194.【期待】と【カタルシス】、その【貸借関係】(第5回)(2025.02.08)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
さて私、このところ【期待】について【考察】を巡らせております。
【観客】が【作品】に抱く【期待】を考えるには、そも【観客】が【作品】に求めるものを観る【必要】があります。
これを【我流】なりに考えてみますと。
【観客】が求めるものは“【利益】と感じること”、特に【創作物】に対しては“【利益】としての【快楽】”、と捉えることができそうです。
であれば【作者】の【立場】としては、『“【観客】が抱く【期待】”が向く先は、“【利益】としての【快楽】”を(【作品】の中で)“【継続的】に得られる”【可能性】』と捉えておくのが良さそうです。
では、この【快楽】はと申せば。
【観客】の“【利益】としての【快楽】”という【観点】で見てみると、まず“【欲求】を満たされること”が浮かび上がってきます。
ただ同時に、『単に【欲求】を満たされるだけでは得られない【快楽】』もまた浮かびます。
ここでいう“広義の【カタルシス】”がそれに当たりますが、これは『(【欲求】が満たされていない)【ストレス状態】から【解放】された【瞬間】に得られる』ことが解っているのです。
この“広義の【カタルシス】”を“【動】の【快楽】”と捉えてみれば、“【欲求】に基づく【快楽】”つまり“【静】の【快楽】”と【共存】できそうですし、上手くすれば【相乗効果】も【期待】できそう――という【見通し】も得られてきます。
“【動】の【快楽】”は『【欠乏】から【充足】に至るまでの【時間的変化】』、“【静】の【快楽】”は『(【観客】が)求めるものの【種類】』と、別々の【位置付け】を持っているわけですから。
前回はこの“【動】の【快楽】”、その【存在意義】を考えてみました。
“【動】の【快楽】”の【存在意義】というものは、例えば【ラヴコメ】で考えてみると見えてきます。
“【静】の【快楽】”を満たすには『【関係性】を【成就】する』という“【欲求】を【満たす状態】”が【必要】なのですが、実際には【良作】ほど“【欲求】が【満たされない状態】”で【観客】の【興味】を【強烈】に【牽引】しています。
つまり『そこには“【動】の【快楽】”、少なくともそれに関わるものが【存在】していて、それが【観客】の【興味】を【牽引】している』ということになりますね。
今回はここから、さらに“【動】の【快楽】”を掘り下げてみましょう。
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○【考察】:“【動】の【快楽】”、【ストレス】と“広義の【カタルシス】”(その1)
さて、私は“【動】の【快楽】”を【ご紹介】するに当たって、以下の【表現】を用いました。
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・“広義の【カタルシス】”(“【動】の【快楽】”)は『まず【ストレス状態】つまり【満たされない状態】があり、そこから【解放】された、という“【時間経過】に伴う【変化】”で生じる』
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ここで【整理】を試みると、“【動】の【快楽】”とは以下の【プロセス】を経て生じることになります。
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・“【動】の【快楽】”が生じる【プロセス】
1.(【観客】や【登場人物】が)【ストレス状態】に置かれる
2.(【時間経過】の【表現】を含め)【ストレス状態】と【葛藤】する
3.【ストレス状態】から【解放】される
4.“広義の【カタルシス】”(【快楽】)が生じる
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こと【物語】においては、2.の【時間経過】では、ただ【我慢】だけを【配置】しておけることは稀でしょう。
【登場人物】がただ【状況】に流されるだけでは、3.で【ストレス状態】から【解放】される【展開】が【ご都合主義】に映りがちです。
そうなると【観客】としても【シラケ】やすく、【物語】の【展開】も【面白く】しにくいものです。
よって大抵は2.の【時間経過】において“【ストレス状態】との【葛藤】”が描かれることになります。
と、ここで【時間経過】に私が【言及】したのは、実は【偶然】ではありません。
ここまでに私が【言及】した中には、以下の【事実】が【存在】します。
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a.【快楽】の中には、何らかの形で“【満たされていない状態】を【内包】するもの”が【存在】する
b.そういった【快楽】については、例えば【後天的】な【条件付け】のような、“【経験】に基づいて【形成】された【快楽】”ということならまだ【説明】はつく
c.ただし『【満たされていない状態】を【快楽】にどうやって【条件付け】するのか』という【疑問】は、もちろん残る
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ここで【条件付け】という【表現】を、私は用いました。
【条件付け】といえば【パブロフの犬】が【有名】ですね。この場合は『【快楽】もしくはそれに【相当】する【報酬】を【獲得】する前に、“【特定】の【刺激】”を受けさせる』という【経験】を積み重ねるわけです。これによって、『【快楽】と“【特定】の【刺激】”を結び付けるもの』が【条件付け】というわけです。
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さて、今回は一旦ここまで。
“【動】の【快楽】”つまり“広義の【カタルシス】”は、まず【ストレス状態】である【満たされていない状態】があって、そこから【時間経過】を経ての【解放】で得られるものです。
であれば【時間経過】を【表現】する上で“【ストレス状態】との【葛藤】”を描くことになります。
ですが【牽引力】の面で、【満たされていない状態】でありながら【快楽】を【提供】し続ける【必要】はあるわけです。
そこで【我流】としては、【条件付け】というものに【着眼】します。
次回はこの【条件付け】を【足がかり】に、『“【ストレス状態】との【葛藤】”の【段階】で【観客】に【快楽】が【提供】される』という【現象】の【可能性】を掘り下げてみましょう。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。