177.【予告編】に関する【一考察】(第2回)(2024.09.21)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
私、【あらすじ】欄へ書き込む【内容】については大いに悩んだ【経験】を持っております。
何せ【額面通り】に捉えれば、【あらすじ】は公募原稿で求められる【梗概】と【同義】、つまり【作品全体】の【要約】です。私としては「え、全部【ネタバレ】って、それでいいの?」と【躊躇】しますもので。
では、【あらすじ】欄の【内容】として望ましいものは――というところで。
前回は、【あらすじ】欄へ書き込む【内容】について私なりの【考え方】を【ご提示】してみました。
【額面通り】の【梗概】や【あらすじ】は、公募の【選考委員】でもない【観客全員】が求めるもの〝ではありません〟。
『【観賞】前にいきなり【核心】までの【ネタバレ】をぶちまけられた』として、喜ばない【観客】も相当数は【存在】するわけです。
また【Web小説】、しかも【連載】という【公開形態】も考え合わせれば、そもそも【額面通り】の【梗概】や【あらすじ】、つまり【核心】まで含め【ネタバレ】が【選考委員】でもない【観客全員】を喜ばせることにはなりません。
と、ここまでを【確認】した上で。
今回は【あらすじ】欄の【可能性】欄について【考察】してみましょう。
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○【考察】:【あらすじ】欄の【可能性】
さて。
『【あらすじ】欄の【内容】は、【選考委員】〝だけ〟に向けられたものではない』と私が断ずる【背景】には、『【あらすじ】欄を通して、【作品】の【周辺体験】が【観客】にとって豊かになる【可能性】が【存在】する』という【持論】があります。
例えば【文庫本】の【裏表紙】には、【あらすじ】ならぬ【アオリ文】がよく添えられていますね。この【アオリ文】の【内容】は、別に【作品】の【要約】に徹しているわけではありません。それどころか、【意図的】に【内容】を伏せていることの方が多い――と私は感じております。
これには『【アオリ文】で【ネタバレ】してしまっては【購買意欲】を削ぎかねない』という【背景】もありましょう。ですが、ここに込められた【表現意図】は、私の観る限りそれだけでもありません。
私が【観客】の一人として【アオリ文】から感じる【表現意図】には、少なくとも『【作品】に対する【期待】を煽ること』が含まれているのです。
ここで。
『【作品】に対する【期待】を煽ること』を【アオリ文】の【表現意図】に(文字通り)含めるならば、です。【アオリ文単体】が【面白さ】を備えていなければ話になりません。
もし【アオリ文】が【面白くない】としたら、さてどうでしょう。例えば【面白くない】という【意味】では【最右翼】によく位置付けられる【校長先生の長話】、ちょうど【中身】を【作品】の【感想】と【想定】して、しかもその【冒頭】だけ【工夫】もなく【アオリ文】として【掲載】してあったとしたら。私ならその【アオリ文】で引き返してしまいそうです――【作品本体】を【つまらなく紹介】されてしまっているわけですから。
これとは逆に、【アオリ文単体】がただならぬ【面白さ】を放っている【場合】も、もちろんあります。時に【アオリ文】の【面白さ】で煽られた【期待】が、【作品本体】の【出来】すら上回る【場合】すらあります。
こうなったら、【観客】としてはどうでしょう。【作品本体】の【中身】を確かめずにいられなくなる――という【可能性】は、どう観ても【無視】はできませんね。
ということはこの【段階】で、『【あらすじ】欄に書き込む【内容】の【面白さ】を【追求】する【意義】』というものは、その【存在】を【確定】することになりますね。
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さて、今回は一旦ここまで。
例として【文庫本】の【アオリ文】に【着眼】してみると、この時点で『【作品】には【本編以外】における【楽しみ】も【存在】している』ということが判ります。この『【本編以外】における【楽しみ】』を、私は【周辺体験】、ただしその中で【プラス】の【事例】と位置付けております。
この【周辺体験】については、次回お話ししてみましょう。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。