066.【ポンコツ】上等(後編)(2022.10.08)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
私、よくこんなお嘆きを眼に(耳に)します。
「自分は○○が【できない】から駄目で……」
今回はこのお嘆きについて、その背景と向き合い方を【考察】しております(前後編)。
今回はその後編ということになりますが。
まず前編では、私はこう申し上げました――『(【できる】ようになるために)粘り強くあろうとするなら、まずは最初に“自分が【ポンコツ】であること”を受け入れなければならない』と。
また、こうも申し上げました――『人間誰しも、不得意分野においては【ポンコツ】』と。
お伝えしたいのは、こういうことです――『“自分が【ポンコツ】であること”を受け入れるために、心を楽にする捉え方がある』と。
この辺り、逆に障害となりがちな捉え方があります。『(【できる】ようになるべく)粘り強くあろうとするなら、まずは最初に“自分が【ポンコツ】であること”を受け入れなければならない』という事実に向き合うに当たり、その足を引きがちな捉え方から、まずはお話しして参りましょう。
◇
この辺り、人間を単なる『無器質な【数字】』であるとか、あるいは『数直線一本で【評価】できるような、単純な存在』として捉えていると、短所や不得意一つが『致命的な事実』と映りやすいことではあります。『ある不得意分野一点で【ポンコツ】である』ということは、この場合は『自分の【評価】を著しく下げる大欠陥でしかない』わけですから。
なぜこのような思考に至るかと申せば、そういう思考の基盤にある【認識】では『人間の【評価軸】は【総合】一本しか存在しない』からです。この場合、他に【評価】対象分野が存在しないのですから、たった一点の短所や不得意分野が存在するだけで、それは『自分の【評価】を致命的に下げてしまう危険要素』ということになります。これでは『短所や不得意分野は、この世から抹消したくなる』という【行動原理】が生まれたとしても、全く不思議には当たりませんね。
ですが、現実には。
人は『無機質な【数字】』などではありません。『【多様性】を持つ【生命】』です。
つまりは、よく持ち出される『【評価軸】一本で測れるような存在』ではなく、長所も短所も、得意分野も不得意分野も、それこそ個性の数だけ持っているのが【生命】の常というものです。
つまり、人間を『数直線一本で【評価】できるような、単純な存在』として扱うのは、そもそも非現実的なのです。それどころか、精神衛生の観点まで含めれば、『極めて望ましくないモデル化に基づく見方』ということになります。
そう考えてみるとき、こういう考えが成立します――『人間をモデル化するにしても、【評価軸】(パラメータ)は無数に存在するはず』と。
そのような背景があって、私は人間を始め生命の特徴をモデル化する際には『無数の【評価軸】を持つレーダ・チャート、例えるなら【ウニのトゲ】を思い浮かべるのが望ましい』という【認識】をご提示しております。
さて。
そう考えてみたとき、【ポンコツ】はどのような位置付けになるでしょう。
【評価軸】は無数にあります。
得意不得意はあるにせよ、ところどころには相応に長く伸びている(つまり得意な)トゲ(【評価軸】)もあるはずです。不得意で短いトゲがあるにせよ、『それが全て』などということはありません。むしろ、『わざわざ短いトゲで勝負するより、長く鋭く尖ったトゲで勝負をかければいい』と考え直せば済む話。
つまりはこれ、『“全部が得意”でなければならない』などという『狭苦しい強迫観念からの自己解放』になるのです。
これでまだ心配なら、周囲の人々を見渡せば済む話。断言しますが、完全無欠の人など存在しません。得意もあれば不得意もあり、長く尖ったトゲの持ち主は、代償として様々な部分で【ポンコツ】であることもよくあります。
早い話が、こういうことです――例え一部が【ポンコツ】であっても、他の【評価軸】がどれか尖っていれば、それでいい。
勝負は尖った【評価軸】をベースとして、『【自分】の土俵』で仕掛ければいいだけの話です。何もわざわざ不得意な【評価軸】で無謀な勝負を仕掛けることもないわけです。
となれば、『【自分】を【甘やかす】ことなく高みを目指す』ためには。
最初から尖っている【評価軸】、要は『【自分】の得意』をベースに、勝負の仕掛け方を考えるわけです。この仕掛け方で勝つために、【挑戦】を繰り返して能力を伸ばしていく、言い換えれば『得意のトゲを長く鋭く研ぎ澄ませていく』わけですね。
