007.感想を欲するならまず書くべし! そしてあきらめる前にやるべきこと(2016.02.12)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
この『小説家になろう』という場、最初にぶち当たる壁が『無関心の深淵』とでも称すべき現象ではないかと、私は考えるのです。
誰からも振り向いてもらえない――最初から辛辣な感想が来るよりいいかと私も考えておりましたが、果たして事実はさにあらず。
好意から最も遠いものは悪意にあらず。実は“無関心”であったのです。
今回は、そもそも読んでいただくための“営業活動(広報活動)”について。よろしくお付き合いのほどを。
◇◇◇(2016.02.12)
広報活動。
現在『汝、欲するならばまず与えよ』の精神で臨んでおります。早い話が『感想が欲しけりゃ、まず他人様の作品を読んで感想を付けるべし』という地道な行い。
なので、筆に詰まったら他人様の作品を覗かせて頂いて感想を残す、この繰り返しになると思います。
まずは「コイツ何物?」と思っていただくところからの勝負というわけで。ああ気長。でも気長じゃなきゃこんな長編(注:『電脳猟兵×クリスタルの鍵』、2018.03.03現在で53万字超)に手を出しゃしないわけですが。
どんだけ長いんだよ、というツッコミが自分内から湧き上がってきましたが、ネタバレになると嫌なのでここでは終点は伏せておきます(意地悪)。つか終点に辿り着くのがまず先決なのは自明の理。
◇◇◇
で、これに関連して、こんなコメントを残したことがあります。アクセス数が低迷する(どころかほとんどない)状況で心の折れそうになっていた方へ宛てたものです。
◇◇◇(2016.09.10)
作者様ご本人が作品を畳む(アクセスの少ない作品を切る)として、その動機付けに疑問を覚えた点があるのです。それを挙げてみますと以下の通り。
・“営業活動”について
・三人称(作品の実験要素)の必然性とメリットの活かし方
・流行と独自性の切り分け
・流行とユーザ・ライクの違い
“営業活動”について。
人気作家・有川浩先生の言に、「プロ作家の仕事の9割は営業です」というものがあります。以前より閲覧数を意識しておいでだとは伺っておりましたが――その割には“営業活動”(この場合は広報活動ですね)、これが淡白に感じられるのは、さて私だけでしょうか。
例えばランキング・サイトへのリンク、これが見当たりません。
例えば活動報告、一部分ごとに更新してみてはどうでしょう。他所様の活動報告にコメントを残すのも目立つ上では重要かと考えます。
例えば感想やレヴュー。読んだ作品に(特に高ポイントを付けたくなるような作品に)濃ゆ~い感想やレヴューを残したら目立つとは思いませんか?
要は、作品に自信ができてきたなら、次は目立つ(=“営業する”)ことにも注力すべきだと思いました次第。
『小説家になろう』もそうですが、そこを念頭に置いて書店の店頭に赴くと、ちょっと背筋の寒い思いを味わえます。――自分の作品は綺羅星のごときこの作品群に埋もれずにいられるのか!? と。
作品の質が良ければそれだけで売れる状況ではないのです。世には作品が溢れ返っているのです。なので、その中で“旗を上げる”ということは、質が良くて、なおかつ目立つ、ということが大事になるのではないかと拝察しました次第。要は“諦める前にするべきことはまだ残っているのではないか?”ということを提示したかった、ということです。
三人称視点(作品の実験要素)の必然性。
三人称を用いることを決めるにあたり、作者様が当初思い描いていた必然性があったはずです。三人称視点のメリット・デメリットを研究する意味合いも、その中にはあったと拝察します。要は、一人称なら一人称なり、三人称なら三人称なりの“魅せ方”が存在する、ということを胸に刻んでおいていただきたいのです。今回三人称視点で描写を試みたのは、必ずしも無駄ではなかったということが言いたいのです。
流行と“独自性”の切り分け。
実のところ、私も“旬”を読めた試しがないので説得力に欠けるところがありますが。
流行“だけ”を追うと、ただの没個性作品に成り下がります。流行の“元祖”となった作品を思い返してみてください。“当時は誰も考えていなかったであろう冒険的題材(独自性)”を、“誰もが真似たくなるほど魅力的に魅せた”からこそ、その作品は“元祖”たり得たのではないでしょうか。二匹目のドジョウは、実のところいないと思って間違いありません。成功の基準にもよりますが、流行と成功は同一であるとは限らない、というのが私の持論です。
かのスティーヴ・ジョブズ氏の言に、「ユーザは、本当は自分が何を欲しているかさえ理解していない。それを先回りして提示することでヒットに繋がるのだ」というような科白がありました。これを咀嚼してみるに、流行は追うものではなく作るものであること――という考え方が浮かんできます。
流行とユーザ・ライクの違い。
独自性が大事とはいえ、ユーザ・ライクを犠牲にしては振り向いてもらえません。ここが難しいところで、それが“初見のインパクト”であったり“お色気”であったりの“定石”であるわけでしょうが。
詰まるところ、“独自性”“定石”“魅せ方”こそが大事だと思うのが私のような偏屈者の考えということになりますね。
さて、ここでユーザ・ライクの一環として、どうしても挙げておきたい項目があります。それが“物語の終着点の提示”です。どこまでも付き合えばカタルシスが得られるのか――そのヒントを、初期のうちに観客へ提示しておくわけですね。どこまでをもって一区切りとするかの宣言です。実はこの作品にはまだそれがありません。この時点で話を畳まれると言われると、残念な気分を覚える、というのが正直なところです。もちろん主人公には“○○”という願望があるわけですが、“ではどこまで○○したら成功とするのか”という描写がいまだ成されていないのです。“勝利条件の提示”と言い換えてもいいかもしれませんね。
とまあ、とりとめのない話を並べてしまいましたが。
自ら書いた作品は、自らの血とし肉としてこそ意義を持つものと考えます。この作品で得られなかったものを嘆くより、得られたもの、あるいは得るべきものを想定して臨んだ方が、伸び代は大きくなるものと考えます次第。
◇◇◇
以上、切磋琢磨の一環としてご提示させていただいたコメントでした。
我が身を振り返って全て実践できているかというと耳の痛い言葉ではありますが、伸び代をお持ちの作者様が下向きの気持ちでいらっしゃる時に差し上げた発破のコメントです。
まあアクセスの低迷に悩むならやることはあるし、それ以前に作品を捨てるような真似はそれこそもったいない、という思いの発露であるのでした。“上達するにはまず完成作品数のを稼ぐこと”という言もあることですし(イタタタ……)。
要はやれることをやりましょう、ということが申し上げたいのでありました。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。
著者:中村尚裕
掲載サイト『小説家になろう』:http://ncode.syosetu.com/n0971dm/
無断転載は固く禁じます。
No reproduction or republication without written permission.