184.【リアクション】という【描写手段】(第2回)(2024.11.09)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
さて私、このところ【説得力】と、その【対極】にある【手前味噌】、さらにその【代替】となる【表現】の一つ、【リアクション】について【考察】しております。
前回はこの【手前味噌】の【地雷】について【考察】を巡らせました。
【手前味噌】は実に【危険】な【地雷】で、そこには【作者】の【作者】の【自制】の【欠如】が透けるものです。これは【観客】の【思考の自由】をいずれ【侵略】しかねないものですから、【読解力】の高い“ありがたい【観客】”ほど読み取って離れていくことになりかねません。
そこで【思考の自由】を【尊重】する【表現】の【例】として、【リアクション】を取り上げて参ります。
今回は、その【位置付け】から考えてみましょう。
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○【アクション】と【リアクション】、その【位置付け】
さて、今回取り上げるのは【リアクション】です。ということは【反応】であって、つまりその前に元となる【アクション】があります。この【アクション】そのものより【リアクション】に私が重きを置くのには、もちろん【相応】の【理由】があります。
【アクション】の【主語】は【自分】です。【作品内】で【自分】といえば【登場人物】を指すと思われがちですが、それだけとも限りません。この場合、その【登場人物】に【思い通り】の【現象】を起こさせたい【作者】もまた【自分】のうちに含まれるものです。
そしてこの【自分】が【アクション】の【効果】を語るとき、そこには【手前味噌】と同じ【構図】が現れます。『【自分】が起こした【アクション】の【効果】を、自ら【表現】する』というわけですね。『【自分】の【ギャグ】がどう面白いのか【説明】する【芸人】』の【姿】が、そこには重なって映ります。
ここで【作者】が考えがちな【命題】は、「【表現】をどうすれば、【観客】に【思い通り】の【心理】を抱かせられるか」というものです。解りやすい【例】としては「この【攻撃】にはこれだけの【威力】が!」、あるいは「この【感情】の強さときたら!」という具合に、『この【すごさ】を【理解】して!』とする【欲求】ですね。こういった【作者】の【欲求】が、【アクション】を【強調】する【動機】になります。
ですが。
この【命題】にこだわる限り、【作者】が自ら【説得力】を【最大化】することは【不可能】です。
というのは『【観客】の【思考の自由】を【考慮】に入れていないから』です。
そもそもの話、【観客】は【生物】として【多様性】を持ちます。
これが【意味】するのは、『【作者】の【意図通り】に【表現】を【解釈】する【観客】は、さほど多くない』ということです。むしろ『【特定】の【表現意図】を押し付けてきたり、【特定】の【解釈】を【強要】したりするような【自然現象】』というものは【存在】しません。
言い換えれば、『【思考の自由】を【侵略】してくる【表現】は【不自然】そのものであって、【観客】には【説得力】は感じ取ってもらえない』ということです。
【理由】は【単純】、『(【表現意図】以外の部分が)【不自然】だから』です。
つまり【観客】に【説得力】を感じてもらいたければ、【表現】を【自然】に寄せていく【必要】が生じるわけです。そして【自然】は【思考の自由】を【侵略】してきたりはしません。ただ、そこに【存在】するだけです。
この場合、【自然】に寄せるべき【表現】には【アクション】が含まれます。要は【アクション】に【表現意図】を込めはすれど、【作者】は【可能】な限り【自然】に描くのが【有利】ということになります。
ここで私としては、以下のような【反感】は【予測】のうちです。
「そんなことをしたら、【表現意図】が伝わらない!」
これは【表現】一つ一つ、この場合は【アクション】単体で【表現】を【完結】させようとするから【無理】が生じるのです。
なので例えば【表現】Aの【理解】を【表現】Bで補い、【表現】Bの【理解】を【表現】Aで補う――という具合に、【複数】の【表現】の【意味付け】を重ね合わせていけばいい話。
もちろん【表現】一つ一つに【複数】の【意味付け】を込めていくことになりますが、【説得力】をより確かなものとしていけるなら【鍛錬】の【価値】はありましょう。
この時、【アクション】を補う【表現】になり得るのが【リアクション】というわけです。
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さて、今回は一旦ここまで。
【アクション】の【主語】は【自分】です。【手前味噌】に陥る【作者】は、往々にして【アクション】に対する【観客】の【思考】を操りたがるものです。例えば「【自分】の【アクション】にはこんな【効果】が!」という具合に。
ただ一方で、【自然現象】は【観客】の【思考】を操ったりしないものです。すると、【アクション】に対する【観客】の【思考】を操ろうとする【表現】は、軒並み【不自然】ということになります。そして【不自然】な【表現】に【説得力】は宿りません。
これは【表現】一つ一つ、この場合は【アクション】単体で【表現】を【完結】させようとするから【無理】が生じるのです。複数の【表現】で【意味付け】を重ねて【表現意図】を補い合い、それぞれ【観客】の【理解】を補えばいい話です。
この時、【アクション】と【意味付け】を重ねて【表現意図】を補うのが【リアクション】というわけです。
次回はこの【リアクション】の【役割】を掘り下げてみましょう。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。