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030.【我流】の【仲間】の探し方(2021.12.04)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、時折耳に(眼に)いたしますのが『周囲に合う人が見つからない』というお悩み。

 この辺り、私なりに思うところもありますので取り上げてみます。よろしくお付き合いのほどを。


 そもそもの話、対人関係を構築するに当たっては、その方針にしても適性にしても千差万別と申すもの。広く浅く接する方もあれば、狭く深く関わる方だっているわけです。

 中でも作家をはじめ創作者は、内面と向き合う傾向が強い、という背景もあります。勢い、まず自分自身にしてからが『深い』部類に入る傾向にある――というのは、そう外れた見方ではなかろう、と私は考えております。

 この認識で外れていなければ、創作者自身の『深さ』に見合った【仲間】は決して多くなく、よって『狭く深い』対人関係を適性とする方が多数を占めるであろうことに、たやすく想像が及ぶというものです。


 さて、ここで。

 創作者の絶対数は、必ずしも多いとは申せません。これは個人的に過去を振り返っての印象ですが、学生時代のクラス(数十人)程度の集団の中で価値観の近しい人、ここで私の申し上げる(広義の)【仲間】が見つかる事例は、非常に稀なのではありますまいか。

 ここで【仲間】とは、『価値観が近しく、互いに支え合える人物』を指します。広義には友好関係を築ける相手、狭義には『互いの長所同士を活かし合える相手』と捉えていただいてよろしいでしょう。

 これは運にもよりますが、創作者である自分自身が百人に一人、あるいは千人に一人の適性を持つ個性と仮定してみましょう。これは『場合によっては学年に一人、学校に数人いればマシ』、というのがイメージしやすいところではないでしょうか。様々なコミュニティがあるにせよ、『個人が現実世界上で、かつ日常的に接する集団』としては、この規模を上回るものはそう多くないものと考えます。

 この考えが外れていなければ――創作者は、要するに『圧倒的少数派』なのです。


 この『圧倒的少数派』が【仲間】を探そうとするなら、現実世界では非常に厳しい条件を突き付けられることになります。

 創作者自身が百人に一人、千人に一人の適性を持つ――と仮定します。この創作者が【仲間】に出会うためには、『集団の中に、自分と相手の“二人”が存在すること』が条件です。すると分母として接触しなければならない人数は、二百人から二千人という計算になりますね。しかも確率としては、その中からやっと一人の【仲間】が見付かるか見付からないか――という厳しいものです。

 この数字は感覚的なものですが、あながち的外れな数字とも思っておりません。

 創作者は、(確率としては)これだけの人数を当たって初めて、ようやく【仲間】に行き着く可能性が得られるわけです。


 さて、現実世界へ眼を向けてみましょう。

 二百人から二千人、これだけの規模の集団に、しかも日常的に、相手の特性が見える程度に深く接する機会が、そう多く在るでしょうか。

 多くの創作者にとっては、『否』という答えになるのではないか、そう私は考えます――現実世界なら。


 さて、ここでお気付きの方もおいでのことと推察します。――ネットなら?


 大前提として、ネットには地理的障壁が実質的に存在しません。いかに遠隔地であろうとも、接続環境と意思疎通の能力さえ整えば、相手と接触を持つことが可能なのです。

 これが意味するところは――ネットで意思疎通できる(SNSなどによる)人全てが、『【仲間】探しの分母となる集団』たり得るわけです。

 もちろん、顔が見えるわけではありません。言動にしても、ネット上で表現できるものに限られます。意図的に伏せていることだって在るでしょう。

 ですが、そこは言動を観察すれば済むことです。表面だけの言葉を鵜呑みにせず、その行いまでも観察してみたなら、自ずと性格は推し量れます。

 実はこれ、現実世界と比べて特に不利ということにはなりません。むしろ外見情報が存在しない分だけ、『相手を人格に近いところから観察できる』ということにも繋がります。


 つまり『人格で相手を観る』という観点に立てば、『ネットで気の合う【仲間】を探す』というのは立派な方法たり得るわけです。少なくとも、【仲間】を探すハードルは一気に下がります。


 ここで個人的にお勧めしたいのは、『「好き!」を叫ぶこと』。

 『類は友を呼ぶ』と申します。『「好き!」というプラスの感情』を共有する相手とならば、関係性を前向きの取り組みへ移していける可能性も増しますし、何より心が救われやすくなります。

 もちろん「嫌い」を叫ぶのを否定はしませんが、ふとしたきっかけから「嫌い」が相互に向くことも充分にあり得ます。他にも理由はありますが、今回の趣旨からは外れますので、これはまた別の機会にということで。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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