023.作品の“良さ”の測り方【持論】(2020.07.10)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
私、作品(小説に限らず)の価値は『良い←→悪い』の1次元“だけ”で測るものではない――と常より考えておりますクチです。
では、と申せば。
私の考えておりますのは、『無数の評価軸と、それぞれの得手不得手や相性を表す特性』です。
これだけではナンノコッチャなので、視覚的に近いイメージを挙げてみますと。
ウニです。
海にいるあのウニです。
全周を覆う無数の棘、あの一つ一つが個々の評価軸で、それぞれの得手不得手に従って棘の長さが異なるというイメージです。
要は『評価項目を無数に持つレーダ・チャート』ですね。
と申しますのは、私の思考の根本にある考えの一つ『価値観もその評価軸も、個性の数(≒ヒトの数)だけ存在する』というものに立脚してのことなのですが。
物事の“良さ”を評価する価値観というのは、ヒトの数だけ存在するはずなのです。ヒトを始めとして生命の生存戦略は多様性ですから、個性化しようとする強制力は必ず現れます。
とは申せ、それぞれの価値観が全く相容れないわけでもありません。共通して高く評価されやすい評価軸もあれば、賛否両論真っ二つの評価軸だってあるはずです。
という背景を考えてみるに。『ヒト(作者自身を含む)からの評価』を視覚化しようとするなら、『無数の評価軸が並び立つ』という視覚イメージは外せません。
さらには相乗効果を得やすい評価軸群もあれば、逆に足を引き合う評価軸群もあるはずです。それを考え合わせるに、『評価軸が360度全方位へ向いている』というのもまた重要なイメージです。
確かにこれを1次元化して評価するのは『観客に対してハズレの少ない評価指標を示す』上では必要不可欠です。
ですがそれは同時に『公平を期すため、個性を極限まで削ぎ落とした(多次元→1次元)結果』でもあるわけです。
それをどうやって表現するかと申せば。
私のイメージは、『全周360度に展開する棘を無理やり一本の評価軸へ“投影”している』と申すもの。
要は三角関数のコサインで、『特定の方向から棘に“光”を当ててできた“影”』を評価の対象とするわけです。
“光”の方向によっては長い棘も短く映りますし、それどころかろくに“影”のできない棘だって存在します。
さらに光の方向は、その時々の流行や嗜好によって大きく変化します。
すると何が起こるかと申せば。その時々によって“影”の長さ(=評価の大きさ)は全くと言っていいほど変わるのです。
そして世の中、その評価軸一本で回っているわけではありません。
なぜなら。
再び申し上げますが、『価値観もその評価軸も、個性の数だけ存在する』からです。
前出の評価軸一本では全員を納得・満足させることは不可能なのです。
なので私は、『特定の指標一つ以外にも評価軸は確実に存在する』という認識の仕方を強くご推奨します次第。
と申しますのも。
『“少数派”に深く刺さった結果として、カルト的人気を博した作品』を私は一つならず知っているからです。
何なら、そういう作品は得てして既存の評価軸を書き換えてしまうことすらあります。
注目を浴びやすい指標一つ“だけ”に眼を奪われているなら、それは“多数派”でこそあれ“絶対”でも“不変”でもないことは、心に刻んでおいて損はまずないでありましょう。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。




