186.【リアクション】という【描写手段】(第4回)(2024.11.30)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
さて私、このところ【説得力】と、その【対極】にある【手前味噌】、さらにその【代替】となる【表現】の一つ、【リアクション】について【考察】しております。
【手前味噌】は実に【危険】な【地雷】で、そこには【作者】の【作者】の【自制】の【欠如】が透けるものです。これは【観客】の【思考の自由】をいずれ【侵略】しかねないものですから、【読解力】の高い“ありがたい【観客】”ほど読み取って離れていくことになりかねません。
そこで【思考の自由】を【尊重】する【表現】の【例】として、【リアクション】を取り上げているというわけです。
さて【アクション】の【主語】は【自分】です。【手前味噌】に陥る【作者】は、往々にして【アクション】に対する【観客】の【思考】を操りたがるものです。例えば「【自分】の【アクション】にはこんな【効果】が!」という具合に。
ただ一方で、【自然現象】は【観客】の【思考】を操ったりしないものです。すると、【アクション】に対する【観客】の【思考】を操ろうとする【表現】は、軒並み【不自然】ということになります。そして【不自然】な【表現】に【説得力】は宿りません。
これは【表現】一つ一つ、この場合は【アクション】単体で【表現】を【完結】させようとするから【無理】が生じているのです。複数の【表現】で【意味付け】を重ねて【表現意図】を補い合い、それぞれ【観客】の【理解】を補えばいい話です。
この時、【アクション】と【意味付け】を重ねて【表現意図】を補うのが【リアクション】というわけです。
前回はこの【リアクション】の【役割】、特に【存在意義】を掘り下げました。
【リアクション】の【役割】は『【アクション】を【補助】すること』です。その一端として『【アクション】から【表現】の一部を引き受けて【内包】し、【アクション表現】の【軽量化】に【貢献】すること』があります。
こうすることで【表現】の【分散配置】を【可能】にして、「(【表現】一つで)【全部】解って!」という【強迫観念】から離れる【可能性】を生む――という見方もできますね。
もちろん【自制】を要しますが、私は相応の【見返り】があると【認識】しています。
今回はこの【見返り】について【考察】してみましょう。
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○“【客観】に近い【視点】”、その【力】
ここで【リアクション】に対して、「えー、そんなに【自制】しなきゃならないの?」という声が出る――とも私は【予測】しますが。もちろん【自制】と【労力】に対して、私は相応の【見返り】があるものと考えています。
実はこの時、【リアクション】を描くことで【重要】な【現象】が起こります。ここに【見返り】の元があると私は考えるわけですが、何かと申せば『【表現】の中に、“【客観】に近い【視点】”が【出現】する』のです。
“【客観】に近い【視点】”の【力】については、【口コミ】の【威力】にも通ずるものがあります。その【特徴】を言い表すなら『そこに【手前味噌】がない』ということになりますね。
【口コミ】の場合、それ自体の【主語】は【観客】一人一人、つまり【素人】です。対する【広報】の【プロ】が【展開】する【施策】の数々、例えば【プロモーション・ヴィデオ】にしても【イヴェント】にしても、【質】でも【規模】でも敵うものではありません。
ただ一点、【例外】があります。『【口コミ】に【参加】している【観客】は、【作品】と【利害関係】を持たない』ということです。【作品】が売れようがコケようが、【利害】はせいぜい一人の【ファン個人】のものに過ぎないのです。
ここで『【利害関係】のなさ』は『【手前味噌】のなさ』に【直結】します。そこに【作為】が入り込む余地は限りなく小さいわけで、だからこそ“【客観】に近い【視点】”が【成立】するわけです。
こうして【アクション】に対して“【客観】に近い【視点】”の【立ち位置】にあるゆえに、【リアクション】という【表現】に【手前味噌】はなく、【手前味噌】がないからこそ、受け入れやすい――これが【リアクション】が持つ【強み】の【背景】ということになりますね。
ただし、【要注意】。
これで【短絡】して「それじゃ【アクション】の主を【周囲】がひたすらちやほやする【リアクション】を描けばいいのか!」とするような【発想】も私は【予測】しますが。
この場合、私は『“【アクション】の主をひたすらちやほやする【周囲】”は、【観客】には“【説明役】の【人形】”程度にしか映らない』という【可能性】を【危惧】するところです。
と申しますのも、“【客観】に近い【視点】”の【持ち主】としては、【大前提】として、『【視点】は【独立】した【行動原理】を持つこと』があるからです。
【人格】なり【自然法則】なり、要は『容易く【アクション】の主の【思い通り】にならない【行動原理】に基づき動くこと』が【必須】というわけです。これは『【利害関係】がない』点から【必須】ですが、裏を返せば『【利害関係】が匂った【瞬間】に、【手前味噌】臭くなる』ということでもあります。
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さて、今回は一旦ここまで。
【アクション】の【主語】は【自分】(≒【作者】)ですが、【リアクション】の【主語】は【他人】です。例えるなら【リアクション】は【口コミ】に似ています。『“【客観】に近い【視点】”から語られるがゆえに、【手前味噌】がない』のです。その【結果】、強い【説得力】が宿るというわけです。
ただしこれは、【リアクション】の【主語】に当たる『【視点】の主が【独立】した【行動原理】を持つこと』を【大前提】とします。【口コミ】の主が【サクラ】だったら、途端に【手前味噌】全開になって【台無し】になるのと同じですね。
次回はこの【リアクション】で何が起こるのか、底を掘り下げてみましょう。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。