016.“肯定形”の動機(2018.11.10)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
私、進むにつけ退くにつけ、動機付けは“肯定形”でありたい――と考えるクチです。
いや、かつては私も“否定形”で動機を語ることは多かったのですが。
よくよく振り返ってみるに、動機付けは“肯定形”の方が気分の面で楽なのですよね。基盤に自己肯定が据わると申しますか。
もう一つ、否定は可能性を狭めてしまう――と申しますか。
どちらかと申しますと、否定の言葉は楽に出てきます。「現状+(否定語)」で言葉(志向)が成立してしまう分、頭が怠けてしまうわけですね。
そしてその動機は、否定した後の行動指針に繋がりません。否定しただけで完結できてしまうからです。極論すれば駄々っ子の「いやいや」と五十歩百歩ということになります。
で、“肯定形”で動機付けしようとすると。
まず現状を変える動機付けのために、一つ質問が加わります。「では、どうしたいのか?」――ここで、頭を働かせることになります。自分と相談しなければ動機が成立しないのです。
これに何の利点があるかと言って。
まず、短絡的な全否定が、選択肢から外れます。“肯定形”の動機を考えるためには、“まず己の望みを頭に浮かべる必要があるから”です。その間、ヒステリックな否定の感情がまず出鼻をくじかれるわけです。
次に、建設的な志向を頭に組む習慣が付きます。動機を“肯定形”で語るには、まず望みを頭の中で具体形に組み上げる必要に迫られるからです。
この“肯定形”、必ずしも押し通さずとも構いません。途中で引っくり返ることだってあるでしょう。
大切なのは、「“肯定形”の動機で動いた」という事実であり、動機付けの段階で「より良い選択肢を採った」という確信なのです。
“否定形”の動機は、言わば「最悪の状態から脱したい」というに過ぎません。失敗してしまえば、それは「最悪の状態へ引きずり戻されること」ということになってしまいます。これでは堂々巡りですね。
ですが“肯定形”の動機ではどうでしょう。少なくとも「最悪の状態から脱するために“策を講じる”」ことになります。“否定形”の場合と何が違うかと言って、失敗しても「数多ある中から最善と(その時なりに)考えた策が失敗しただけ」という“肯定感”が残るのです。詰まるところ、「あきらめさえしなければ、別の策を講じて最悪の状態を脱する可能性がある」ということで、心理的背景が補強されるわけです。また、「行動した」ことに伴い自己肯定感も補強されます。
それだけではありません。
自分の動機を“肯定形”で形成する訓練は、“己の望みを具体化する”思考回路を鍛えることになります。
“否定形”の動機で語られるのは、極論すれば「All or Nothing」です。この思考法は、必ず敗者を作ります。そして敗者は遺恨を残します。つまり負の連鎖が生まれるわけですね。
ですが“肯定形”の動機は、言うなれば“望みの優先順位”を確立することに他なりません。この思考法で行けば、交渉が可能になってきます。相手や周囲と“利益を最大化”、もしくは“損失を最小化”するための整理ですね。端的に申し上げれば「Win-Win」の思考法というわけです。
これなら遺恨を残すことはありません。後腐れなく望みを叶えることが可能になります。
というわけで、“肯定形”の動機付けを心がける私なのでありました。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。