そうすると、『【自分】の得意』がどういう勝負で強みを発揮するのか――という点を【観測】して理解するのも、『【自分】の土俵』で勝負する上では重要になってきます。そのためには実際に使ってみるのが早道というもの。
つまり、【挑戦】してみるわけです。
『“【自分】の得意”が何に活きるか、というのを知る』という目的をも持ってみれば、【挑戦】とは即ち【観測】です。よって【失敗】自体は致命傷でも何でもなく、むしろ『貴重な経験データ』ということになります。それどころか、場合によっては『【想定外】の収穫』が得られることだってあり得ます。
ただし収拾がつかなくなるのは面倒なので、【挑戦】は小刻みに行うのが望ましい、ということになります。こういう背景もあり、“【できる】の【ハードル】”は小刻みに捉えるのが望ましい――ということになります。
こうやって見てみれば、往々にして高く設定されがちな“【できる】の【ハードル】”、つまりは【大目標】とでも呼ぶべきものを、小刻みな【中間ハードル】に分解してみる、その意義が呑み込みやすくもなる――そう私は考えます。
【挑戦】を小刻みにしてみれば、“【自分】の得意”もより細かく精密に見えてきます。新たに見付かる得意もあるでしょうし、得意の活かし方で発見があるかも知れません。
また【失敗】したにしても、それは『【想定外】の中で、何がどう作用したか』を【観測】する機会にできるわけです。【中間ハードル】が具体的であれば、【想定外】そのものも【観測】しやすくなりますし、『“【自分】の得意”や“【自分】の不得意”が【想定外】とどのような相性を示すか』についても知見が得やすくなる道理。こういった知見の数々を元にすれば、『その【中間ハードル】が、本当に【大目標】の中間地点として相応しいか』と見直すことにも発展し得ます。
こういう見地に立ってみたなら、【部分点】という捉え方も一気に重要性を帯びてきます。
『何が【できて】、何が【できなかったか】』もさることながら。『【自分】の持つ得意や不得意』が【中間ハードル】とどのような相性にあるのか、あるいは別に相応しい【中間ハードル】が存在するのではないか、遂にはそれまで【大目標】と見ていたものが、本当に目指すべきものなのか――などなど。
手元に『【自分】の得意と不得意』、【大目標】とその【中間ハードル】、その途中で出くわす【想定外】の数々、さらには【想定外】と『【自分】の得意と不得意』の間にある相性――など【観測】結果を多く揃えてみたならば、さてどうでしょう。
【観測】の位置もデータも増やしていけば、【観測】の精度も【解像度】も格段に向上を果たす道理です。その【観測】結果を元にして日頃から【展望】を立てる習慣を付けていけば、さてどうでしょう。今度は、未来【展望】にも熟達していくことになります。そうすれば、例え【大目標】を同じくしていても、より【自分】に向いたルートを見付けやすくなる道理でもありますね。つまり「この【攻略法】に従わない者が【できる】ようになるはずない!」などという、頭の硬い言説に惑わされずともよくなるわけです。
ここで振り返ってみましょう。最初に挙げたお嘆きです。
「自分は○○が【できない】から駄目で……」
「【結果】が出せなければ【意味がない】し……」(※1)
これに対しては、私ならこう考えます――『嘆く根拠が、あまりにも大雑把』と。
どうやったら【できる】ようになるのか。あるいは【結果】なるものが前提条件として要求しているものは何か。そして何より、【できる】や【結果】に対する【解像度】を上げようとしているのか。そういったことを考えもせず、安易な【結論】に飛び付こうとしている――私の眼には、そのように映ります。
私が申し上げたいことは、こうです。
「嘆くのも、あきらめるのも、まだ早い」
お嘆きのほとんどの場合、【できる】も【結果】も、いずれについても【解像度】が不充分とお見受けします。
ならば【挑戦】こそ至高。その気力がないなら致し方ない場合もありましょうが、少なくとも『【挑戦】する人』に悪意を向ける理由にはならないものと、私なら断じます。ゆえに『悪意に傾ける耳はない』。前を向いて【挑戦】してこそ、開ける道も多々ありましょうから。
このような考えで、今日も【挑戦】を尊ぶ私なのです。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。




