179.【予告編】に関する【一考察】(第4回)(2024.10.05)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
私、【あらすじ】欄へ書き込む【内容】については大いに悩んだ【経験】を持っております。
何せ【額面通り】に捉えれば、【あらすじ】は公募原稿で求められる【梗概】と【同義】、つまり【作品全体】の【要約】です。私としては「え、全部【ネタバレ】って、それでいいの?」と【躊躇】しますもので。
では、【あらすじ】欄の【内容】として望ましいものは――というところに【興味】が赴くと考えますが。
【額面通り】の【梗概】や【あらすじ】は、公募の【選考委員】でもない【観客全員】が求めるもの〝ではありません〟。
『【観賞】前にいきなり【核心】までの【ネタバレ】をぶちまけられた』として、喜ばない【観客】も相当数は【存在】するわけです。
また【Web小説】、しかも【連載】という【公開形態】も考え合わせれば、そもそも【額面通り】の【梗概】や【あらすじ】、つまり【核心】まで含め【ネタバレ】が【選考委員】でもない【観客全員】を喜ばせることにはなりません。
と、ここまでを【確認】した上で。
【あらすじ】欄の【可能性】欄について【考察】してみますと。
例として【文庫本】の【アオリ文】に【着眼】してみると、この時点で『【作品】には【本編以外】における【楽しみ】も【存在】している』ということが判ります。この『【本編以外】における【楽しみ】』を、私は【周辺体験】、ただしその中で【プラス】の【事例】と位置付けております。
前回は、この【周辺体験】についてお話ししました。
人は【体験】で、【物事】を【人生】の【一部】として取り込みます。またそこで【価値観】に照らして、初めて【価値】が【認識】されます。
逆に『【物事】の【存在】を知る』という【体験】すらない場合、人は【価値】を感じることはないわけです。
また【作品本編】以外でも、【アオリ文】などの【周辺体験】で【期待】に胸躍らせたなら、その【周辺体験】そのものにも【価値】を感じることはあり得るわけです。
つまり広義で考えれば、『【期待】を煽るものも含め、【周辺体験】は【作品】の【価値】の一部たり得る』というわけですね。
というわけで今回は、【期待】を煽るものについてお話ししてみましょう。
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○【例】:【期待】を煽るもの
さて、私が〝【作品本体】を知るきっかけとなる【体験】〟もまた【価値】としての【評価対象】になる――と考えるからには。
【アオリ文】含め、『【あらすじ】欄に【配置】されるもの』、これもまた【体験】の【対象】であり、【価値】としての【評価対象】ということになります。これで【観客】を楽しませることができれば、その【意義】は【作品本体】への【期待】を煽るに留まりません。【周辺体験】、ひいては【作品】とそこに関わる【周辺体験】全てを引っくるめた【体験】とその【観え方】(私は【総合世界観】と呼んでおります)への【期待】をも煽り、またその【入り口】としても相応しい【存在】になり得るというわけです。
よって『【あらすじ】欄に書き込む【内容】の【面白さ】を【追求】する【意義】』というものは、さらにその【存在感】を増すことになります。
逆に【工夫】も何もない【駄文】を【作者】がここに置いたなら、【観客】からすれば『【周辺体験】や【総合世界観】を【初手】からぶち壊す【作者】の【無気力】の現れ』であり、それだけに【悪印象】にも繋がり得るというわけです。
では、どのような【内容】が【あらすじ】欄には相応しいのか――という【興味】も【予想】されますね。
もちろん【人】の【心理】に関わることですから、【明確】な【正解】や【不正解】を【定義】できるものではありません。ただ、【先人】たちが積み上げてきたものから【範】をいただくことはできるはずです。
少なくともその【一例】は、【文庫本】などで見かける【アオリ文】でありましょう。ここに積み上げられてきたであろう【知見】は、【研究】に値するもののはずです。
ただ私としては、少なくとももう一つ挙げておきたい【研究材料】があります――【予告編】です。
【アオリ文】も【予告編】も、もちろん【手本】とすべきは【自分自身】が【観客】として【良質】と感じたものです。そこは変わりませんが、『【演出】および【演出意図】を込めている』という【意味】では、【予告編】もまた【興味】深い【存在】です。
もちろん、一口に【予告編】といっても【映画】あり【テレビ番組】ありと様々です。【判断基準】は『それぞれが【観客】として【良質】と感じたもの』以上のものはありません。
が、私としては【洋画】の、それも【予告編】として質の良かったものから学ぶところは多くありました。また【アニメ】の【予告編】として【機能】する【Promotion Video】にも感ずるところがありますね。【作品】としての【素材】はほぼ【冒頭部分】のみの【場合】が多々ありますが、その【状態】から【観客】の【興味】を掴みにきていると感じます。
以上は、少なくとも〝【観客】としての私〟が【良質】と感じるものについては、の話ですが。ただ【予告編】は、【広報】と【演出】の【両面】で積み上げられた【知見】を【投入】されたものと窺えます。
とすれば、これら【予告編】、特に【作者】が【観客】としての【感性】で【良質】と感じた【サンプル】の数々から、そこに投入されている【技巧】や【考え方】を学んでいけばいい――と考えることができそうです。
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さて、今回は一旦ここまで。
【作品】の【周辺体験】の一つとして【期待】を煽る上では、【先人】たちの積み上げてきたものから【範】をいただくことができるはずです。
そう考えると【文庫本】などの【アオリ文】は【手本】の【一例】ということになります。ただ私としては、【研究材料】として【予告編】を挙げますところ。
もちろん【予告編】と申しても【映画】あり【アニメ】ありと様々です。ですがもちろん、【自分】が【観客】として【良質】と感じたものを【サンプル】として【学び】を得ていけばいい、というのが私の考えですね。
そこで、次回は【予告編】から得られる【学び】についてお話ししてみましょう。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。