019.フィクションの【説得力】と【インパクト】、その両立(2021.06.12)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
私、フィクションを描いて魅せるに当たっては常に意識していることがあります。
フィクションである以上、話の【核】に存在する【ワクワク】とでも申すものは『大嘘』であるわけですが。もちろん『大嘘』であるからこそ【ワクワク】するところは確かにあるわけです。
で、この【ワクワク】の伝え方、もっと申せば『【観客】の魅了の仕方』には大別して二通りのアプローチがあると心得ております。
1.ハードSF的手法:『【ワクワク】の大嘘』周辺を徹底的にリアルな考証で固め、『リアリティある【説得力】』で魅せる。
2.スペース・オペラ的手法:『【ワクワク】の大嘘』そのものの魅力を前面に押し出し、『【ワクワク】自体の【インパクト】』で魅せる。
以上はSFの手法から例を取ってのことですが、このアプローチはフィクション全般に当てはまりそうです。
つまり、『【ワクワク】の大嘘』をいかに魅せるか――という命題に対する向き合い方としては、解りやすい例と考るのですね。もちろん両極端に限らずとも、両者のいいとこ取りを模索するのも一手ではあります。
さてここで。
1.で示しましたハードSF的手法に「夢がない!」、2.で示しましたスペース・オペラ的手法に「リアルじゃない!」と文句を付けることは簡単にできますが、【作者】の一人である私としては、自分なりにリアリティを込めつつ、『大嘘』に込めた【ワクワク】を【観客】と共有したいわけです。
夢だけを観ていたい方には夢そのものだけを、リアルだけを観ていたい方にはノンフィクションだけを観ていただくこととして。
フィクション、つまり『【ワクワク】の大嘘』を受け入れる素地のある方には、可能な限り深く物語に没入していただきたい――というのが【作者】としての欲ではあるわけです。少なくとも私にとっては。
では――と、ここで疑問をお持ちの向きも多いかと考えます。どちらのアプローチが自分に向いているのか、あるいは有利であるのか、と。
実は、ここまでが【作者】【観客】の双方とも抱きがちな固定観念でして。
私が本当に申し上げたいことは、ここからです。
ハードSF的手法とスペース・オペラ的手法の関係性は――排他ではありません。
要は、『リアリティのある【説得力】』と『【ワクワク】自体の【インパクト】』は、両立させることが可能なのです。
端的な例を一つ。
リアリティや【説得力】の全く感じられない、例えばご都合主義満載の作品があったとしましょう。この作品が、さらに『【インパクト】』の欠片も感じさせなかったと仮定します。
こういう作品が、全くあり得ないと言えるでしょうか――否。下手をすれば具体的な存在に考えが及んだ向きさえあるかもしれません。
これが証明するものは。
『リアリティのある【説得力】』と『【ワクワク】自体の【インパクト】』は、どちらかを殺したところで伸びるものではない――という事実です。
【発想】を縛るのがハードSF的手法ではありませんし、【説得力】を否定するのがスペース・オペラ的手法ではないのです。
逆なのです。
作品に注ぎ込んだ【説得力】と【発想】とは並列の存在であって、互いに打ち消し合うものではないのです。
なので突き抜けて『【インパクト】』に優れた【発想】を、『リアリティある【説得力】』で溢れた魅せ方でもって提示し得る――ということは、先の例を反証として証明できてしまうのです。
スペース・オペラ的手法で【発想】して【ワクワク】の『インパクト』を膨らませ、ハードSF的手法で『リアリティある【説得力】』を研ぎ澄ませたなら、さてどうでしょう――素晴らしい作品の産声が上がる、その予感がしませんか?
というわけで、事あるごとに私の口を衝いて出る言葉が、ここで出てきます。
「設定の隙間はリアル(現実)に訊け」
設定に込める【発想】は自由です。むしろ【発想】の力を鍛えるにあたり、リアルに縛られないよう固定観念を封じることすら推奨します。それほどに固定観念の枷は重く大きい存在です。
その枷を振り払うことで得られる『【ワクワク】の大嘘』の数々は、頭を鍛えれば鍛えるほど『インパクト』を伴って【観客】の脳天を直撃する【発想】となり得る道理です。
その一方で、【説得力】を併せて追求することも自由です。
人の頭で考え得る設定は、現実世界に比べたらちっぽけなものです。知らないことは設定できません。『現場百遍』、調べれば調べるほどに新たな事実が判明し続ける現実世界というものは、このさい敵に回すのでなく、味方につけた方が楽になれる存在というものです。
具体的には。
フィクションの核である『【ワクワク】の大嘘』、これが存在したならば、物語世界は現実世界に対して必ず【歪み】を生じます。ただし全部ではありません。また、現実と地続きの部分から影響を受けることもあるはずです。
要は、『設定と現実が互いに影響し合った物語世界』というものをシミュレートしたなら、どこまでも強い【説得力】を獲得できるはず――というものです。
大丈夫、設定に隙間が見付かったら――その都度『設定の隙間はリアル(現実)に訊け』で済むことです。
このアプローチの利点は、『現実世界の生の【説得力】』をそのまま借りられることです。現実に準拠しているからこそ、水面下で繋がっている事実関係がそのまま物語世界にも引き継がれるわけです。
もちろん、要する労力が小さいとは申しません。
思い付いたものの中で泣く泣くボツにするアイディアや、調べたけれど行間へ埋め込むしかなくなった事実だって、決して少なくはないはずです。
ですがその累々たるボツは、『氷山の一角』をそそり立たせるための質量です。
氷山の正体は、『大部分を水面下に沈めた氷塊が、浮力を得て水面上へ突き出した、ほんの一部分』に過ぎません。そして浮力は水面下に沈んだ質量に比例します。
要は、死屍累々のボツの上にこそ、『良作たる氷山』はそそり立つことができる――というわけです。手間という『水面下の質量』を省いたなら、即座に氷山は矮小化する道理です。
つまり『最終的に、一切の無駄は存在しない』。
これまた私が何かにつけ使う言葉へ行き着く――という、これは考察なのです。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。




