 参入当初の孤独の期間、私の場合は幸運にも短く済みましたね。広報活動というものを覚えてから拾い上げていただくまでが短く済んだのは、本当に本当に幸運でした。


 実は“誰にも関心を持たれていない”というのが一番こたえるということに、最初は気付いていなかったのですよ。こき下ろされる方がダメージでかいものだと思い込んでいたわけです――違いましたね。

 とにかく足がかりをいただいてからは、色々と広報活動に手を伸ばさせていただいて、それで何とか今日に至っております。


 やはりリアクションをいただけるのが一番嬉しいですね。私が濃ゆい感想を残すのは、やはり“自分がもらって一番嬉しい形を他所様に残す”という考えから来ています。考えが合わない場合はお気の毒なのですが。


 ◇


【コメント】

 孤独な作業と言うのは辛いものです。

 かといって「文を書いたので読んで」と言える知り合いはリアルには少ないですし(ずうずうしく読ませる事は多々ありますが)。

 いや、言ってもいいけれども原稿持って行って読んでくれる方は非常に少ない。趣味はもろバレしますし、何より勇気がいる上に相手の趣味に合ってないといけない。この壁を越えることができるのがこの「なろう」というツール。その点でこの「なろう」というツールはとても良いツールだと思います。


 自分も始めの方はPVと睨めっこしていましたが、それがあまり意味の無い作業だと気付くのに結構時間がかかったり。今もPV関係の分析を続けていますが、PVくれる方と感想付けてくれる方とは、また違うように思えます(個人の感想です)。


 人様の作品に感想を爆撃しますと、確かに反応は返ってくる確率は高くなるのですが、その行為が他人様の時間を奪っているように思えて心を痛めたり。中村様のかつてのご指摘『こゆい感想を付けてみる』を実践しようにもまた難しい(空振り多いと言う意味で)。一種の才能だと思います。とはいえ、つけた感想に対し薄くても反応が返ってくると、これがまた嬉しい自分がいます。人間って不思議なものですね。


 反応があるという事は『自分は孤独ではない』という事を認識できる『自己肯定』に繋がると思うのです。


 ◇


 コメント主様との出会いも今年の私の大切な収穫です。こちらこそ出会うことができた幸運に感謝しております。


 孤独な作業、キツいですよね。自分の判断基準が本当に正しいのか間違っているのか、それすら危うくなっていきますので。

 ですが、ある意味で己と向き合う時間でもあります。拙作はかれこれ学生時代に知人に読んでもらっていたヴァージョンがベースですが、以来コツコツと書きためてはヴァージョンを改めてを繰り返した経緯を持っております。その間、“これは本当に面白いのか?”という自問と、“これ自体は間違いなく面白い。面白く見えないなら、それは自分の技量が拙いせいだ”という確信を積み重ねて現在に至っております。そこまでの確信を胸に抱く必要があるかどうかは別として。


 “完結せずとも投稿できる”という魅力的な選択肢を与えてくれるWeb小説投稿サイトは非常に優れたツールであると、私も思います。

 その『小説家になろう』というツールを知ったのもここ2年がところのことで。それまでは孤独に書いちゃ直しを繰り返しておりました。なので、孤独にはある程度耐性があったつもりです――当初は。ですが、そんなものはものの1週間で瓦解しました。まず読んでいただかないことには始まらないという――これは動かない事実です。


 PVそのものは、“まず見ていただく”という意味では意義のある数値です。が、それに踊らされてしまっては本末転倒というもの――『アクセス症候群』と私は呼んでいますが。

 おっしゃるように、“感想を付けて下さるほど思い入れを持って自分の作品に接して下さる”方と一見さんとは、恐らく別の人種です。実際にはその中間、“PVを下さるけれど感想をいただけるまでには至っていない”方が存在するわけですが。これらの方を含めて読んでいただいた上で、“そもそも面白いもの、楽しんでいただけるもの”を追求するのが本道であるようにも思えるのです。


 よって、空振りは承知で“可能な限り濃ゆ~い感想を付ける”という手段は、ある種の“広報活動”でもあると同時に、“己を磨く手段”でもあると思うのです。“感想を付けたくなるほど面白い作品や作者様”については、特に。

 “感想やレヴュー、あるいはコメントは、肯定要素を拾う訓練である”との旨の発言を目にしたことがあります。感想をいただければ私は素直に嬉しいので、感想を付けること自体に後ろめたさを感じる必要は必ずしもないと私は踏んでおります。というのは、作品から吸収させていただいた物が確かにあるからで。

 よって空振り、大いに結構。もともと“数を撃ってナンボというのが広報活動の基礎であろう”と私は踏んでおります。要するに“ドブ板営業”というものですね。よって、返ってくるものがあればそれだけで収穫です。そこで目立って、自分の作品にちょっかい出してくださる方がみえたなら、それこそ幸運。“本当に面白いものを書いている”自負があればなおのこと、地道な“広報活動”がいずれ報われるというもの。


 “ヒトの自我とは、周囲とのやり取りをもって初めて存在を確認・証明し得る”とは高名な哲学者の言葉であったと記憶しておりますが。やはり反応をいただくことで初めて“自分は孤独ではない”、つまり“自己が存在している”ことを認識できるというものですね。これは間違いなく“自己肯定”でありましょう。


 この“自己肯定”の場として機能しているという意味でも、Web小説投稿サイトというツールは大いに存在価値を発揮しているのは間違いありませんね。


 ◇◇◇


 というわけで、年末のご挨拶から広報活動へ、さらにそれが感想を送り送られるまでの話に発展、それが「自分は孤独ではない」という繋がりのお話にまでなった活動報告でありました。特に濃ゆ~い感想が果たした役割は小さくありませんね。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。




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