173.【程度問題】、その【裏表】(第7回)(2024.08.24)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
私、このところ【程度問題】について考えております。
【程度問題】を【考察】する上で、【実例】を【観察】してみますと、その【捉え方】にも【見当】がついてきます。
例えば『【説明】と【描写】』の【性質】から。
【程度問題】を『互いに【対立】する【要素】を【切り替え】て【採用】する、その【境界】の【設定基準】(=【程度】)を巡る【命題】(=【問題】)』と捉えてみます。
ここで、【程度問題】を『【要素】の【対立】を巡るもの』と捉えた上で、では“【対立】の【深刻さ】”、あるいは“【共存】の難しさ”に眼を向けてみますと。
こと【小説】においてよく【議論】の種になります『【説明】と【描写】』を【実例】としてみるなら、際立つ【対立】は『【直接表現】と【間接表現】』、『【観客】の【心理傾向】(【敬遠】と【歓迎】)』と映ります。
ただここで“【小説】という【物語】”に限っては、『【間接表現】には“【観客】が【受け入れやすい形】”という【コンセプト】が込められている』ことが見えてきます。
つまりここで【着目】すべきは【形式】ではなく、それより『【観客】に【歓迎】されやすい、【受け入れられやすい】よう【寄り添う姿勢】の【有無】』では――というわけですね。
【程度問題】の【対象】として語られる【対立】の中に【観客】の【心理】が覗くからには、つまり【程度問題】を【作者】が【観客】に向き合う【姿勢】の【問題】として扱わないわけにはいかない、ということです。
そう考える時、【作者】が【程度問題】を云々する【作品】を、【観客】へはどのように【紹介】(【自己申告】)しているのか、その【看板】に掲げている内容は何か、という点を見逃すわけにはいきません。この場合は【小説】、言い方を変えると【物語】です。
そして【作者】の【姿勢】は【看板】(=【約束】)の内容『【作品】=【小説】という【物語】』とその扱い方、【一貫】するのか【掌返し】を示すのか、そこに現れます。
この【姿勢】を観る時、実はもう一つの【評価軸】が浮かび上がってきます。
この【評価軸】についてお話ししますと。
『“【小説】という【物語】”としての【看板】を守るか否か』は“【正直さ】の【評価軸】”の上にあります。
ですがもう一つ、『【姿勢】を【一貫する】か、【切り替え】て【掌を返す】か』という“【誠実さ】の【評価軸】”が【存在】するわけです。
『一見して【正直】でも、【自分】の【都合次第】で【掌を返し】て【嘘】をつく』となったら、『いつ【裏切る】か解らない【不誠実】』ということになりますね。
この【場合】、【正直】なのか【嘘】なのか、あるいはいつ【掌を返す】かは、【観客】からは【判別】できないわけです。
であるからには『【掌返し】始め【不誠実】には、一切の【論理的正当性】は宿らない』ことになります。【掌返し】を【前提】とする【程度問題】も【同様】です。
【程度問題】が抱える【問題】の【根本】は、『“互いに【対立】する【要素】”を一つところへ【配置】すること』です。
ならば“互いに【対立】する【要素】”を【隔離】、つまり【棲み分け】こそが【解決策】ということになります。「【程度】で【切り替え】しよう」などと欲をかくのは【不誠実】ですから。
と、【解決策】が厳しい話になるのは致し方ありません。
ただ【考え方】の点で、私としては【指摘】しておきたい【方向性】があります。
前回はこの【方向性】についてお話ししました。
【誠実】を【一貫】させるのは【簡単】ではありません。それは【事実】ですが、【短絡的】に信じ込まれがちな【二項対立】が正しいとも限りません。
私がお伝えしたいのは、『【解決】を【模索】するために【問題】の【事実関係】を【整理】し【検証】すれば、向かうべき【方向性】は見えてくる』ということです。
この場合は『【小説】という【物語】で本当に【必要】なのは、『【物語】(≒【小説】)という【看板】(=【約束】)を守ること』、もっと申せば『【観客】が【受け入れやすい形】であろうとすること』ということになりますね。
よく語られる『【描写】か【説明】か』などという【議論】は、必ずしもこの【方向性】を正しく捉えているとは限らないわけです。
ここから今回は、この【方向性】が至る【具体的】な【形】について、【考察】を巡らせてみましょう。
◇
○【考察】:【対立】『【直接表現】と【間接表現】』
さて、【表現】としては“【観客】が【受け入れやすい形】”を目指すとして。それがどのような【形】になっていくのか、もう少し掘り下げて【考察】してみましょう。
ここでは例として【対立】『【直接表現】と【間接表現】』を扱ってみます。
先述しましたが、望ましい【方向性】としては『【作者】として“互いに【対立】する【要素】”を【棲み分け】させ、なおかつ【誠実】な【姿勢】を保つこと』です。
『【直接表現】と【間接表現】』は、ここまでの【流れ】からすると、一見して『【説明】と【描写】』の【対立】の【一要素】と映りがちと考えます。ですがもちろん、【関係】こそありますが【完全同一】のものではありません。
