187.【リアクション】という【描写手段】(第5回)(2024.12.07)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
さて私、このところ【説得力】と、その【対極】にある【手前味噌】、さらにその【代替】となる【表現】の一つ、【リアクション】について【考察】しております。
【手前味噌】は実に【危険】な【地雷】で、そこには【作者】の【作者】の【自制】の【欠如】が透けるものです。これは【観客】の【思考の自由】をいずれ【侵略】しかねないものですから、【読解力】の高い“ありがたい【観客】”ほど読み取って離れていくことになりかねません。
そこで【思考の自由】を【尊重】する【表現】の【例】として、【リアクション】を取り上げているというわけです。
さて【アクション】の【主語】は【自分】です。【手前味噌】に陥る【作者】は、往々にして【アクション】に対する【観客】の【思考】を操りたがるものです。例えば「【自分】の【アクション】にはこんな【効果】が!」という具合に。
ただ一方で、【自然現象】は【観客】の【思考】を操ったりしないものです。すると、【アクション】に対する【観客】の【思考】を操ろうとする【表現】は、軒並み【不自然】ということになります。そして【不自然】な【表現】に【説得力】は宿りません。
これは【表現】一つ一つ、この場合は【アクション】単体で【表現】を【完結】させようとするから【無理】が生じているのです。複数の【表現】で【意味付け】を重ねて【表現意図】を補い合い、それぞれ【観客】の【理解】を補えばいい話です。
この時、【アクション】と【意味付け】を重ねて【表現意図】を補うのが【リアクション】というわけです。
【リアクション】の【役割】は『【アクション】を【補助】すること』です。その一端として『【アクション】から【表現】の一部を引き受けて【内包】し、【アクション表現】の【軽量化】に【貢献】すること』があります。
こうすることで【表現】の【分散配置】を【可能】にして、「(【表現】一つで)【全部】解って!」という【強迫観念】から離れる【可能性】を生む――という見方もできますね。
もちろん【自制】を要しますが、私は相応の【見返り】があると【認識】しています。
前回はこの【見返り】について【考察】を巡らせました。
【アクション】の【主語】は【自分】(≒【作者】)ですが、【リアクション】の【主語】は【他人】です。例えるなら【リアクション】は【口コミ】に似ています。『“【客観】に近い【視点】”から語られるがゆえに、【手前味噌】がない』のです。その【結果】、強い【説得力】が宿るというわけです。
ただしこれは、【リアクション】の【主語】に当たる『“【視点】の主”が【独立】した【行動原理】を持つこと』を【大前提】とします。【口コミ】の主が【サクラ】だったら、途端に【手前味噌】全開になって【台無し】になるのと同じですね。
今回はこの【リアクション】で何が起こるのか、底を掘り下げてみましょう。
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○【リアクション】が帯びる【説得力】
さて“【客観】に近い【視点】”からの【リアクション】を描く時、何が起こるか。
【リアクション】というものは、その【主語】に当たる“【視点】の主”の【主観】を込めたものです。そして“【視点】の主”の【視点】は“【客観】に近い【視点】”ではありますが、それは【アクション】とその主に対してのものです。
この場合、“【視点】の主”は【自身】にとっての【当たり前】に基づいて【行動】・【反応】します。【当たり前】とは、【人】なら【常識】や【行動原理】が、【現象】なら【作品世界】の【自然法則】が、それぞれ【相当】しますね。“【視点】の主”なりの【主観】というわけです。
そしてこの【当たり前】こそが、【観客】に対して“【反応】の【見本】”として【機能】するわけです。【言語化】を試みるなら、「【○○さん】は、こう【反応】しますよ」というわけですね。
ただしこれ、【作者】が「こう思って!」と【思考】を【ゴリ押し】するのとは【決定的】に異なる【意味】を持ちます。何かと申せば、『【観客】の【思考の自由】を【侵略しない】』のです。
【理由】は【単純】、ここで言う【○○さん】は、【観客】とは【独立】して【思考の自由】を【尊重】された【存在】だからです。【独立】した【存在】ですから、【観客】が【共感】しようと【反発】しようと、はたまた【スルー】しようと【自由】です。【観客】にとって、【○○さん】はあくまで【他者】ですから。
これは【現実世界】の【原理原則】そのままです。そして【現実世界】の【原理原則】そのままだからこそ、ここに【現実】ほぼそのままの【説得力】が生じることになります。
そしてこの【現象】というのは、【思考の自由】が【尊重】されていて初めて【成立】するわけです。これは【観客】のみならず、【作品世界】の【登場人物】や【現象】までを含めてのことになります。
ということは【作品】つまり【表現】において、さらに申せば【作者自身】の【姿勢】まで含めて、【思考の自由】に対する【尊重】を【浸透】させる【必要】が生じることになります。
裏を返せば、【リアクション】が【説得力】を帯びるのは、これだけの【代償】を払うからこそ――ということになりますね。【代償】あってこその【利点】というわけです。
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さて、今回は一旦ここまで。
【リアクション】の【主語】である“【視点】の主”は、【他者】です。【アクション】の【主】にとってももちろんですが、【観客】にとっても、他の【登場人物】や【現象】にとっても、です。
この時、“【視点】の【主】”は他の【存在】に対して“【客観】に近い【視点】”に立ち、そこから【リアクション】を示すことにもなります。
ここで、【作品】において【創造主】である【作者】が【他者】の【思考の自由】を【尊重】する時、【決定的】な【構図】が【成立】します。何かと申せば、【アクション】と【リアクション】が【現実世界】の【原理原則】と同じ【関係】になるのです。つまり【現実世界】と同じ【説得力】が生じるわけですね。
次回は、そうして生じる【説得力】が及ぶ範囲について【考察】してみましょう。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。