例えば【作品】の【テーマ】の【扱い方】。これは“【作者】が【言いたいこと】”に通じますが、【小説】を始め【物語全般】では【直接表現】と【相性】がよろしくありません。その【直接表現】一つで【話】が終わってしまいかねないからです。
なので【テーマ】は【間接表現】と【相性】が良いことになります。例えそのものズバリの【フレーズ】を出すにしても、【登場人物】の【科白】に紛れさせるなどして【偶然】の【一致】を装うことが多いはずです。
一方で、【間接表現】なら何でもいい、というわけでもありません。例えば【抽象的表現】(【間接表現】の【一形態】)として『【人間】には【理解】できない【概念】で描かれた【主張】の【ぶつかり合い】』が描かれた場合などは、さてどうでしょう。【観客】としても【意味】を掴めなくなり、【物語】として【受け入れにくい形】になってしまいそうですね。
ならば、ということで。
“【物語】として【受け入れやすい形】”の【表現】として私が【有効】と考えておりますのは、『【現象】を描くこと』。“【作者】が【言いたいこと】”は【演出意図】という【形】で持つこととして、その【演出意図】を【現象】一つ一つであったり、【現象】の【連なり】であったりに込めていくわけです。
さて、この【表現】を【俯瞰】してみましょう。【構造】として【解釈】すると、『“【表層】の【表現】”としては“【現象】の【描写】”を、“【深層】の【表現】”としては【演出意図】を、【作者】としてはそれぞれ描いている』ことになります。
この【構造】の【言語化】を試みると、『【現象】という【形】の【直接表現】を通して、【演出意図】を【間接表現】で描く【表現】』となっていることが見て取れます。
このとき、【意識】してみていただきたいのは【フラクタル構造】です。『【現象】という【形】の【直接表現】』とは申せ、ただ【芸】もなく【現象】を【説明】するというのも“【観客】として【受け入れやすい形】”とは申せません。
では、『この【現象】そのものを描く、という【表現意図】』を持って、より細かな【小現象】の【連なり】を描いてみれば、さてどうでしょう。
【表現意図】を“【深層】の【表現】”とする【間接表現】で、【小現象】一つ一つを“【表層】の【表現】”とする【直接表現】で、それぞれ描いていくならば。また【小現象】を連ねて見えてくる【間接表現】で【中現象】を、“少し【深層】の【表現】”として描いていくならば。同様に【中現象】を連ねた【間接表現】で【大現象】を、“もう一段【深層】の【表現】”として描いていくならば。
このような【重層構造】を作り込んでみれば、【表現】はより“【物語】の中で起こる【現象】の【描写】”としての【性質】を強めて【物語的】になっていきます。また『【観客】としては【直接表現】から【間接表現】の【存在】を読み取る【ハードル】が下がる』という【効能】も【期待】できます。
この場合、“【現象】の【直接表現】”はより【表層】に、“【演出意図】の【間接表現】”はより【深層】に、と【フラクタル】な【重層構造】が【形成】されていきます。
するとどうでしょう。『【直接表現】は“【表現】の【表層】”に、【間接表現】は“【表現】の【深層】”に、それぞれ【棲み分け】がなされる』ことになるはずです。しかも【フラクタル】な【重層構造】で。
こうなると、『【観客】はそれぞれの【読解力】に応じて、より【深層】にある【間接表現】を読み取れる』ことになります。【表層】にある【表現】は【物語】を【構成】する【具体的現象】とその【連なり】ですから、【連なり】の【作り方】には【巧拙】あれど【物語的】ではあるわけです。少なくとも【説明臭さ】を脱する【方向】へ【作者】が【鍛錬】できる【方向性】というわけです。
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さて、今回は一旦ここまで。
『【物語】(≒【小説】)という【看板】(=【約束】)を守ること』という【方向性】を持って、例えば【対立】『【直接表現】と【間接表現】』を考えてみるならば。
【テーマ】や【表現意図】は、【間接表現】と【好相性】です。逆に【直接表現】では身も蓋もありませんから。
では【テーマ】や【表現意図】の上に乗せるべき【直接表現】はというと、【我流】では【現象】を挙げるところです。しかも【小現象】を連ねる形で。すると【小現象】の連なりで【中現象】が、【中現象】の連なりで【大現象】が描かれることになります。もちろんこの【流れ】は【テーマ】や【表現意図】に沿ったものにします。
この時、【小現象】群による【間接表現】として【中現象】が、【中現象】群による【間接表現】として【大現象】が、さらに【大現象】群による【間接表現】として【テーマ】や【表現意図】が描かれることになります。【間接表現】の【フラクタル】な【重層構造】ですね。
これで『【観客】はそれぞれの【読解力】に応じて、より【深層】にある【間接表現】を読み取れる』ようになるわけです。しかも【表層】の【小現象】で【小物語】、という具合に層ごとの【物語】を用意すれば、【観客】に寄り添いつつ、同時に深い【意味付け】も仕込めることになります。
すると、【物語的】な【表現】というものが【想像】しやすくなるはずです。
次回はこの【物語的】な【表現】について掘り下げてみましょう。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。